Fagiale ~僕らの街には夢がある~ -18ページ目

絶対に忘れない

涙を流しながらコールしたあの日。

JFL昇格を決めたTDKにコールしたあの日。

彼らをJFLに連れていくことができなかったあの日。

僕らは何かを失い。
僕らは何かを得た。




2006年12月、極寒の大分で死闘が繰り広げられた。

地域リーグ決勝大会決勝ラウンドに残ったのは、4チーム。

・ファジアーノ岡山
・TDK
・FC岐阜
・V長崎

全てのチームが、JFL昇格の可能性がある中でむかえた最終日。

ファジアーノのサポーターは、約20人。
その全ての人が「来たくても来れなかった仲間たちのために。」と胸に刻みスタジアムに向かった。

何枚も重ね着をしても、震える体。
冷たくなった手で横断幕を1枚1枚張っていった。

でも、寒さなど関係なかった。その寒さを超えるものが、この会場にはあった。

特別な言葉など必要なかった。現場にいる全員が同じ思いだった。



日に日に多くなる岐阜のサポーターに思うこともあった。

秋田から駆けつけてきたTDKサポに意地を感じた。

常に挑発気味だった長崎サポに燃えるものもあった。


でも、どう数えても20人もいない僕らが彼らに負けていたとは思わない。

一人もサボる者はいなかったし、「自分がやらなきゃ誰がやる」状態だった。




ピッチに入ってくる選手たち。

遠征メンバーに外れながらも自費できた選手たち。

僕らは、2006年ファジアーノ全選手の名前をコールした。

ある選手は、サポーターに向かって胸を叩いた。

ある選手は、「もっともっと」とサポーターを煽った。


キャプテンの一昌は累積により出場停止。彼は当たり前のように裏方にまわりチームを支えていた。

その一昌からキャプテンマークを渡された伊藤。

キックオフ前に一昌と伊藤が言葉を交わし握手。

あの日、全てが1つになっていた。1つになるということは、こういうことなのかと感じるほど、あの場所にいた全ての仲間が1つだった。


7針も頭を縫った明が走り続ける。その姿は、限界に挑戦しているようだった。
「これは戦争だ。」
明は、この戦いをそう表していた。


地域決勝前に移籍してきた重光、野本、桑原、松浦が岡山のために戦う。この4人は、誰ひとり「よそ者」ではなく「岡山」だった。この4人で本当に良かった。素晴らしい4人だった。


出場の出番を待つリャン君は黙々と走り体を温めていた。背中で無言のメッセージを送っていた。


サポーターは、皆が声をからし凄い形相で応援し続けていた。

何回も応援席から落ちそうになるぐらい吠えていた。

全員が形振りかまわず闘っていた。


次の試合を控えた長崎サポは、岡山よりの席で「TDK」の人文字をつくるなどしていた。異様な雰囲気がスタジアムを包む。


試合はPK戦へ。


選手の名前をひたすら叫び続けた。

サポーター全員の喉がつぶれ、もう出ないほどになっていた。それでも、みんな前に倒れそうになるぐらい叫び続けた。

陽介の母親が「負けんな!」と叫ぶ。

普段冷静な人たちが叫ぶ。

死闘とは、このことを言うのだと思う。


そして、6人目のキッカーとなった伊藤が蹴ったボールはゴールになることはなかった。

倒れ込む選手たち。

こちらに歩いてくる選手たち。

泣き崩れてる選手たち。


悔しくて悔しくてたまらなかった僕らがしたのは、僕らのクラブと選手の名前を呼ぶことだった。

相手チームにエールを送ることだった。

結果以上のものが、そこにはあった。

子供のように泣き叫ぶアキラの姿。
そんなアキラに叫ぶ。
「顔をあげろ!アキラ!」
アキラは表現できないほど泣いていた。


いつもは気丈な陽介が涙を我慢するかのように天をむく。サポーター席から「陽介、来年いこう!」「守護神陽介!」と声が飛ぶ。

陽介の目からは涙が溢れだしていた。


ベンチコートのフードをかぶり、肩を振るわせて泣く伊藤。
「来年いこう!俺たちが連れていくから!」

伊藤に寄り添う男がいた。藤井一昌。

伊藤に肩を貸し、他の選手に言葉をかけていた。誰よりも悔しい男は、最後までキャプテンとしての仕事を全うした。
そんな一昌は、いつもどんなときもサポーター席に挨拶にきていた。


