仲間がいるのはいい

普段会えなくても

たまに会えば「おう!」となる

最近やっとお酒を飲むというのがわかってきた

人と飲むというのが

イコール人と会うという事になってきた

ちょっと一杯というのが

僕は体質的に飲めないので

飲む行為というのがあまりわからなかった

飲む会は楽しいけど

飲めないからどうしてもあちこちにブレーキがかかる

最近BARでちょっと一杯の機会が多く

また僕は居酒屋よりも

このBARでちょっと一杯というのが

丁度良いらしい

またそっちの方が落ち着く

大人数で飲む会より

少人数で話をする

食事をして

その後にちょっとという流れだ

演劇をやるとどれだけ安く飲むかとか

またどうしても居酒屋で大人数になる事が多いので

何の為にとかもうよくわからなくなる

どこに向かって誰と話して良いかわからなくなる

打ち上げとかも僕はよくわからない

というよりも最近良いBARを数軒

見つけてしまって

それが楽しかったのだ

ただそれだけだ

そしてまだまだ全然打ち上げられないのだ僕は

社交的ではなく自分はかなりの内向的と気づいた

でも皆がいる

仲間がいるから楽しい

この世界には皆がいる

同じ時代でよかったな

何の稽古がわからない写真

{6F4B866D-FCED-46B9-851E-DCE80D2E23DD}
















この夏

舞台が終わったら

色々知りたくなった事がある

今 何をどう思って生きているのか

自分の使っている言葉にも飽きた

NYに遊びに行きたい

いや そんな事ではない

火學お七が終わり

あれこれ反芻や反省し

楽しかったのでふと思考が巡る

僕としては

男だからか

身毒丸を観たイメージが強いので

人の情念というのを噴きあげるマグマのような

エネルギーが

とそれが何だとも今では思うけど

今回のはそれぞれの火事

役の火事

演者の火事がよく溶け合いながら

出来た美しい作品になったのではと思う

だからより

ふと巡る

こういう部分もあったのではないかとか

もう少し卑猥な部分や

歪みや

そうか

歪みがもう少しわかりやすく観えたら良かったかなど

表現の仕方があれこれと思い付く

こういう体験は初めてだった

なので終わった後も楽しいし

もっとやりたくなる

しかし

そういう人間の楽しかったからの傾向も

ここで無理やり留めてみる

月末の舞台が終わったら

違うアプローチを考えてみる

その為に沢山知りたいという事

踏まえてだからという事をまずやってみようと思う

良い夏を

この夏を噛みしむ





















火學お七は

初演がもう34年前になる

非現実の物語だが

風刺が効いていて

今のこの現代の社会に対しても
 
与える影響が強い作品であるし

読めば読むほどに

よく出来た本だと感心する

物書きというのは天才だ

僕が稽古場で思うのは

甘えかもしれないが

苦しみたくない

終始楽しく終わりたいといつも思っている

でも中々そうはいかない

本番が迫ると嫌でも

支障を来す事がある

自分じゃなくても誰かが

沢山人が集まれば集まった分だけ何かある

それが面白いと言えば面白いというのかもしれない

段取りや何やら決まってくると

決まった分だけ息苦しくなる

決めるまでは自由で楽しいが

えらいこっちゃ

自分はまだ迷う

決められない

いやあっちじゃないのかと

自分の人生もそうなんだろう

決められないのだ

あっちがいいと

まだまだ夢心地なのだ

死ぬまでそうなのか

決められないのだ

夢心地のまま 

ふらふらと生きている

そいうふうに今は見えている

子供のままで

ああそうだ

僕は面白いものを観たいわけじゃない

衝撃を受けたいのだ

自分の人間が変わるような

衝撃

大きなげんこつをだ

しかし面白いという言葉は曖昧だ

何が

どう

それが

だからだ   

その言葉達すら

必要ではない気もするが

火事の素です

まるで火事です

あそこも火事

あそこにも火事

火の用心