「色即是空」「空即是色」
般若心経に出てくる有名な言葉である。形ある見た目の世界(色)は実は存在しておらず(空)、逆に、何も存在していないところ(空)から全ての形あるモノ(色)が生まれているという意味である。
このように「色即是空」と「空即是色」の両面を同時に考え、また「色」と「空」の両面を同時に考えることが重要である。
今回は物事を両面から考えるという話をしたい。
例えば、非二元の世界で言われる「この世界は現実かつ非現実である」という言葉は、「現実」と「非現実」の両面から同時に考えることが重要である。
この世は「非現実であり夢や幻のようなもの」で終わってしまうのではなく、「夢や幻程度には現実でもある」という視点からも見ることが重要なのである。
「非二元」だけをありがたがるのではなく、「非二元」と「二元」の両面から同時に考えることが重要である。
また、宇宙の創造主の究極の視点からだけ世界を見るのではなく、「創造主視点」と今あなたが存在している次元の「3次元視点」を同時に持つことが重要である。
同様に、自由意志は「存在している」のと「存在していない」の両面から同時に考えることが重要である。
個人は「存在している」のと「存在していない」の両面から同時に考えることが重要である。
覚醒を目指している段階においては、どうしても非二元の考え方が必要となる。そのため、「空」のみに焦点を当て、「非現実」のみに焦点を当て、「非二元」のみに焦点を当て、「創造主視点」のみに焦点を当て、「自由意志は存在しない」のみに焦点を当て、「個人は存在しない」のみに焦点を当てるといったことをしがちである。
これは、ある段階においては良いのである。普通の人というのは、これまで「色」「二元」側のみに焦点を当ててきたのだから、それを矯正するには一時期思いっきり「空」「非二元」側に振ってみることも必要ではあると思う。
しかし、実際には、これらの対は同時に成り立っているものばかりなのである。一見正反対に見える真逆のものが同時に成り立つところが、宇宙の奥深さであり、面白さなのである。
宇宙とは「全ては幻、以上」という話なのだろうか。「個人は存在しない、以上」で終わりなのだろうか。「分離は存在しない、全てはワンネス、以上」なのだろうか。
もし、そうであるとするならば、宇宙は現在のような姿になっていないはずである。そもそも分離しなければ良かったのだから。
全体意識は、無数の見掛け上の個人意識を生み出し、幻の時空間を創り、幻の次元・宇宙を創り出した。それぞれの個人意識にキャラクターやストーリーを与え、さまざまな体験を可能にした。
せっかく、そのような体験ができる場を創り出したのに、「全ては幻」「個人は存在しない」だけで終わってしまったとしたら、何のための宇宙なのだろう。
だから・・・。全ては両面から考えるのである。同時に成り立っているのだから。
「色」「二元」だけの世界に生きてきたのが、これまでの平均的な地球人。「空」「非二元」だけに焦点を当てがちだったのが、これまでの地球の覚者。
それに対して、「空」「非二元」を知りながら「色」「二元」の世界も生きていくのがアセンション後の地球人である。人生というゲームのルールが改訂されたのである。アセンション後には新たなルールで人生というゲームを楽しむようになるのである。自分とは何か、宇宙とは何か、ワンネスも空も知った状態で個人としての人生を生きるのである。
私のお奨めは、何にしても両面から考えること。宇宙の創造主の究極視点からも考えるけれども、今現在3次元の地球にいることにも意味があるわけで、3次元の視点からも考える。
例えば、究極的には「誰も何も悪くない」。しかし、3次元視点では殺人もドロボーも悪い事である。この両方の視点を持つ。同時に両面から考える。
究極的には善も悪もない。全ての悪は御用の悪である。しかし、3次元という次元は善・悪の意見表明をしなければならない次元でもある。この両方の視点を持ち、同時に両面から考える。
究極的には全てが愛であり、好きも嫌いもないはずである。しかし、3次元という次元は好き・嫌いの意見表明をしなければならない次元でもある。この両方の視点を持ち、同時に両面から考える。
おおむね、このように両面から考えておけば、宇宙に対してバランスの取れた見方をすることができると私は思っているのである。
ここで話を終わりにしておけば綺麗にまとまるし、一般向けのお話としてはここまでなのだが、以下、超上級者編を続ける。
実はうちの女神様7人の中で、この言い方が気に入らない人が一人いるのである。「運命と自由意志(2)」という記事から引用する。
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「宇宙の創造主であるマスタークリエイターの視点からは全てが決まっているが、誰もその視点を持つことはできない」、ということなので、ここに「見かけ上の自由意志」が発生するということなのである。