あの日、いつのまにか涙で前が見えなくなっていた。


「いったい、これは何なんだ!」岡山からやってきたマスコミはそう思ったと話していた。今まで見たことがない光景がそこにあったらしい。
当時いたマスコミの何人かは、今では仕事をこえてファジアーノを愛している。


僕らは選手たちをJFLに連れていってやりたかった。あの日、来れなかった仲間に朗報を伝えたかった。

しかし、それは叶わなかった。

一昌たちをJFLに連れていってやれなかったことは、今でも心残りだ。どんなときも、忘れたことがない。

「来年がある。」

試合後の慰めは、それしかなかった。来年、また彼らとJFLを目指せばいい。そう思った自分がいた。

でも、2度と彼らと地域決勝大会に挑む日は来なかった。

ただ、あの日に後悔はない。全力でやった上での結果であるし、あの日以上のファジアーノへの忠誠心はその後もない。

僕は、ファジアーノを応援していて様々な場面に遭遇してきたが、あの日あの瞬間ほど印象に残るものはない。

JFL昇格を決めた時も冷静な自分がいたが、あの時の自分は感情の制御ができなくなっていた。

未だに、この試合を超える熾烈さに出会っていない。未だに、あの日を超える思いに出会っていない。


あの試合で、一昌たちをJFLに連れていくことはできなかった。

しかし、あの試合に涙した伊藤や重光や明や野本や朝比奈やヒデや周剛を必ずJリーグに連れていく。

一昌たちの想いもJリーグに連れていく。

喜山や小林や堤たちもJリーグに連れていく。

リャンくんも連れていく。

何があっても絶対に連れていく。

それがあの日、得たものだ。





TDKは、あの大会で紛れもなく強かった。あの時とメンバーは代わっているが、この舞台でTDKと戦えることを嬉しく思っている。
日曜日、勝ちだけが欲しい。ただそれだけである。





■TDK戦
http://www.2002world.com/f_cafe/report/2007/report178.html

■TDK戦
http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/soccer/fagi/2006/2008/04/11/20080411155050.html

■岐阜戦
http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/soccer/fagi/2006/2008/04/11/20080411154720.html

■長崎戦
http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/soccer/fagi/2006/2008/04/11/20080411154541.html

■北海道戦
http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/soccer/fagi/2006/2008/04/11/20080411154025.html

■バンディオンセ戦
http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/soccer/fagi/2006/2008/04/11/20080411153808.html

僕らの街の夢、それぞれの夢

http://www.forza-fagi.com/archives/200805/04002340.php

そして彼らにも、夢を託し、共に夢を叶えようとする人々がいる。我々と同じように、ボランティアやサポーターなど数多くの人がチームを支えている。同じように「岡山」を背負い戦ってきた我々は、そのことを忘れてはいけない。彼らは敵ではなく良きライバルだ。だから、遠慮は必要ない。常に全力のプレーを。それが最高のライバルに対しての礼儀だ。

 岡山県には、我々の他にも「湯郷Belle」や「岡山シーガルズ」など全国を舞台に活躍するスポーツチームがある。「天満屋陸上部」のように世界に挑戦する競技者を輩出するチームもある。各チームや各選手の活躍は、競技を越えて岡山に誇りと希望をもたらしている。スポーツがこの街に住む人々に生きがいを与えている。彼らや彼女らの挑戦が、我々の心の中にある「おかやま」を呼び覚ましている。競技の枠を超えた「僕らの街の夢、それぞれの夢」。それが、この街を少しずつ変えていく。

 僕らに共通しているのは「岡山」。岡山で共に生き、共に喜び、共に悲しむ。我々には、この街を創りあげていく、大きな夢と可能性がある。
 さぁ、僕等の力で岡山の未来を切り開いていこう!

