Fagiale ~僕らの街には夢がある~ -7ページ目

俺たちの夢を託した男





朝日新聞岡山版



「Jは遠いです。自分がプレーできなくても、自分たちの子どもや孫たちがプレーできるように自分らが基盤を作ればと思うんです。ファジアーノは将来きっとJリーグにいける。」


2004年にそう語りかけてきた男がいました。


彼の名を藤井一昌と言います。



カズマサ。



ファジアーノを知る者なら一度は聞いたことがある名前でしょう。


大学日本一に輝き、Jリーグ入り確実と言われた男。しかし、軟骨突起性ヘルニアにより夢を断念しなければなりませんでした。彼がサッカー人生を懸けて選んだのは、ファジアーノ岡山。


彼の魅力はプレーだけではありませんでした。

ピッチに入る時や出る時、いつも一礼をする姿がありました。

県リーグ時代から如何なる試合の時でもサポーター席に挨拶をしにくる姿がありました。

中国リーグ時代に0対5という負けを期した時も、スタンドから出てくるサポーター一人一人に「すみませんでした」と頭を下げる姿がありました。



彼のファジアーノ最後の年となった2006年。
地域決勝大会、場所は大分。

倒されても倒されても立ち上がり、諦めることなく前を向き走り続ける姿がありました。

最終戦となったTDK戦。彼は累積警告により、試合に出ることができませんでした。試合は惜しくもPK負け、泣き崩れる仲間たちを抱き起こし彼はベンチまで連れて帰りました。
本当は誰よりも悔しいはずなのに最後までキャプテンとしての任務を全うしました。選手が全員ロッカーに戻った後、彼はサポーター席まで挨拶にきました。

翌年、彼の退団が発表。
その発表される前、退団するんではないかと察していた自分に握手を求めてきて一言だけ言いました。


「ファジアーノをよろしくお願いします。」


今年、カズマサのチャントとして使われていたものが「俺LAファジアーレ」として生まれ変わりました。サポーター自身を奮い起たせる曲としてスタジアムに響きわたっていました。


そんな一昌に、今年子どもが生まれました。

いつかその子が大きくなった時に、我々はどんなファジアーノを彼の子に見せることができるかな。

ヘルニアに蝕まれて歩けなくなると言われても戦い続けたのは何の為で誰の為だろう?

一番苦しい時代にキャプテンとして全うしたのは何故だろう?

『俺たちの夢』

それはカズマサがファジアーノを表した言葉でもあります。誰よりもファジアーノの歴史や関わってきた人間の事を想う男が次代のファジアーノに伝えたかった言葉でもあります。

その一昌を兄のように慕っていたのが重光貴葵でした。重光のサポーターを愛する姿は、一昌を見ているようでした。


俺たちの夢!

色んな選手の夢をファジアーノは抱き進んでいます。

やろう

5年、いや6年……。
長かったのか短かったのか。

あの時から、そんなにも経った。

やろう。


先日、ラジオの一緒に出演した仲間の話を聞いてると「あっ俺たち一緒に歩いてきたんだな」って思った。そして、ずっと想ってたことは同じなんだなと感じた。

「Jリーグ」「あと1勝」そんな言葉が飛び交う中、3人は共通して同じことを想っているんだなって感じた。



なんで、いるんだろ?

震えるような寒さ

少し熱がありしんどい

でも、なんでいるんだろ?

早朝のビラ配りの集合場所に向かいながら思った。





天皇杯がモモスタであったのに

ふぁーじあーのって

商店街を歩いた

なんでいたんだろ?






山の奥の場所さえわからない土のグランド

YARE YARE

と聞こえる

なんでいたんだろ?







彼らに会えるラストチャンス

半端ない早朝からの自主練習

外は暗いのに

なんでいたんだろ?







僕等はこの街に百年続くクラブを作ろうとしている。

僕等が老いても、僕等の子どもや孫が岡山の街を誇りに思えるようなクラブを創ろうとしている。

どこかの街の誰かのクラブではなく僕等の街の僕等のクラブを創ろうとしている。





やろう。

ファジアーノ。

リャン キュサ

いつも練習を見に行く時に最初に目を向ける人間がます。
いつもどんな時も、背中を見てしまうオトコがいます。


いつだったか覚えていませんが、広江であった作陽の引退試合。そのオトコは、特別にそのピッチに立っていました。恐らく、最初に会ったのは、その日。

そのオトコには、話をかけられないオーラがありました。

一言で言うなら「闘志」


すぐ近くにいましたが、そのオトコとは「お疲れ様です。」の一言しか交わせませんでした。

そして、彼は暫くしてファジアーノに入団しました。


どんなに傷だらけになろうが、どんなにボロボロになろうが、オトコは闘い続けていました。

言葉は悪いですが、「このオトコ、岡山のために死ぬ気じゃないのか」と感じてしまうほど闘い続けていました。

そして、そんなオトコに惚れました。


大分での地域決勝。

彼が、スタメンから外れながらも黙々とアップする姿。
その姿は、プロであり、触れないほどの闘志がありました。

彼の姿から感じたものは、今も自分の胸の中にあります。

翌年、彼の立場はコーチとなりました。色んな事を察すると共に、その決断に………ついていこうと思いました。


彼の生き様やチームへの貢献度は文字にできないほど熱いものがあります。そして、この胸にしっかり刻んであります。

アウェイの試合では、岡山に残り、誰よりも早くグランドで練習の準備をしている姿。

見える場所での働き以上に、見えない場所で汗を流していることを知っています。


彼を……Jに連れていきたい。すべてが終わったときに彼と握手したい。
そして、また新しい旅をしたい。












一番大切なのは、あきらめない心だと思います。

今まで能力はあっても心があきらめ、消えていった選手を僕は沢山知っています。

あきらめずに最後までやり通せば、たとえその日は負けたとしてもきっと何かが残る。

残ったものを拾い集めて、あきらめずにまた戦えばいい。
(梁 圭史)