「因果関係は存在するのか」というのは、「自由意志は存在するのか」「個人は存在するのか」などと同様に、スピリチュアルや悟りの世界で議論されてきた「存在するのか」シリーズのテーマである。

 

このブログの熱心な読者であれば、結論は知っているはずである。宇宙の創造主の究極視点から見れば「因果関係は存在しない」が答えである。

 

もっとも、そこで終わりであれば、この記事の存在意義がない。ここではもう少し丁寧で正確な描写を試みたいのである。

 

本題に入る前に、まず復習をしておこう。

 

「自由意志は存在するのか」の答えは、「存在するとも存在しないとも言えるが、宇宙の創造主の究極視点から見れば個人の自由意志は存在しない。ただし、全てが決定済みの宇宙を体験できる存在は誰もいない。だから、見掛け上の自由意志は存在するとも言える」である。まあ、うちの守護霊チームの瀬織津姫によれば、但し書きは不要で「自由意志は存在しない」の方が言い方として良いそうではある。

 

次に「個人は存在するのか」の答えは、「存在するとも存在しないとも言えるが、自由意志を発動する主体としての個人は存在しないものの、体験の主体としての個人は存在するとも言えることを理解すべきである」となる。なぜなら、あなたの人生体験と私の人生体験は明らかに異なるからである。そして、個人としての体験が不要であるならば、宇宙は見掛け上の分裂など起こさずに、見掛け上ですらワンネスのままでいたはずだからである。神(全体意識)が人間(個人意識)としての体験をする場が人生であり、宇宙であると考えられるのである。人間(個人意識)としての体験をしているのだから、それを100%否定しても仕方ないであろう。

 

では、本題。「因果関係は存在するのか」。

 

これは自由意志の問題と関連している。自由意志がないということの意味は、つまり、宇宙の創造主が全てを最初に決めてしまったということである。

 

我々には未来の予測は不可能であるし、高次元存在たちにとっても、天使たちにとっても、完全な形での未来の予測は不可能である。

 

しかし、宇宙の創造主にとっては、次の瞬間に発生する出来事は100%の確実性をもって言い当てることができる。なぜなら、自分で宇宙を創造したからである。そこには「サイコロを振る」などというランダムな出来事は存在しない。

 

人間にとってランダムに見える出来事であっても、創造主にとっては次のサイコロの目が例えば2であることはわかっているのである。確率1/6ではなく、確率100%。それが、創造主視点である。

 

次に起こる出来事は決まっているので、因果関係はないということになる。

 

もう少し説明するとすれば、創造主にとっては時間軸など存在せず、全ての個人意識にとっての全ての瞬間を最初に静止画として描いてしまっており、この静止画を連続して体験することによって擬似的に個人意識が時間を感じられるように錯覚させているということなのである。

 

この話も過去記事にあるので、以下を参照していただきたい。

 

時空間という神秘

時空間という神秘(2)

 

要するに、ある瞬間の静止画の中にカレンダーとか時計が登場することなどによって、あるいは記憶というその時点の設定情報によって、現在は2019年3月○日、△時□分などと思い込まされているという話である。全体意識による聖なる催眠によって。本当は「いま」しかないのに。

 

そして、ある瞬間の静止画の中に地図とか住所とかが登場することなどによって、あるいは記憶というその時点の設定情報によって、現在いる場所が東京都○区××町などと思い込まされているのである。全体意識による聖なる催眠によって。本当は「ここ」しかないのに。

 

本当は瞬間、瞬間の体験にすぎないのである。しかし、聖なる催眠によって、時間、場所、自分が誰であるかというアイデンティティーなどをその瞬間における前提条件の設定として認識するようにできているのである。それが宇宙の創造主が仕組んだ催眠なのである。

 

ここまでが話の半分である。ここからがこの記事で本当に言いたいこと。

 

では、因果関係がないのだから、「どんな努力もムダだし、悟りに向けての瞑想などもムダだし、引き寄せの法則なんて意味がない」と思うかもしれない。

 

まあ、究極視点では正しいことは正しいのだが、そう捨てたものでもないのである。宇宙はそんなに単純には作られていない。

 

仮に、もしあなたが今まで努力などしたことなかったのに、努力に目覚めて人生を良くしていきたいという気持ちが強烈に湧いてきたとしたら、それは非常に喜ばしいことである。

 

仮に、もしあなたが今まで全く瞑想に興味がなかったのに、瞑想をしてみたいという気持ちが起こったとしたら、それは非常に喜ばしいことである。

 

