Math Geek:数学オタクの今日の出動命令!!

Math Geek:数学オタクの今日の出動命令!!

数学オタク士官候補生の、自分に対する
出動命令を書き綴りますっ!!

Amebaでブログを始めよう!

あぁ、なんて俺はつまらない男だろう・・・


ギリギリセーフっ!!何とか

「一日一記事」は守ったぞ・・・

でも友達もおらず、はっきりとした趣味もない

そんな人間が毎日ブログをやるというのは

かなり無謀だと分かった。


はっきり言って、自己啓発系の記事の

ネタがもう無い(笑)なので今日は

タネ明かしをしようと思う

俺のチェスの棋風について。


今まで何回か俺のチェスを見てもらってると思うが

見れば分かるとおりまったく強くない

お手つきも多いし、気まぐれだし・・・

じゃあ、どうやってるのか?というと

それは・・・受け・カウンター・総力戦だ。




(戦略系:縦の読みが全く出来ない・・・苦手、だから将棋・囲碁も無理だ)


俺の基本は受けとカウンターだ

そして一つのラインで受けたり、攻めたりせず

駒全部を使って一つの”生命体”のような陣形を作る

そしてクイーンやナイトを使ってカウンターを仕掛けるが

基本線だ。


そしてもう一つ重要なのが、”空間”だ

中盤に入ったらクイーンやナイトが

相手の駒の筋に入らない空間を見つける

そこに攻め込んで縦横無尽に

取れる駒を取っていくといった感じだ。


はっきり言って俺はまったく賢くない

将棋・チェス・バックギャモンは全くダメで

バックギャモンは大昔父親とやって惨敗して

泣いたくらいだ、だからみんな俺を買いかぶらないで欲しい。

あぁ、もうおんぶから卒業したいのに・・・


日本には「早い者勝ち」という言葉が

ある一方で、「残り物には福がある」

という言葉もある、これはとても

日本らしさがあっていい格言だと思う。


いつの時代にもその道の”先駆者”がいて

いつの時代にもその先駆者に続く者がいる

だれもやったことが無いことをやる

だれも作ったことが無い物をつくる

いわゆる”革命”という奴だ。


しかし、日本には悪習がある

”二番煎じ”という奴だ、研究開発を省いて

大きく儲ける、果たしてこれはいいことなのか?

先駆者となるリスクに怯えてるだけではないのか?

と思えてくる。




(”ロック・スライド”の先駆者。G・ハリスンは最大の尊敬を払うべき人物)


はっきり言って、先駆者のメリットを

明確に言葉で客観的に

納得させることは難しい

日本では先駆者はとかく”犠牲者”と認識されるからだ。


しかし、”創造性”に繊細な人は

自然と先駆者に対しては最大級のリスペクトを

払える、”誰もやったことが無いことをやる”

という行為がいかに難しいかを知ってるからだ。


日本人は特にビジネスにおいて

とにかく「大きく儲けた奴が勝ち」という風潮がある

しかしそれは海外では通用しない

日本再浮上の鍵はまさに”創造性”だ

外国の人はちゃんと評価してくれる。

あぁ、自分で言うのもこっ恥ずかしいが・・・


昨日、おとといと

ブログをサボったので

今日は2本書きます

一日一本を目標にがんばって行きます。


仏陀は伸び悩んでいる弟子に

こういう話をしたそうです

「大きく綺麗に咲く花ほど成長は遅い」

いわゆる「大器晩成」の話である。


禅宗などの本を読んでいると

「大器晩成」とはあまりにも大きい器のために

一生かかっても完成しない

ということらしいのです。



(大器晩成とは元々は禅宗の言葉である。)


種を土に埋めてすぐに花は

小さく質素な花であるという

逆になかなか芽が出ない

育つのに時間が掛かる花は

大きく美しいものなのだという。


世間では10代のアイドルが

もてはやされる、しかしそれは

本当に喜ぶべきことなのだろうか?

早すぎる”開花”は逆に可能性を

狭めてるのではないか?


