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Math Geek:数学オタクの今日の出動命令!!

数学オタク士官候補生の、自分に対する
出動命令を書き綴りますっ!!

あぁ、やるべきことはそれだけかい・・・?


若者って大変だよね

よく世間や企業や先輩から

「既成概念をぶっこわせっ!!」

なんてムチャ振りをされることが多々ある。


でもその一方で、実際に

既成概念や旧態依然のもの

破壊する人がいるし

「ぶっ壊してやるっ!!」って

公言する人もまた沢山いるよね。


でも簡単に考えたくない

何かを壊したら瓦礫の山ができて

そこには更地が残る・・・果たして

そのままでいいのか?また新しい何かを作らなくていいのか?




(壊した後はまた新しいもの作る、これは破壊者の義務ではないだろうか?)


世間の価値観、周囲の人間の価値観

流行・・・ちっとも楽しめなかったら

自分で作ってしまえばいいんじゃないか?

誰が「壊してはいけない」と言ったの?


頭は学校の勉強のために使うものだろうか?

電車に乗り遅れて仕事に遅刻した時の

言い訳は「頭」の出番ではないか?

あなたは「仕事に遅刻する」という”破壊”をしたのだから。


人生の楽しみは何かを破壊したあとに

何か新しいものをつくることにあると思う

新しいものを作るために、破壊をする

破壊力、それはすなわち「創造力」だ。

あぁ、そんな大したことではないのに・・・


ピアノの発表会とか

スポーツの大会本番前とかに

先生や監督に「自信を持て」と

言われることがあるよね。


自信がある人ってそんなに

多くはいないと思う、だって人間だもの

世界には未知の出来事に

遭遇することはそんなに珍しいことではない。


でも自信は無いよりあった方が

良いに決まってる、でも

そもそも「自信」ってなに?

自信とはズバリっ、限界を知ることだ。




(「降参」が適確に言える人は大きな失敗はしない)


限界を知ることが本当の「自信」

限界とは「最大限」と「最低限」のこと

自分は「どんなに調子が悪くてもコレくらいは保証できる」

自分は「どんなにがんばってもコレ以上は行けない」

つまり、自分の力量の”カバー力”が分かっている。


自分の力量の「最大限」と「最低限」を

知っていることは、すなわち

相手の力量を見誤らない、”等身大”で見れるということ

それは余計な恐怖や不安を自力で

払拭できるということ。


自信は精神に”安定”をもたらす

そして余裕が生まれる、余裕が生まれる

ということは”知恵”が生まれる

自信は強さじゃない、知恵を生むものだ。



※参考文献

[逆境を生き抜く「打たれ強さ」の秘密]‐タフな心をつくるメンタルトレーニング‐

岡本正善著―青春出版社


あぁ、全部結果論なんだ・・・


人間だれしも成功したいよね

理由はどうであれ

成功することはいいことだ

でも誰でも成功するとは限りらない?

本当にそうだろうか・・・?


日本人はもっと成功していいと思える

成功してる人が少ないというか

年々少なくなってきてる気がする

じゃあ、どうすれば成功できるか?

それはとてもシンプルだと思う。


それは正しい努力と”最初の一歩”だと思う

結局それに尽きるというか

これ以外に成功する方法があるだろうか?




(ちょっと面白そう・・・、この気持ちが人生を動かすには必要だ)


最初の一歩・・・一番難しい所だと思う

失敗したらどうしよう?ハズレだったらどうしよう?

損したくない・・・悲観的な思考が交錯する・・・

だったらやらなければいい、世の中そんなことばかりではない

きっと「ちょっとやってみようかなぁ」と思えることはある。


あなたが楽しいと思ってることが

一個でもあるだろうか?全部嫌々やらされてることだろうか?

