9月28日。町田のスロットカーサーキット、レーシングパラダイス町田ベースが16年の歴史に幕を閉じた。それは同時に、関東における1/24スロットカー営業サーキットの終焉も意味する。恐らく第3次といってよいだろうスロットカーブームは、2000年初頭に始まったレーシングパラダイス等々力によって幕を開けた。それから四半世紀。スロットカーの熱心なファンとして、改めてその歴史を振り返りたい。
大井町線、等々力駅近くにレーシングパラダイスが誕生したのは2000年前後のこと。中学生で親から強制終了させられたスロットカー熱に再び侵されたのはこの時からだった。週末になるとレースが開催され、当時はレースごとに30人展度は集まる盛況ぶりで、場内は常に熱気に包まれていた。
レース後はお約束の集合写真。たぶんこれを撮ったのは私自身。前列中央にはこの頃熱心に通っていたレーシングドライバー(ホンモノ)のミヒャエル・クルムがいる。2列目右には当時まだお客としてここに通っていた、後のレーシングパラダイス町田ベース店長、N本氏もいる。後列にはこの時代からレーパラの最後を見届けるまで活動をつづけたN村氏やH口氏、T橋氏の顔も。
大きな転機となったのは、大資本が入り巨大なコースの集合体ができたスロットカーズ横浜(ミナモサーキット)が完成した時。等々力は閉店し、ミナモは1/32コースのみだったことから、レーシングパラダイスは現在の地、町田に移転。新たにレーシングパラダイス町田として活動を始める。
これは開店当時のレーシングパラダイス町田。レーシングパラダイスの名称と権利はこの時、等々力のオーナーだった、バンプロの伴野氏から新たな町田の社長となったE氏に譲渡された。
町田開店当時のコースがこれ。閉店するときは、コースが後の伴野氏がオープンした、バンプロサーキットから移設された。
大資本を受け入れて大々的にスタートしたミナモだったが、僅か1~2年で資本が撤退。閉鎖に追い込まれ、1/24サーキットはバンプロの伴野氏が、尾山台にあった自動車の洋書を専門に扱うリンドバークで細々と営業を続けた。
リンドバーグのコースはコンパクトだったうえに、1/32との共用で、なかなかレースを開催するには至らず、1/24サイズの本格的なレースはこの頃、レーシングパラダイス町田で行われていた。
そして、一念発起した伴野氏は、北新横浜の地にバンプロ・サーキットをオープン。再び1/24サイズのスロットカーの拠点が完成した。
こちらはオープン前の北新横浜サーキット。
そしてオープン後の最盛期にはご覧のような巨大なサーキットが3つ開設された。まさにスロットカーの聖地となったのである。右奥はまだ建設中の8レーン、ツインリンクサーキット。手前のブラックツィスターと建設中のツインリンクが、バンプロ北新横浜閉店時にレーシングパラダイス町田に移設された。
これはバンプロ北新横浜最盛期の頃のレース時の様子。やはり20人以上のスロッターが集まっている。
オープン当時のこの写真と比べると違いが判る。
バンプロのコースは6レーン。無理をして8レーンを作らない方がよかったと今になれば思うわけである。
レーシングパラダイス町田にあった1/32のコースは、九州のユノディエール経由で鹿児島のプライベートオーナーの元に嫁いだ。
これは、1/24スロットカーシャシーの基本構成。25年前も今も変わらない。
現在は各地にクラブサーキットが点在し、中京地区や大阪には今も営業サーキットが展開されているから、スロットカーの灯が完全に途絶えたというわけではないが、大きく後退したことは間違いない。