アメリカなどでは若くして成功することを

非常に喜ぶ、しかし果たして

それが良い事なのだろうか?

人生は長い、若い時代は一瞬である

「熟成の必要性」は日本は守るべきである。


あぁ、忘れた頃にやってくるのね・・・


男の子なら言われたことはあるかな?

蟻をたくさん殺すと

「雨が降る」とか

いわゆる”バチ”が当たるという奴。


他にも「一円を笑う奴は一円に泣く」とか

世間に色々と、悪い行いを重ねると

必ず悪い結果で帰ってくる

という話がたくさんあるよね。


自分が「禅」についての本を

読んでいると「因果応報」という

キーワードによく行き着いた

それと同時に”化身”という言葉が引っかかった。



(”精神の膿”は”物質の膿”として現れると言われている)

人生における壁や障害、人物とは

それまで積み重ねてきた”悪行”や

逆に”善行”が人や物質に化けて

現れるという。


「因果応報」とは必ずしも「悪いこと」

だけのことを言わない「いい事」に対しても

言えるそうだ、また予兆や吉報、”知らせ”

なども人や物事に化けて現れるそうだ。


しかし、それは自分から「吉兆です」とかは

言わない、人間はそれを「察する」のである

禅宗では色々なことを教えてくれる

俺が今まで苦境を乗り越えてこれたのは

まさに禅の教えのおかげである。

あぁ、人生とは「今」の連続なんだなぁ・・・


俺は大学生活の中盤あたりから

禅や占いの算命学に

親しんできた

いわゆる「スピリチュアル」という奴だ。


色々な本を読んで禅や東洋思想を

学んだ、色々読んでいった途中で

「命分を知る」や「お役目」など

重要な概念に惹かれていった。


東洋思想を知る内にだんだん

苦しかったその当時の状況が

だんだん納得できるものとなっていった

そんな中で一番支えになったのは「お役目」だ。



(「社会からの要請」・・・それを日々待っていた。)


禅においては人それぞれ「命分(みょうぶん)」

というものがあるらしい、それは

人間には一生の内で「たべられるご飯の量」が

決まっていると言う。


人間は「お役目=天命」に従っていれば

ちゃんと死ぬまでの「ご飯」は約束されるのだと言う

俺もその「お役目」はどんなものなのかなぁと

半分楽しみにして苦境をしのいでいた。


なんとついにその「お役目」が分かったのだが

まさか「数学者」だとは思わなかった

数学者として生きれば「一生分のご飯」が約束される

いやぁ、人生何が起こるか分かりませんなぁ。


あぁ、不器用でいいのよ一生懸命なら・・・


学生時代、誰もが憧れた

「成績オール5」

なんでも率なくこなす

スーパーマンっ!!って

必ず一人はいたんじゃない?


どんな難しいことも

「この人に聞けば一件落着っ!!」

モテる学生の一つの条件だったよね

なんかかっこいいよね。


社会に出ても、色々な問題はある

だから色々なことを知ってる人は

すごい頼りになるという印象を与える

でも、本当に色々知ってるだけでいいのだろうか?




(アメフトの”キッカー”。力は集中するほど威力は高まる)


俺は問題だらけの人生だった

だから必然的に問題解決力が

磨かれた、だからこそ分かった

問題解決には”専門力”が必要だと。


そして時間は有限だからこそ

やるべきことは限られてくる

したがって、真面目にやろうとすれば

必然的に誰でも”専門家”になっていく。


これは個人的な”感想”かもしれない

俺はすごいスペシャリストの尊敬の念を抱く

そして俺は極度の面倒くさがり屋で怠け者だ

だからこそ、謙虚なポジションに就きたいのである。


あぁ、レベル上げに課金できたら・・・


ドラゴンボールやドラゴンクエストは

見ててやってて楽しいよね

悪い奴が出てきてやっつける

とてもシンプルだけど。


かっこいい技を修行して身につける

悪い奴らをやっつけて

誰かを助ける・・・男の子なら

だれだってやってみたいよね。


なんで男の子ってそうなんだろう?

