空はどこから/猫の長靴 -190ページ目

空はどこから/猫の長靴

日記は苦手だけど、何があって何を思ったのか、あんまり分からなくなるのもねぇ(´Д`)
だからちょっとだけ、記録を残します。

新島襄が妻の八重さんを
「ハンサム・ウーマン」と呼んだ。

で、カッコイイ女性で思い出した。

学生の頃、地元に映画青年、音楽青年の集まるパブがあった。

学生達が作る自主制作映画は、8ミリの全盛期だった。


(8ミリフィルム)


そいつは映画青年で、卒業を控え、東京に出て映画監督を目指すという。私は撮影の手伝いで一度だけ家に行ったことがある。
母ひとり子ひとりの家庭だった。

そのパプで仲間(私はあくまで三下ね)と飲んでいると、彼のお母さんが入ってきた。後輩のOLさんと二人連れだった。

息子はその日、店に来ていなかった。
お母さんと後輩は、顔見知りである息子の仲間達の席に加わり、軽く歓談し、息子の名前で新しいボトルを入れて、すっと帰っていった。
息子が一人上京することは、もう決まっていた。

このお母さん、カッコイイと思った。

息子に行くな、と言っただろうか
はかない夢を追うな、と言っただろうか
言わなかっただろうな


私は愛着に弱いので、母親にため息をつかれたらダメだったと思う。
妻は美大に行きたかったのを、父親に反対され、地元の学校に入り、私と知り合った。

私たち二人は、夢を語る以前の問題として、「気力」という才能がなかった。


そいつはその後、ホントに監督になった。
当時のトガリ感はないけれど、まあ、趣向は歳と共に変わる。
幸せな結婚もしたようだ。

名前を見かけるたび、あのハンサムなお母さんは喜んでいるだろうな、と思う。


でも、おそらく、
母親が願うのは子供の「成功」よりも「幸せ」だ。成功はその一部に過ぎない。
お母さんは息子が監督になったことよりも、お似合いの伴侶を得たことを、より大きな喜びとしたような気がする。




こんなシーンを見た。
橋本聖子さんはスピードスケートの第一人者で、銅メダリスト。
夏の五輪(ロスアンジェルス)でも自転車の選手として出場した。(スケートと自転車の掛け持ちは、外国ではよくあること)

会場にはご両親も応援に駆けつけた。

試合直前、TVのレポーターがお母さんにマイクを向ける。

レポーター「お母さん!楽しみですね~!」
母「はい…でも転ばなければいいんですけど」

結果はあえなく予選敗退。

レ「お母さん、残念でしたね~」
母「はい…でも転ばなくて良かった」

このエピソード、私は好きである。






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奈良県川上村は、これぞ「山村」という、鄙びた良い村であった。

南北朝時代の末期、南朝の公子3人が隠れ住んだ場所がある。行ってみた。山奥のホントに寂しい場所だった。

私はここで一時期、ヤマ仕事をしていた。
ある年(1997年)この村で野外コンサートが開催された。

チラシを持ち帰り「この人、知ってる?」と妻に聞くと
「日本のマライア・キャリーだよ」
音域がもの凄く広い人らしい。

それが、『おおたか静流(しずる)』さん



そして当日
スギ林をバックに設営されたステージは、雰囲気最高!
せせらぎの音まで聞こえてきそう。
(ただ、真夏の日差しは、暑かった~!)

変な着物(失礼!)を着た静流さんが別世界の人のように現れる。
その声!


人間って「楽器」だったんだ~


静流さんの喉は、弦楽器の喉。
深くてしなやかだ。しなる弦が見えるよう。

「このステージ、気持ちがいいからどんどん歌っちゃいましょう」
そしてカセットケースに豆を入れたマラカス?を取り出し、最前列の子どもたちに微笑みかける。
「手作りの楽器だよ。いいでしょ~」

いえいえ、「楽器」は貴女自身です。


2回目は京都のチャリティコンサート。
バックはサックス、鍵盤、打楽器の3人のみ。
ところがこの3人、バンドリーダークラスの大物とかで、存在感に溢れ、ステージを圧倒していた。

私の大好きな曲『おもいとげねば』では、ドラムを小太鼓、ピアノをアコーディオンに持ち替えて、4人でステージを練り歩いた。

凄かった!(≧Д≦)



3回目は去年、東京で。
パイプ椅子を並べた小さなコンサート会場。
例によって変わった服(今度は黒)の静流さんが、しずしずと登場する。
鎮魂のロウソクを灯した後、静かに、力強く歌い始めた。
アカペラ、ノーマイク。

曲紹介もMCも、全てフリップ。
つまり、歌声以外は一言も声を発しなかった。

静流さんが去った後、会場の空気をぴっしりと押し包む、静かな充足感。

そう、トークなんていらないよね。

静流さんは「楽器」だから





最後に、私の頭の中でリフレインしている『おもいとげねば』(おおたか静流、作詞作曲)のー節


ひいよろひょろろ
あほう鳥
想い遂げねば
かごの鳥
(ハイ!)

私が生まれた北海道には、古戦場がない。
五稜郭(函館戦争)を除けば、歴史の上ではアイヌ民族の反乱くらい。
シャクシャインとか、コシャマインとか、一部の道産子しか知らない。


その点、近畿圏は凄い。
古戦場だらけ、というより古戦場の上に住んでる。


京都にいた頃、いくつか訪ねてみた。

山崎の合戦跡地。
川と山に挟まれた、狭い平地。サントリー美術館に行くついでに山から見下ろした。

七本槍で有名な賤ヶ岳の合戦跡地。
ここは完全に山岳地形。観光用にスキ一場みたいなリフトが設置されていた。
ここをヨロイ具足で登ってくのは大変だったろうな~


そして、関ヶ原。
竹矢来や軍勢の旗が復元されていて、誰と誰が激突したか、その場所自体に案内板が立てられていた。

大将の陣地(たぶん三成側)に立ってみた。
全体がよく見えた。
予想外に狭かった。
眼前で闘う兵たちの表情まで見えるような距離だった。

大将はここに立ち、汗まみれ、埃まみれで殺し合う姿を眺めたのだろう。
悪鬼のように人を刺す姿、断末魔の叫びを上げてのけぞる姿。
その表情までもを見下ろしていたのだろう。


(写真は観光マップルから)



思い出した。TVで見た光景。
湾岸戦争の後、日本人で一番先に現地を訪れたジャーナリストが、何かのイベントでマイクの前に立った。

「戦争は汚い…」
と言ったきり、言葉を詰まらせた。
「どんなイデオロギーがあろうと、子供もお年寄りも殺す。戦争は汚い…」
言葉を駆使して稼ぐべきジャーナリストが、戦争の現実に言葉を失っていた。


人に殺し合いをさせなければならない理由…
私には、わからない。






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