自動車デザイナーのお仕事 | モータージャーナリスト・中村コージンのネタ帳

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モータージャーナリスト中村コージンが、日々乗ったクルマ、出会った人、趣味の世界を披露します。

今日は、大田区産業会館で開催された、自動車デザイナーによるトークショーに参加。出席されたデザイナーは元オペルの児玉英雄さん、それにホンダからオペル、その後再びホンダの経歴を持つ青戸務さん、それにザガート勤続18年という原田則彦さんのお三方。児玉さんは、オペル一筋、そして複数のメーカーを経験された青戸さんと、大メーカーとは異なるデザインの専門会社一筋の原田さん。

一口に自動車デザイナーといっても、そのお仕事の内容は大きく異なっていることを今日知ることが出来ました。簡単に言ってしまえば、量産市販車のデザインとワンオフのデザインでは、そのアプローチからデザイン手法からまるで異なっているということです。ロマンをそのまま形にしていくことのできる原田さんの境遇は、多くのデザイナーが憧れるとことだと思いますが、一方で数多くの人種とともにチームを組んでデザインに取り組んで来られた児玉さんは、多くの人に使ってもらえるクルマのデザインがしたかったということで、それはそれで原田さんが出来ない分野のデザインであったことが感じられました。また、青戸さんはあの本田宗一郎と一緒に仕事をした稀有なデザイナー。青戸さんに言わせればチーフデザイナーは常に本田宗一郎だったそうです。

自由奔放にデザインが許される立場にある原田さんのレンダリングは、やはりそこに描かれているクルマに大いなる魅力を感じました↓


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また、ワンオフのモデルの作業風景を見て、原田さん自身が感動したと話されていましたが、写真を見ても量産モデルの緊張感はまるでない、何処か牧歌的雰囲気も伝わります。↓


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それにしても立場の異なるお三方に共通するのは、世界に羽ばたいて大活躍された日本人という一点。特に児玉さんの場合は先駆者として後に児玉さんに続く多くの日本人デザイナーが世界に羽ばたいたことを考えれば、その足跡は非常に大きなものがあると思います。かく言う僕も1977年に児玉さんのもとを訪れ、ジャーナリストになるためのイロハを教わりました。↓
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左から、原田さん、青戸さん、児玉さんです。


最後にお三方にゆかりがあって個人的に好きなモデルの写真ですが、これらすべては大田産業会館に展示されたもの。合計で20台ほどが展示されました。


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初代オペルカデットです。日本ではいすゞ・ジェミニでした。児玉さんは恐らく直接は関与されていないと思いますが…


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ホンダN360・・・ではなくて珍しいN600です。青戸さんはこのクルマで本田宗一郎さんとともに仕事をされたそうです。


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ザガートが輝いていた時代のランチア・フルビアザガート。勿論原田さんは関与していません。イタルデザインがVW傘下になり、ピニンファリーナは往時の輝きを失い、ベルトーネは一度は倒産の憂き目にあうなど、イタリアのカロッツェリア衰退が顕著な中で、ザガートはカロッツェリアの神髄ともいえる、フオリセリエ(ワンオフ)の制作で成功している数少ないカロッツェリアです。今やそのチーフデザイナーが日本人なのですから、素晴らしいの一言です。