役得取材:その1 | モータージャーナリスト・中村コージンのネタ帳

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モータージャーナリスト中村コージンが、日々乗ったクルマ、出会った人、趣味の世界を披露します。

こういう職業についていると、時々とんでもない役得にありつくことがあります。時は1978年。当時僕は世界の自動車博物館シリーズという本を刊行するにあたり、ヨーロッパを取材で飛び回っていました。このうち3つの博物館はちゃんと本になりましたが、シリーズはこれで打ち止め。取材だけ済んで本にならなかった博物館もかなりあります。そのうちの一つがフィアット博物館でした。

ほぼ一週間かけて、さして広くない館内をくまなく写真に収め、足が無かった初めの2日間は何とホテルまで送迎付き。しかもそのクルマがフィアット130クーペでした。3日目以降は広報車をお借りして(131ミラフィオーリ・ディーゼル)、モンブランを越えてシャモニーまで足を延ばしたりと、大いに楽しみながらの取材でした。館長ともすっかりと打ち解け、取材の終わりに館長から思いもかけないオファーを頂きました。曰く、館内の好きなクルマに試乗させてあげるから、言いなさいと。

そこで、ほぼ迷わず出した答えは「メフィストフェレに乗せてください」です。因みにメフィストフェレはこちらのクルマ↓


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このクルマ、1924年に速度記録を作ったモデルで、当時出した記録は234.98㎞/h。エンジンは直列6気筒21706cc。21.7リッターという巨大なエンジンです。

僕のお願いに館長はすぐさま反応。「あれはダメだ。仮ナンバーが付かないから。仮ナンバーの付くクルマにしてくれ」ということ。そこで館内を見渡して、ならばとお願いしたのが、フィアット124アバルトラリーです。しかもこのクルマ、1975年にマウリツィオ・ベリーニがドライブし、ヨーロッパ・ラリーチャンピオンシップのタイトルを獲得したクルマそのものです。つまり、ワークスのラリーカー。そんなクルマに乗せてもらっていいのかって、半信半疑でしたが、さらに驚かされたのは館長の次の一言「ほかには?」で、もう1台乗せてもらいましたが、その話は次回。

とにかく、翌朝いつも通り博物館の前に行くと、何と昨日までディスプレイされていた124が路上にいるではないですか。↓
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写真の奥の扉が博物館の正面玄関。トリノフィアット本社の一角にあるため、このようにちんまりとした入り口なのです。というわけで、隣にフィアットのお目付け役(メカニックですが)を乗せて、彼の指示する方向に向けて走りだしました。

驚くことに、ワークスラリーカーといえども実に乗り易いクルマで、ごくごく普通に走れます。

そして、トリノの山を一回りしてからバレンティノ公園で、撮影。


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そして、せっかくだから走りの撮影がしたいと思い、そのメカニック氏に走ってもらいました。しっかりドリフトを決めてくれるあたりはさすがでした。


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エンジンは1.6㍑DOHCで、当時は210psほど出ていたようですが、そんな感じはまるでなし。メカニック氏の話では最高速は精々160㎞/h程度だそうで、何ともそのギアは驚くほどのクロスレシオだから、山登りなどは得意中の得意です。しかもシフトアップして行ってもエンジン音はほとんど変わりません。それほど、クロスしたギア比を持っているスペシャルマシンなのです。


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インテリアはまさしく昔のラリーカーという感じ。↓


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運転に集中するため、余計なものはいじりませんでした。とにかく素晴らしい体験でした。そしてこちらのお方に感謝。どうしても名前が思い出せませんが、フィアット博物館の当時の館長です。↓


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そして、最初の2日間送迎に使ってくれた130クーペとはこんなクルマです。↓


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次回は、ほかには?と言って貸してくれたもう1台のお話です。