(2008.5.3 三菱自動車水島FC戦MDPより)



三菱自動車水島FC戦のMDPの記事の話をします。
1か月前、この号のMDPの記事を担当することが決まりました。どんな内容にするべきが迷いました。

両チームの戦いを煽る内容にするべきなのかとも考え、直前までこのダービーを煽る文面を作っていました。でも、それでは自分が本当に書く意味があるのだろうかと思いました。

そして、締め切り直前で内容を変更しました。



2003年5月4日、財田。そう、日韓W杯の翌年です。

2002年、日本中がW杯で盛り上がる中、冷めた自分がいました。日本のサッカーより、僕の街のサッカーのほうが大事なんじゃないだろうか。そう思い始めた僕は、岡山のサッカーに深く興味を持ち始めました。

同時に当たり前のように、岡山にJのクラブが無いのがおかしいんじゃないだろうかと考えるようになりました。

2003年のその日、その場所に中国リーグで戦う三菱自動車水島FCがいました。

この出会いが無ければ、今とは違った自分がいたと思います。ファジアーノに出会うのも遅かったと思います。

そこではじめて、「岡山にJリーグのクラブを誕生させたい。」と話したように思います。
ある選手は、本気でその話を聞き、互いに夢を語り合いました。

あれから、年月は流れました。当時の選手は、殆んどいなくなりました。今は、知らない選手のほうが多いです。

それでも、毎試合気になる自分がいます。その理由は、たった1つです。岡山で戦うスポーツチームだから。

「僕らの街には夢がある!」

これは何度も言っていますが、ファジアーノだけのことではありません。

三菱自動車水島FC。そこにも夢があり、夢を共に歩む人間たちがいることを2003年から知っています。

そんな彼らだからこそ、最高に良い試合ができ、彼らに対してブーイングができたのです。




下段で、シーガルズ、ベルの名前をだして書きました。

普通は他競技のチームをMDPに書くことはありませんし、色々と難しい部分があるのですが、今回は書けるタイミングだったと思います。

「僕らの街には夢がある!」っていうのは、何回も言いますがサッカーだけを言っているのではありません。

競技やチームを超えて「岡山県には夢がある」という事を伝えたいと思い、僕はあの横断幕をつくりました。

「僕ら」とはファジアーノに関わる人達だけではありません。

文中にある通り、「岡山で共に生き、共に喜び、共に悲しむ」岡山の人達。

ラストの「僕等の力で岡山の未来を切り開いていこう。」の僕等とは、三菱自動車水島FCやベルやシーガルズや天満屋陸上部や岡山のスポーツ界の全てに関わる人達のことです。


ファジアーノだけで、この街は変わりません。

ファジアーノだけで、この街は元気がでません。

ファジアーノだけが、この街のスポーツチームではありません。

シーガルズから見れば、シーガルズこそが岡山を代表するチームだという自負があるでしょう。

ベルから見れば、岡山で最初に全国を舞台に戦ってきたサッカークラブとしての自負があるでしょう。

それは事実です。

ただし、僕らに共通していることがあります。

それが実は大切なことではないかと思います。

岡山のチームが活躍を聞くと嬉しくなりませんか?

きっとそれが、これから岡山のチームを強くする要因です。

ファジアーノの仲間を増やすことにもなると思います。

岡山を背負い戦う選手の挑戦が、我々の心の中にある「おかやま」を呼び覚ましています。

競技の枠を超えた「僕らの街の夢、それぞれの夢」。それが、この街を少しずつ変えていっています。

そして、我々はファジアーノと共にこの街を創りあげていける可能性があるのです。




僕らの街には夢がある……

地域リーグ決勝大会バージョンの「僕らの街には夢がある」の横断幕。

ずっと仲間の家にあったものが、久しぶりに手元にきた。

http://www.forza-fagi.com/archives/200712/12225507.php

http://www.forza-fagi.com/archives/200712/09212003.php

久しぶりに、1つ1つのメッセージを読み直した。


「俺たちの夢!」

「すべてはサッカーのために」

「全ての人の心を感じて戦え!」

「もうひとつの家族ができました」

「過去・現在・未来」

「私が頑張れる理由がある場所」

「おかやまにサッカー文化を……勝ち取りましょう!」

横断幕に書かれた色んな人たちのメッセージ。


この横断幕を通して出会ったファジアーノ。

苦しいとき、下をむきそうなとき、諦めてしまいそうなとき、つまづきそうになるとき………これから先、様々な場面で、あの時の僕らが問いかけるだろう……。