failsafeproject -6ページ目
仲間がいるのはいい
普段会えなくても
たまに会えば「おう!」となる
最近やっとお酒を飲むというのがわかってきた
人と飲むというのが
イコール人と会うという事になってきた
ちょっと一杯というのが
僕は体質的に飲めないので
飲む行為というのがあまりわからなかった
飲む会は楽しいけど
飲めないからどうしてもあちこちにブレーキがかかる
最近BARでちょっと一杯の機会が多く
また僕は居酒屋よりも
このBARでちょっと一杯というのが
丁度良いらしい
またそっちの方が落ち着く
大人数で飲む会より
少人数で話をする
食事をして
その後にちょっとという流れだ
演劇をやるとどれだけ安く飲むかとか
またどうしても居酒屋で大人数になる事が多いので
何の為にとかもうよくわからなくなる
どこに向かって誰と話して良いかわからなくなる
打ち上げとかも僕はよくわからない
というよりも最近良いBARを数軒
見つけてしまって
それが楽しかったのだ
ただそれだけだ
そしてまだまだ全然打ち上げられないのだ僕は
社交的ではなく自分はかなりの内向的と気づいた
でも皆がいる
仲間がいるから楽しい
この世界には皆がいる
同じ時代でよかったな
何の稽古がわからない写真
この夏
舞台が終わったら
色々知りたくなった事がある
今 何をどう思って生きているのか
自分の使っている言葉にも飽きた
NYに遊びに行きたい
いや そんな事ではない
火學お七が終わり
あれこれ反芻や反省し
楽しかったのでふと思考が巡る
僕としては
男だからか
身毒丸を観たイメージが強いので
人の情念というのを噴きあげるマグマのような
エネルギーが
とそれが何だとも今では思うけど
今回のはそれぞれの火事
役の火事
演者の火事がよく溶け合いながら
出来た美しい作品になったのではと思う
だからより
ふと巡る
こういう部分もあったのではないかとか
もう少し卑猥な部分や
歪みや
そうか
歪みがもう少しわかりやすく観えたら良かったかなど
表現の仕方があれこれと思い付く
こういう体験は初めてだった
なので終わった後も楽しいし
もっとやりたくなる
しかし
そういう人間の楽しかったからの傾向も
ここで無理やり留めてみる
月末の舞台が終わったら
違うアプローチを考えてみる
その為に沢山知りたいという事
踏まえてだからという事をまずやってみようと思う
良い夏を
この夏を噛みしむ
火學お七は
初演がもう34年前になる
非現実の物語だが
風刺が効いていて
今のこの現代の社会に対しても
与える影響が強い作品であるし
読めば読むほどに
よく出来た本だと感心する
物書きというのは天才だ
僕が稽古場で思うのは
甘えかもしれないが
苦しみたくない
終始楽しく終わりたいといつも思っている
でも中々そうはいかない
本番が迫ると嫌でも
支障を来す事がある
自分じゃなくても誰かが
沢山人が集まれば集まった分だけ何かある
それが面白いと言えば面白いというのかもしれない
段取りや何やら決まってくると
決まった分だけ息苦しくなる
決めるまでは自由で楽しいが
えらいこっちゃ
自分はまだ迷う
決められない
いやあっちじゃないのかと
自分の人生もそうなんだろう
決められないのだ
あっちがいいと
まだまだ夢心地なのだ
死ぬまでそうなのか
決められないのだ
夢心地のまま
ふらふらと生きている
そいうふうに今は見えている
子供のままで
ああそうだ
僕は面白いものを観たいわけじゃない
衝撃を受けたいのだ
自分の人間が変わるような
衝撃
大きなげんこつをだ
しかし面白いという言葉は曖昧だ
何が
どう
それが
だからだ
その言葉達すら
必要ではない気もするが
火事の素です
まるで火事です
あそこも火事
あそこにも火事
火の用心