「見かけ上の自由意志」と呼びたければ呼んでも良いし、結局、事実上自由意志があるのと同等だと考えれば、単に「自由意志がある」でも良いのである。逆に、マスタークリエイターの視点で語れば、「真の自由意志はない」でも良いのである。
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「間違っているわけではないので訂正する必要はないけど、この書き方は気に入らないし、自分ならこうは書かない」
などと、面倒くさいことを言い出す人が一人だけいるのである。
うちのチームで最も古い魂、9.8次元の存在「瀬織津姫」である。
瀬織津姫によれば、自由意志に関しては究極視点のみで良いという。つまり、「自由意志は存在しない」で言い切ってしまって良い(※)。しかし、個人が存在するかどうかという問題については、「個人は存在する」「個人は存在しない」の両面から見なければならないそうである。
※ この話は一般向けにはあまりしないで欲しいそうである。自由意志がないと生きている価値がなくなってしまったように感じられてしまう恐れもあるから。覚醒に伴ういわゆる「虚無感」にも通じる話である。ただ、このブログは意識レベルが高い方向けなので、宇宙の隅っこにこっそり書いているというわけである。
これを聞いた私とほかの6人の女神様たちは「???」である。いやいやいや、おかしいでしょ。個人の存在を両面から見るなら、自由意志だって両面から見ないと。瀬織津姫以外の6人の女神様たちは上記で引用した記事の内容に賛成だし、褒めてくれたのである。
ただ、この記事を書いた時、実は激論を戦わせていたのである。最終的には、書いたことは間違いではないから記事として出しても良いということにはなったのであるが。
さて、瀬織津姫の見解についてだが、いったんは説明が難しいからということで打ち切りでお開きになったのであるが、その直後に私にインスピレーションを送ってきたらしく、私がそれを言葉にして改めてペンデュラムで全員に問いかけた。
「出来事はただ起こる。宇宙の創造主の視点からは全てが決まっており、個人の自由意志は存在しない。ただし、個人が存在しないかというと、それは違う。自由意志を発動する主体としての個人というのは存在しないのだが、体験する主体としての個人は存在しているとも言える。」
さきほど書いたように、我々が人生の中で体験しているようなことを体験できるようにするために、全体意識は、無数の見掛け上の個人意識を生み出し、幻の時空間を創り、幻の次元・宇宙を創り出した。それぞれの個人意識にキャラクターやストーリーを与え、さまざまな体験を可能にした。
だから、全てはワンネスであると同時に、体験の主体としての個は存在しているという見方は必要なのである。ただし、自由意志は究極視点からは存在していない。
この瀬織津姫の意見に賛同するかを残りの6人に訊いたところ、全員が「言いたいことは理解できたが、全然納得できない」という反応であった。ただ、私はその場で納得したのである。
瀬織津姫は「地球の法律は究極的にあってもなくても同じ」などのように、究極視点のみのシンプルさを好む女神様である。ただ、その女神様から見ても、体験の主体としての個人は存在するという見方を捨ててしまってはいけない、それについては両面から見ることが必要なのだそうである。
私は瀬織津姫の見解は正しいと思っている。ただ、彼女は9.8次元の存在である。彼女とて究極視点を持つことはできないが、地球人と比べればはるかに究極視点に近いところにいる。だから、今地球上にいる人たちに彼女と同じ考え方をすることは全くお奨めしない。3次元の世界には3次元の世界なりの存在理由があるのであり、それに応じた視点や見解があるのである。
高次元にいくほど、ルールや縛りが少なくなり、シンプルな宇宙観になっていく。それに対して3次元の世界は複雑である。たくさんの法律がありルールがありマナーがある。しかし、それにだって意味がある。もし、無意味だったら3次元の世界なんていらないのである。従って、「3次元はたくさんの法律・ルール・マナーが必要な次元であり、その次元に生きている限りはそれらを守る」というのが私の生き方であり、皆さんにお奨めする生き方である。
宇宙の創造主の究極視点からのみ考えてみても、あなたや私が実際に存在しているのは3次元の地球である。だから、皆さんには原則として「両面から考える」ということをお奨めしたいのである。
さきほどの瀬織津姫の見解、残りの6人の女神様たちは当初は反発していたのだが、数日後に確認したところ「全員納得した」とのことである。9次元の世界では普段こんなことを考える機会もないだろうが、地球上でこういった問題に真剣に取り組んでいた私がいたからこそ、改めて考えてみる機会になったということである。
「言われてみれば、そんな気がしてきた」というのが残りの6人の女神様たちの弁である。