歴史上男に成功者が多いのは

なぜだろう?それはつまり

男子の特性・・・ズバリ、問題解決能力と生産性だ。




(ヒーローになるための必須の能力は共通してる・・・赤が似合うではない)


人間だれしも成功したいと思う

世間には色々と”法則”が出回ってるが

実際はとてもシンプルだ、たった2つ

問題解決能力と生産性だ。


壁となっている障害を消す手段を考えること

人の役に立つものを作ること

問題解決能力と生産性は表裏一体の関係で

この2つが合体した時”イノベーション”が

生まれるのだ。


なぜ成功者は男ばかりなのか?

いやもうイラつくことはない

この2つの能力は女子だって身につけられる

ヒーローになるための必須能力の3つ目は

修行だ。

あぁ、どうしても無縁な物ってなるよねぇ・・・


小学校の時から

俺たちは色々なテストを

受け出すよね

褒められたいからね。


国語算数理科社会と

漢字を覚えたり、計算をしたり

学生は色々な問題を

何個も何個も解くよね。


でも、ちょっと気がかりなことがある

俺たちは色々なテストを

受けてるうちに、「知ってなきゃいけない義務」が

発生するようになったよね

でも、それ本当に知ってなきゃいけないこと?




(自分の生活に必要の無いものは潔く捨てることも大事だ)


俺たちは”無知の恐怖”に

無意識に怯えるようになった

「これ知ってる?」という問いに

「知らない」という選択肢がないのだ。


日本は伝統的に

「知らない」「分からない」という

”姿勢”に非常に”虐待的”だ

これは進歩を生むどころか”退化”

を生むのではないか?


自分の人生に関係ない、人生を向上させない

ことを”知らない”ことに萎縮することはない

”知る”には限界がある

「知らない」ことにも正当な理由はあるのだ。

あぁ、ささやかな喜びを大切にしたい・・・


ちょっと前まで、テレビなんかでは

雑学王やクイズ王が

持てはやされたよね

色んなことを知ってる人って

何かすごいね。


世間は色んなことを知ってる人

色んなことを理解できる人には

好感度が高くなるよね

「まさに敵なしっ」だからね。


でも、果たして”雑学王”って

本当に頼りになるのかなぁ?

やっぱり現実的に考えたら

世の中にはもっと複雑な問題があるよね?




(絶対的な信頼感とは漠然とした強さより、一つの確信で得られると思う)


社会には学校のテストとは

比べ物にならないほど難しい問題がある

ずっとそれについて考えてる人じゃないと

解決しないしものが多々ある。


日本はこれからは

ゼネラリストよりスペシャリストの養成が

大切だと思う、「これは○○に任せてダメだったらしょうがない」

こういう人が求められる時代だと思う。


スペシャリストの喜びは

最初はささやかなものだと思う

でも磨きをかければ、きっと

この上ない喜びを得られると思う。

あぁ、自分勝手ではないと思うけど・・・


21世紀に入って、日本でも

「結果が全て」って言われるようになったよね

スポーツ界は昔からそうだったけど

ビジネス界にも浸透した。


結果ってようするに、量より

”クォリティー”の話だと思うんだよね

つまるところ、「成績」のこと

厳しいけど、真っ当な話だよね。


やっぱり、ある程度のクォリティーがある

結果を出すには時間と労力を

効率的に要領よく分配する必要がある

それはつまり、余計なことはしない集中するということだ。




(エリック・クラプトン、彼の姿勢は職業を越えて見習うべき所がある)


俺はやっぱり数学に集中したい

数学一本に絞りたい、たしかに

ギタリストなんかは魅力もあるが

ミュージシャンはそれ相応に体力を使う。


世間の反発・反感はあるだろう

しかし、数学者として給料を貰う以上

それ相応の質の高い結果を出さなければいない

大々的な業績を上げただけに。


これは守りに入ってるわけではない

むしろこれは誠意ある選択だ

数学者に正式になれば相当な責任が発生する

それに対する答えが数学一本に絞る

ということだ。