仮に、もしあなたが今まで引き寄せの法則に興味がなかったのに、引き寄せの法則を使って願望を実現したいと思ったとしたら、それは非常に喜ばしいことである。

 

何を言っているか、理解していただけるだろうか。

 

これらは、あなたの意識レベルが向上しつつあるサインであるし、あなたが望む方向に向かっているサインであると言っているのである。

 

創造主視点では、あなたが努力したり、瞑想したり、引き寄せをやってみることは決まっていたことなのだけれども、表面的な世界においては、実際にそれらをやることで願望実現や悟りに近づくのである。そのように決まっていたのだから。従って、創造主が決めた通り、努力、瞑想、引き寄せをやってみればよいのである。

 

「究極的には因果関係は存在しない。しかし、あたかも因果関係が存在するかのように宇宙はできている」

 

これが私が言いたいことである。

 

もし、あなたの意識レベルが非常に低かったとしたら、人並み以上の努力をしようなどという気持ち自体が湧いてくることがない。その気持が湧いてきたのであれば、その通りに行動すれば、あなたが何らかの意味で成功するチャンスが出てきたということなのである。

 

もちろん、個人意識の視点から見て100%の成功などありえない。宇宙はそう単純にはできていない。個人意識に全てを予測されてしまうような、つまらない宇宙ではないのである。全体意識、つまり宇宙の創造主は個人意識よりも何枚も上手なのであって、その点では安心して良いのである。

 

まあ、失敗したり、時には成功したり、ジグザグに進みながらも全体としては右肩上がりになっているというイメージである。

 

だから、失敗しようが、成功しようが、とにかく努力をしたいという気持ちが湧いてきたのであれば、その通りにすれば良いのである。「ハートの声」に従うということである。

 

同様に、瞑想をしたいという気持ちが湧いてきたのであれば、それはそう思わなかった時と比較すれば悟りに少し近い位置にいるというサインである。あなたの意識レベルが低すぎるならば、瞑想しようなどという気持ちが湧いてくるはずもないのである。

 

引き寄せの法則だって同じこと。それを知ったということは、少しは願望実現に近づいたというサインなのである。それが上手く行くかどうかは別の話。まあ、100%上手く行くような、単純な宇宙でないことは確かであるが。

 

そして、引き寄せの法則についても因果関係と同様のことが言えるというところが重要である。

 

「引き寄せの法則は存在するのか」の答えは、次のようになる。

 

「究極的には引き寄せの法則は存在しない。しかし、あたかも引き寄せの法則が存在するかのように宇宙はできている」

 

まあ、3次元レベルだと願望実現の阻害要因がたくさんありすぎるので、引き寄せの法則もあんまり機能していないように見えるが、そういった次元や意識レベルに応じて引き寄せの法則がどの程度機能するのかなどといったことも、「あたかも、そういったルール(意識レベルが高いほど引き寄せが機能する)があるかのように宇宙はできている」のである。

 

ほかの願望実現法や宇宙の法則も引き寄せと同じようなものである。

 

「究極的には吉方位・凶方位の法則は存在しない。しかし、あたかも吉方位・凶方位の法則が存在するかのように宇宙はできている」

 

「究極的には星の配置による影響(占星術的なこと)は存在しない。しかし、あたかも星の配置による影響が存在するかのように宇宙はできている」

 

「究極的には波動の法則は存在しない。しかし、あたかも波動の法則が存在するかのように宇宙はできている」

 

※ ここでの「波動の法則」とは、全ての存在には固有の波動が存在すること、その波動によってお互いに影響を受けることは避けられないということ、従って近くにいる人の影響は必ず受けるということなどを指す。

 

「究極的には自分の現実は自分が出している波動が作っているなどという事実はない。しかし、あたかもそうであるかのように見えるように宇宙はできている」

 

ほかの何でも同じことである。私が言いたいことをご理解いただけたであろうか。

 

覚者の方には私の言っていることを完全に理解していただきたいとも思うのであるが、それ以外の方、もし私の言っていることが難しくてよく分からなかったという方がいても、途中を省略して結論を覚えておけば、今の段階ではよいかもしれない。

 

「あたかも○○が存在するかのように宇宙はできている」のだから、○○があると思って行動すればよいだけである。

 

因果関係があると思って行動すればよいし、波動の法則、引き寄せ法則、自由意志、星の配置の影響、吉方位・凶方位があると思って行動すればよいということになるのである。

 

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