ちょっと”ワル”になってみよう、自分だけが楽しければいい

他人は白い目で見るかもしれない

でも大事なのは「あなたが楽しいかどうか?」だ。


どんな人でも人が喜んでくれることに

嫌な気分はしない、でも急いではいけない

ちょっと欲張ろう、ドッカーンと笑顔が溢れるまで

上手くなるまで待とう、それが「成功」だ。


あぁ、俺って欲無いなぁ・・・


かわいいものはかわいい

女だけじゃないんだよ

男だって”かわいい”ものは好きさ

子供が好きなことに”異常性”はないさ。


でも、男ってのは不思議だよね

”大きい”ものに憧れる

これは男の性だよねぇ

”大きい”ものに憧れてこそ男の子の証

男ってバカだよねぇー。


最近、俺はやっぱり「ブルースハープ」を

連れ添って歩いていきたいなって

思えてきた、「えっ?ギターに未練はないの?」

っていう人もいるかもしれない

でもブルースハープってかわいいんだよ。




(こんなコンパクトで表情が豊か、世界最小の”メロディー”楽器だと思う)


写真の人は”サニー・ボーイ・ウィリアンソンII”っていう人

ブルースハーモニカの名手、史上最高のハーピストだと思う

ハーモニカ一本で彼ほど吹けたらね

ギターなんて捨てられるよ、本当に。


俺は別にギターじゃなくていいのよ

何か”人並み以上”にできれば満足

ハーモニカでも大歓迎だ、俺はとにかく

「はっきりとしたもの」が欲しい。


趣味はアイデンティティ、そして人生を遊ぶこと

無くてもいいが、世知辛い現実ばかり見ても

幸せになれるとは限らない

そんな時俺はハーモニカを吹いてみたいのさ。

あぁ、何でも最初が一番キツイな・・・


二律俳反ってあるよね

本来は並べられない、同時に成立させられないこと・もの

でも、ワガママになってみよう

そうすると”そもそも”が疑わしくなってくる。


俺が恐れてるのは

「現実主義を取ると、情緒が失われるのでは?」

という二律俳反だ、しかし

そもそもこの二つは両方同時に成立させられないものなのか?

ちょっと疑わしい。


現実主義というのは一つの思想、性格ではあるが

情緒は思想なのか?性格なのか?

ちょっと考えてみると情緒というのは

人間が本来備えている「機能」ではないか?

と思えてくる。




(”そもそも”を疑うと”新しい道”が見えてくる。平行線公準)


そもそも、「現実主義者が情緒的なのはおかしい」

という意見の根拠となるものはないのでは?

このどっちか一つでなければいけないという議論は

「情緒」というものが一体何のか?で変わってくる。


俺はこの「現実主義者は情緒的であってはならない」という

”古典的な”意見に反発して

「現実主義者でも情緒的であっていい」という主張を

何と言われようと通さなければならない。


いかんせん、さっき思いついたことだから

前途多難である、しかしギターでも将棋でも

大変なのは最初だけである、コツコツ積み重ねていけば

きっと一つの”スタイル”として認知されるだろうと

思う。

あぁ、これでいいのだと言ってみたい・・・


世間には面白い人がいる

ちょっと前まで憧れていた存在だ

やっぱり面白い人の方が好感度は高いよね

やっぱりそれが良心ってもんだよね。


面白い人っていうのは

その人独自の世界観ってもんがあって

言葉の端端に雰囲気がある

そういう人っていうのは友達も多いしモテる

と思う。


じゃぁ、自分はどうかというと

とても”無味乾燥”だ

これといった”世界観”はない

いかんせん現実主義者的性格が強い。




(やっと「これでいいのだ」の深さに気付いた。ありのままを肯定する大切さ)


昔AC JAPANのCMで

「あなたはあなたでいいのだ」というものがあった

正直イマイチ信じ切れなかった

ありのままの自分の恐怖に勝てなかった。


しかし、今となってはどんな自分でさえ

「これでいいのだ」と言えることの大切さが分かった

結局本当の幸せは自分らしくいれること

いついかなる時も・・・。


「あなたはあなたでいいのだ」

”無味乾燥”な自分でいい、現実主義者でいい

無理に独自の世界を持たなくとも、精神論を重んじなくとも

演じる必要はない、そのままが素晴らしいのだ。

あぁ、パクリだけど言ってみたいけど・・・


まだ何か成就したわけではないが

我慢できないので

今までの半生を振り返ってみる。


正直自分ではそんな不遇の人生だとは

思っていない、確かに

それほど幼少時代、青春時代と

謳歌してきたわけではないが

自分で不遇だったとは思わない。


しかし、何をやっても”道”が見えない人生

だったのは確かで

確かに誰かが支援してくれたわけでもなければ

「恩師」と呼べるような人もいない

それはただ単に俺が”ワガママ”だったから

だと思う。




(色々彷徨った半生だったが、結局は敷かれたレールの上を走っていた)


しかし、不思議である

ただ面白そうという理由で取った

大学での数学の講義が今の俺の人生を変えた

なぜこれほどまで数学に惹かれたのか?

