気が付けば7月も終わり | モータージャーナリスト・中村コージンのネタ帳

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モータージャーナリスト中村コージンが、日々乗ったクルマ、出会った人、趣味の世界を披露します。

最低月2回は…なんて年始に目標を立てておいて、気が付けば7月はあと数日。しかもブログ更新ゼロ!まあ忙しかったことにして、ちょいとねじ巻いて今月のブログです。

Aから始めて順番に自動車メーカーの話でもしようかと。

Aと言えば勿論アルファロメオ。普通のクルマじゃつまんないんで、ちょっと変わったネタをご披露。それがこちら

その名もアルファロメオ・ビモトーレというグランプリカー。

1930年代中盤は戦争直前でエンジニアが色々と楽しいクルマを作った時代だった。

後半の1938年にアウトウニオンはV16気筒のミッドシップフォーミュラを作っているし、メルセデスはたった1回だけのトリポリグランプリ用に1.5㍑F1を作り見事にワンツーフィニッシュをして、そのままお蔵入りとか、とにかく変な時代だった。

16Cビモトーレの誕生は1935年。アルファに在籍したエンツォ・フェラーリが1932年にレースを引退し、スクーデリア・フェラーリの運営に専念。アルファをレースで走らせたのもつかの間、経営危機に陥ったアルファがスクーデリア・フェラーリにレース活動を委任。それでもドイツ勢の異常にパワフルなマシンに対抗するには強力なマシンが必要ということで、当時フェラーリの片腕エンジニアだったルイジ・バッツィの提案を受け入れて、前後に直8エンジンを搭載するビモトーレが完成する。しかし、テスト走行から問題が発生。その問題はパワーに対してタイヤが持たないというもので、ビモトーレは何と540bhpものパワーを持っていたから当時のタイヤが持たなかったのも無理はない。

結局ビモトーレは1935年1シーズンでレースから撤退することになるのである。

写真はアルファロメオミュージアムにあるビモトーレ。何でもフェラーリのエンブレムをつけた最初のアルファロメオだったとか。しかもこのクルマにはついていないけれど現存するもう1台にはフェラーリのエンブレムとアルファのエンブレムがグリル周りに共存する珍しいモデルなのだ。