いよいよ終盤戦に突入した三溪園散策です。これまでは様々な建物を見て回って来ましたが、
今回は旧矢箆原家住宅の建物の中も見学できるという事で、旧矢箆原家の中を見て回ったので、
移動距離としては短くなっていますが、家の中の狭い範囲でグルグルと回って来ています。
という訳ですが、まずは横笛庵からスタートです・・・ ↑
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横笛庵(よこぶえあん)・・・
茅葺の屋根と厚めの板を使った栩葺の屋根を組み合わせた素朴な建物で、この名前は内部に置かれていた横笛の像にちなみます。横笛は、平安時代の末に平清盛の娘の建礼門院に仕えた女性で、斎藤時頼という武士との結ばれることのなかった恋の話が平家物語に伝えられています。この横笛の像は時頼から送られた恋文を使って横笛自らが作ったものとされ、縁結びの像として祈願に訪れる人でにぎわいましたが、第二次世界大戦中の空襲により失われてしまいました。 建築年:明治41(1908)年
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続いて、旧東慶寺仏殿にやって来ましたが、大規模修繕工事中でした・・・ ↓
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旧東慶寺仏殿(きゅうとうけいじぶつでん)・・・
縁切寺・駆け込み寺の名で知られる鎌倉・東慶寺にあった禅宗様の建物で、江戸時代の初めごろに造られたものと考えられています。東慶寺は明治時代以降衰退し、建物の維持が困難になっていました。これを憂えた原三溪は、明治40年・1907年に三溪園に移築しました。この時、三溪によって建物内に納められた棟札には、禅師説法の道場にするため、そして三溪園の鎮護とするために移築したことが書かれています。
建築年:江戸時代初期 移築年:明治40(1907)年 国指定重要文化財
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そして、やって来たのが旧矢箆原家住宅です・・・ ↓
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旧矢箆原家住宅(きゅうやのはらけじゅうたく)・・・
飛騨白川郷の一部、現在の高山市荘川町にあった、合掌造の民家建築です。ダムの建設によって水没する地域にあったため、三溪園に移築されました。玄関や書院造の座敷など立派な接客の空間を備え、寺院建築などに見られる火灯窓と呼ばれる火炎型の窓が付けられるなど、農民ながら飛騨の三長者の一人といわれた矢箆原家の繁栄ぶりを伝える、現存する合掌造では最大級の建物です。屋内では、移築の際に飛騨地方から集められた民具が展示されているほか、囲炉裏には毎日火が焚かれています。黒光りした柱や梁、煙の匂いからは白川郷の昔の暮らしを感じとれます。
建築年:江戸時代後期 移築年:昭和35(1960)年 国指定重要文化財
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家の中も見学できるという事で、靴を脱いで上がります・・・ ↓
柱時計は歴史を感じますが、スポットライトはちょっと場違いな感じ・・・ ↓
板の間の真ん中に囲炉裏がありますが、火は焚かれていません・・・ ↓ 奥には和室が見えています。
和室には文机と肘掛けが置かれていました・・・ ↓
こちらは仏壇でしょうか、欄間のデザインも面白い・・・ ↓
裏側に回ると、こちらにも囲炉裏が・・・ ↓ こちらは火が焚かれ、煙の匂いも味わえます。
建物を出て裏側に回ると、薪がたくさん積んでありました・・・ ↓ 赤い丸は非常ベル?
こちらが建物の正面かな???これが合掌造というやつですね・・・ ↓ 次回、ついに最終回・・・つづく。
三溪園散策〓fab44〓其の六