自分でも分からない。


特に、意識したわけでもなく欲もなく

ただ面白いという理由だけで追求してたことが

後々の俺の人生を大きく変えたのは

それはこの世に生を受けた時から

決っていたことなのかもしれない。


「運じゃなく、運命だった」

これは映画「スラムドッグ$ミリオネア」の

キャッチコピーだ、世間は反発するだろうが

自分の感覚としては、こう思いたいのである。

あぁ、ガッチリとホールドしてる・・・


世間には「この人と言えば、コレっ!」

っていう人がいるよね

エリック・クラプトンと言えばギター

羽生善治と言えば将棋って。


でも中にはなかなかの業績を上げてるのに

それほどイメージが定着してない人もいる

誰とは言わないが、実際そういう人がいる。


でもそんな中にももっと不思議な奴がいる

特に業績を上げたわけでもないのに

「この人と言えば、コレっ!」という人がいる

・・・俺だ。



(世の中には「えっ!?なんで??」っていうことが起こる)


なぜ俺は「古森といえば、数学」というイメージが

はまったのだろうか?自分でも不思議だ

特に成績が良かったわけではない

専門的に学んだわけでもないのに

ガッチリはまってしまった。


はっきり言って根拠が分からない

なぜ俺にできると言い切れるのか?

俺の学力を知ってるわけでもない

俺のことなんてまるで知らない奴らだ。


まさかこの”無味乾燥”な人間に

これほどまで強力な”イメージ”が定着したのは

不思議でしょうがない、はっきり言って

成就する保証は無いに等しいのだが。


あぁ、想像力ってそんなにいらないかなぁ・・・


興味の対象は人それぞれだ

野球が好きだ、ヘヴィメタが好きだ、写経が好きだ・・・

色々あるし、興味が趣味があることは

とてもいいことだ。


でも人が興味の対象を制限したら

どんな世の中になるか?

しかも自制的ではなく第3者によって

自分の興味が制限されたら?

ちょっと想像力を逞しくしてみるべきだ。


よこしまな動機ではあるが

俺は女子プロレスが好きだ

でも、世間の女子プロレス好きが

女子プロレス禁止によって

見れなくなったらどうなるか?

きっと女子プロレスはこの世から消えるだろう。



(興味や好奇心が制限されたら、きっと世界は退廃する。)


歴史的に、好奇心や興味が

世界を変えるイノベーションの原動力だった

感情と知識の化学反応が”マジック”を生み出してきた

好奇心の制限は人生や世界を退廃させる。


俺に文句のある奴は一度

”獣”になることをお薦めする

獣になって一心不乱に何かを追いかけよう

”不発”を恐れてはいけない

不発を恐れては、成功もない。


「自分が何を求めてるかわからない・・・」

それは”獣”になってないからだろう

”獣”になれば自分が求めてるものがわかる

人間のままでは、一生分からないだろう。


あぁ、やっぱり贅沢なのかなぁ・・・


たしかに、大学時代熱心に就職活動は

しなかった

そもそも本当に会社員になりたかったか?というと

実はそうではない。


本音は自立できる収入と御飯が3食食えれば

よかったくらいで、そんな会社に対して

愛情や情熱なんてものはなく

ただ、給料が欲しかっただけである。


最近になって、声優さんやフリーアナのブログを

見ると特殊な商売の方が楽しそうと思えてきて

なにか”ボヘミアン”な生活が羨ましく思えてきた

そもそも俺は会社員には向いていないのだろう。



(特殊な商売・職業の方が安定する人が幸せになれる社会はいい社会だ)


自分は”変人”だ、筋金入りの”変人”だ

正直バランス型・ゼネラリスト型をよしとする

会社員には到底向いてない

俺はやっぱり”変な仕事”の方が楽しいと思える。


日本は会社員以外で自立できる仕事は

ほんの一部の職業だけだ、研究者より医者や官僚を

目指すのはそれを象徴してる

はたしてそんな社会は幸せな社会だろうか?


日本政府は明らかにアンバランス型・偏重型・スペシャリスト型を

排除してる、日本がつまらないのはそのためだろう

俺は日本の社会では幸せになれないのだと思う。