水俣病については「忘れないということ」というタイトルでアップした。
視点を変えて、もうー編、書いていたのだが、タイミングを逃して下書きのままになっていた。
明後日、争点の分からぬまま、権力者によって仕組まれた衆議院選挙が行われる。
この記事をアップするならば、この機会かも知れない……と思い、引っ張り出してみた。
いつにも増して完成度の低い文章だが、私が考えたことの記録として残して置きたい。
宜しかったらお付き合いを――
そして選挙(庶民の意思を示す時)の前に読んでいただきたい――





例えば『三丁目のタ日』が連載されていた頃、私は学生だった。
このマンガ自体は面白かった。
私は決して西岸良平さんの作風は嫌いではない。
しかし、過去の時代(昭和30~40年代)がノスタルジックに語られる時、私は微かな不快感を覚える。
昔は良かった?
ちょっと待てよ!
と思う。
世界中を席巻した公害問題。
酸鼻を極めた「人身災害」――
そこに焦点を当てれば、この時代は「地獄」であった。
どんな時代にも闇がある。
忘れ去られることから歴史の歪曲が始まる。
昔は良かった、今は~
などと安易に口にすべきではない。
どんな時代にも、巨悪に虐げられた庶民がいた。
そして、それは忘れ去られるよう、時代に仕向けられていく。
果たして、「巨悪」とは本当に存在するのだろうか?
それは「庶民」と隔絶された一個の妖怪なのだろうか?
どこかに巨悪がある、と決めつけるのは たやすい。
私たち弱者は批判の声を上げるしかなく、やがては泣き寝入りし、時が過ぎて うやむやにされる――
違う、と私は思う
加害者を「顔の見えない他者」と決めつけて、思考を止めてしまっては、被害者は浮かばれない。
チッソが被害者に対し、最初に「見舞い金」の契約をした時、その金額は一人年間3万円だった。
その契約は、裁判所の「公序良俗に反する」という判決により、無効とされた。
惨状を極めた重症患者を目の当たりにしながら、この契約を進めていたチッソの「担当者たち」は、何を思っていただろうか?
奇病と水銀中毒の関係が明らかになって後、対策は何年間も放置され続けた。
わずかたりとも、その怠慢に関わったサラリーマンたち――チッソ社員や行政職員――は何を思っていたのだろうか?
「怠惰」
と私は思う。
他者の痛みへの無関心、危機意識の欠如、行動を起こすことへの無気力――
何処かの巨悪だけが全てを仕組んだのではない。
それに荷担し、地獄ヘの露払いをしたのもまた、庶民なのである。
加害者は顔の見えない他者ではない。
私の職業は人の生命を脅かすような業種ではないが、それでも謝罪会見、つまり加害者側のサラリーマンを見ていると、自分をその立場に置き換えてゾッとする。
運が悪かった、と思うだろう。
あの時、事の重大さに気がついていれば……
こんなことになるくらいなら、もう少し早く手を打っていれば……と思うだろう。
そんな人間の「怠惰」の蓄積が時代の悲劇を産む。
「社会悪」の正体とは、
たくさんの普通の人間の 怠惰・無関心・無自覚で作られているのだ。
たくさんの人間のちょっとづつの「悪意」の蓄積が社会悪なのだ。
公害を起こし、その発覚を遅らせ、被害を拡大させた――
最初の災害は、不可抗力だったかもしれない……本当に知らなかったのであれば
しかし、気がついてからの対策の遅れ、これは不可抗力ではない、人間が他者に犯した悪意である。
もし、対応を遅らせたことを責められれば、その場にいた自分は「運が悪かった」と思うのだろう「他の人でも同じことをしたはずだ」
――社会悪はそうして作られる。
そしてごく限られた普通の人が「運悪く」被害者になってしまうのだ。
そしてその不運もまた、普通の人たちの怠惰によって、忘れ去られていく――
「水俣学」の原田正純氏は綴っている。
医者として現地に入り、最初に患者に言われた言葉――
「治らない病気を前にしたとき先生たちは何ができますか?」
この問い掛けの答えを、原田氏は考え続ける。
そして、「見てきた者の責任」として、この問題を引き継ぐ体制を作りたいと考える。
水俣病を、特殊な状況で発生した お気の毒な事件、で片付けてはいけない。
日常に潜む「水俣なるもの」の存在に気づくためにも、水俣病を多方面から学んでおくことが必要なのだ。
私は「自分たちの回りの水俣」を人間の心に潜む「怠惰」と解釈する。
更に、原田氏は こう綴っている。
「私は見てしまった。だから決して忘れ去ることは出来ない……」
それ以上、何も付け足すことはない
私はここに、沈思する――

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