昔話を今に。フィアット124アバルトラリー | モータージャーナリスト・中村コージンのネタ帳

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トリノのチェントロストリコ・フィアットという博物館を訪れ、そこの館長から好きな車に乗っていいよというとてつもなく有難いオファーを受けたことは前回記した。そして選んだ車がフィアット8Vとアバルト124ラリーであることも記した。今回はそのアバルトラリーの話をしよう。

〇セダンのフィアット124。一応ヨーロッパカーオブザイヤー受賞車である。

 

フィアット124は1966年にセダン、クーペ、そしてスパイダーという一連のシリーズモデルとして誕生したもので、このうちスパイダーだけはショートホイールベースのプラットフォームが使われたモデルだった。セダンは例によって四角四面でちっとも面白くないデザインだったのだが、それでも1967年のヨーロッパカーオブザイヤーを獲得し、フィアットの政治力の強さを見せつけた。と言っても当時としては本当に車が良かったのかもしれないが…。さすがイタリアと思わせるのは2種のOHV直4エンジンと並んで、3種類のDOHC直4が用意されていたことで、アルファと並んでこの時代のイタリアンセダンはDOHC当たり前の雰囲気を見せつけていた。因みにランチアは同じようなサイズのセダンがV4エンジンを搭載していたから、やはりユニーク。しかしスタイルはアルファのジュリアも含めて、当時個人的には全く刺さらないデザインであった。
 しかしそれとは対照的にこれがクーペやスパイダーになると俄然華やいだデザインになる。クーペはあのフェラーリ250GTボアノをデザインしたマリオ・ボアノ。そして今回の主役であるスパイダーはピニンファリーナとされているが、実際デザインしたのはその当時ピニンファリーナに在籍していたあのトム・チャーダである。チャーダといえばデトマソ・パンテーラがあまりにも有名だが、いすゞMX1600のデザインも彼によるものである。

 

〇チャーダデザインの124スパイダーも、グループ4マシンになると黄色いオーバーフェンダーや、リアのエアインテークなどかなり戦闘的ないで立ちとなった。

 

さて、その124スパイダー、搭載していたDOHCエンジンが元フェラーリのアウレリオ・ランプレーディ設計によるものだから、潜在的なポテンシャルが高く、69年からはラリーカーとしてデビューしている。当初はプライベートドライバーによるエントリーだったが、アンダーパワーのエンジンにもかかわらず、その優れたロードホイールディングやウェイトバランスで結構な活躍をした。そして1970年からは本格的なワークス活動を開始。手始めはイタリアンラリーチャンピオンに挑み、その年のタイトルをランチア・フルヴィアから奪い取ると、71年にはフィアット傘下となったアバルトによる本格的なワークス活動が始まった。 車体は90㎏も軽量化され、エンジンもさらに強力な1.6㍑ユニットが搭載された。そして72年にはヨーロッパラリーチャンピオンのタイトルを収めるのである。

 


〇アウレリオ・ランプレーディ設計の直4DOHCユニット。最終的には16バルブ215psとなったそうだ。

 

1972年末には車名をフィアット124アバルトラリーとし、73年シーズンも良い結果を残す。74年シーズンはエンジンが16バルブ化され、そのパワーはついに200psの大台に乗った。そして75年、再びエンジンに手が加えられ、燃料噴射の助けによりパワーは215psを絞り出すまでに至るのである。この年はあのハンヌ・ミッコラも124をドライブし、そのナビを務めたのは後にフェラーリのF1チームボスとなる若き日のジャン・トッドであった。73年シーズンから既にマシンはグループ4にホモロゲートされており、215psに僅か930kgと軽い車体は存分に強みを発揮。ワークスのマウリツィオ・ベリーニとフランチェスコ・ロゼッティ組のマシンはフランス、スペイン、イタリア、ユーゴスラビア、ポーランドのラリーで勝利し、見事再度ヨーロッパ・ラリーチャンピオンの座を射止めるのである。
 その優勝マシン、登録ナンバーL69745TOこそ、当時フィアットの博物館、チェントロストリコ・フィアットに展示され、今もFCAのヘリテージハブというアルファ、フィアット、ランチア、アバルトを集めたミュージアムに展示されているマシンそのもの。そして僕がドライブしたマシンそのものなのである。
 

〇L69745TOの登録ナンバーが読み取れると思うが、このマシンは今もFCA(ステランティス)のヘリテージハブというところに展示されているそうだ。

 

8Vから比べたらはるかに乗り易く、めちゃくちゃトルクフルだったことと、これまためちゃくちゃにクロスしたギアレシオは、例によって隣から飛んでくる「プレスト!」の怒声と共に、こちらも少しは慣れたこともあって、しっかりとアクセルを踏めるようになっていたからそりゃあ速いのなんの。でも、それほど怖くもなくピュンピュンと走る。なんでもお目付け役に言わせるとトツプスピードは精々160km/hだとか。どこからのラリーに合わせたギアレシオなのだろうが、シフトアップしていってもエンジン音がほとんど変わらず、ただ、ヴァーン、ヴァーンと同じ音質音量が出てくるだけである。ヴァレンティノ公園では走りに写真が撮りたいからとお目付け役に走らせたところ、見事にドリフトを決めてくれた。僕はとてもじゃないが、博物館のクルマでそんな芸当をすることはできなかったけれど、要するに潜在能力はそんなポテンシャルがあるということを見せつけてくれたのである。

 

〇お目付け役が結構カッコよく決めてくれたのだが、如何せん撮る方の腕は決まってなかった。

 

〇リアのプレートだと順序が逆になっているが69745はよくわかる。

 

〇コックピットはこんな感じ