はじめまして、4年の山手といいます(^∇^)
ブログというものを初めて書きます。
さてどんな文章ができるでしょうか。
皆さん、わくわくしてきませんか
(笑)
ってことで早速初めて行きたいと思います。
色々なコラムが乱立していて少し見づらくて申し訳ないのですが、
今回のテーマは「なぜPACEは支援先をピス村にしたのか」です。
さて皆さんすでにご存知(?)かと思いますが、
ピス村とは私たちの新たな支援先であり、現在井戸支援を行なおうとしている場所です。
しかしPACEはこれまで教育支援団体として、カンボジアの学校に対する支援を行なってきた団体でした。
なぜピス村という”村”に支援対象が移ったのか?
今回は之までの経緯をお話したいと思います。
HPにも書かれていますが、2010年2月チュローク・チャー小学校の
周りが突然整地化され、多くの住民が立ち退きを余儀なくされました。
そして企業が立ち退きを命じた人々に対して新たに居住地として指定した場所がピス村でした。
その事実を認識しながら、私たちは2010年8月にピス村に訪問しました。
そこで目にした実態は私たちの心をえぐるものでした。
企業は土地だけを与え、家は立ち退きにあった人々が自ら建設し、
本来であれば学校、病院、井戸などのインフラを企業が用意しなければならないものも
未整備のまま、人々だけがピス村に移動させられていたのです。
「ここでの生活は刑務所の中にいるようだ」
この言葉はピス村に移り住んで3ヶ月目だという女性から聞いた言葉です。
よくなる見通しのない生活、一体自分の未来はどうなっていくのか?
そんな状態を「いつになったら刑務所から出ることができるのか?」「刑務所から出た後の私はいったいどうなるのか?」そんな未来に不安を感じている刑務所で暮らす囚人に例えて発した言葉なのでしょう。
そんな劣悪な環境にもかかわらず、ピス村には一つもNGOが入っておらず、
どこからの助けもない状態でした。
私たちはこの事実を目撃し、「この村の生活を改善したい
」
素直にそう感じました。
しかし教育支援団体として支援を拡げすぎることへの抵抗は当然ありました。
団体としての方針がぶれてしまうのではないか?団体の当初の目的と変わってしまうのではないか?
そんな懸念がありました。
私たちはその懸念点に向かい合い考えました。
その結果ピス村への支援に本格的に乗り出したのです。
なぜか?
そもそも私たちがチュローク・チャー小学校に支援するに当って「村全体を巻き込んだ支援」
という支援の軸を設けていました。
これは私たちが支援を行なうに当って、支援者と被支援者の間に依存関係を生みたくない。
私たちが撤退した後も、村全体で小学校を良くしていこうとする環境をつくることが必要だ。
という思いで建てた支援の軸でした。
この支援の軸はピス村でも当てはまることだと考えました。
教育は村全体でよくしていくものである。
2010年の8月時点で私たちは、この地域全体が「教育どころではない」というものを感じました。
しかし子どもたちの未来を築き上げるためには教育が必要であり、
それは村全体としてそういった意識を高めることが必要であると思いました。
まずは教育に目を向ける環境をつくる。
教育を受けられる環境をつくる。
それは教育支援であり、教育支援団体として方針がぶれることはないという判断でした。
こうして私たちのピス村への支援は開始されたのです。
そしてこの流れの中で「なぜ井戸支援なのか」というコラムにも書かれていた通り、
教育を受けられる環境づくりををするために
私たちは井戸支援を行なおうと考えました。
なので是非ご協力をいただけると大変嬉しいです![]()
よろしくお願いいたします(。-人-。)
ブログなのに少し固くなってしまったかな?![]()
ではではヽ(゚◇゚ )ノ