「誰も何も悪くない」
ほとんどの人にとって信じられないことなのだが、事実である。スピリチュアルに興味がある人なら頭ではわかってはいるけれども、実際には信じたくないことである。私もあまり信じたくはないのだが、事実であることは理解できるので、仕方なく信じている。
このスピ系の格言はどういう意味だろうか。説明しよう。
嫌な奴というのは全く悪くはないし、マナーの悪い奴というもの全く悪くない。嫌がらせをしたり、迷惑行為をする人間というのも全く悪くない。暴走族も悪くない。
まあ、この辺までは良いとしても、以下のことを受け入れられるだろうか。
麻薬の密売人も全く悪くない。ドロボーも全く悪くない。殺人者というのも全く悪くない。凶悪犯罪を犯すような人間もテロリストも何も悪くない。世界の脅威になるような核開発を推進している独裁者も全く何も悪くない。
このことに例外はない。
当然ながらヒトラーも悪くないし、戦争を引き起こしたとされる人物だって何も悪くない。
信じられるだろうか。
このあまり信じたくはないスピ系格言「誰も何も悪くない」の正当性をいくつかの角度から説明しようと言うのが今回の趣旨である。
まず、世の中で「悪い」とされる行動をしてしまう人物というのは、なぜそういう行動をとるのだろうか。
性格、生まれ、育ちのようなことが考えられる。これは運命のうちの環境要因的な要素ということになる(出来事的な要素との対比)。とすれば、本人にはどうしようもないではないか。
実は、「性格」というのは1回の転生ごとに付属する設定のようなものであり、「魂レベルの性格」というものは存在しないのだそうである。単なる設定ということになる。生まれた国、環境、家庭なども単なる設定である。とすれば、本人にはどうしようもないではないか。
また、ヒトラーのように大きな出来事を引き起こした人物の場合、その出来事は運命のうちの出来事的な要素ということになるだろう(環境要因的な要素との対比)。とすれば、生まれる前に決めてきた出来事が起きただけであり、その時の地球に必要な役割を果たしただけであり、ある意味当然なのであるから、やはり本人にはどうしようもないではないか。
納得いっただろうか。
まあ、納得いかないよね。皆さんの反応が予測できるから、さらに別角度の説明をいくつも用意している。
この世に存在する、いわゆる「悪」は全て「御用の悪」であると聞いたことがあるだろうか。日月神示でクニトコタチ様がそう言っていたと思う。
つまり、宇宙の創造主であるマスタークリエイターが、必要だから「悪」というものを用意したのである。「必要悪」という言葉も存在しているが、ここではそれを超越した意味で言っている。
何のために必要なのか。「悪」が存在しないと、我々が体験するような人生にならないのである。全てが愛であり光である天国のような世界もあるはずであり、高次元の世界はある程度それに近いであろうが、その愛と光しか存在しない平和な世界はある意味、退屈な世界とも言えるのだろう。もっと色々な事件が次々と起こるような世界も体験してみたくなったのであろう。
そして、我々が存在する二元の世界では「悪」が必要なのである。なぜならば、「悪」がなければ「善」もないから。「悪」がなければ「善」がどのようなものであるのかを体験できないから。
「悪」と「善」は本来は1つの概念。その1つの概念を長く棒状に伸ばし、1つの端に「悪」、もう1つの端に「善」と名付けた。その両端の間はグラデーション状に中間状態がある。
これが二元の世界の構造。「寒い」がなければ「暑い」もなく、「短い」がなければ「長い」もなく、「醜い」がなければ「美しい」もなく、「悪」がなければ「善」もないのである。
二元の世界とはどのようなものかを体験したかったのであるから、当然「善」の反対として「悪」という概念が必要なのであり、従って全ての悪は「必要悪」であり「御用の悪」なのである。
納得いっただろうか。
まだ納得がいかない? では、次の説明。
全体意識は二元の世界を体験したかったというのもあるのだが、「魂の進化」というものも体験したかった。進化するとはどういうことなのかを知りたかった。3次元から5次元へアセンションするとはどういうことなのか、5次元から6次元へアセンションするとはどういうことなのかを知りたかった。
そこで、この世界は魂が進化し続けるようにできている。進化することの素晴らしさを体験できるようになっている。
そうすると、先ほどの二元の説明のように「低次元」がなければ「高次元」もない。5次元以上の素晴らしさがわかるには、3次元の世界のひどさがわからないといけない。
そして、どんな存在でも低次元からのスタートなのである。3次元未満の世界は私もよくわからないので(鉱物・植物・動物とかの世界)省略するとして、3次元の地球の人間でも意識レベルにはかなりの幅がある。意識レベル100台、200台と700以上(覚者)の差と言ってもいいし、魂の年齢が違うと言ってもいい。
地球上の人間はだいたい魂年齢が6億~7億年くらいらしいのだが、例えばスターシードの場合には高次元から来ているのでもっと古い魂である。あまりに具体的に書くと差し障りがあるので、ここではスターシードの魂年齢を仮に8億年としておく(実際には元々いた次元によって異なる)。
つまり、意識レベルの差、あるいは人間的・魂的な成熟度の差とは、単に魂の年齢の差なのである。
最近、意識レベルが高い魂を指してオールドソウル(古い魂)という呼び方がされることがある。これは何が言いたいのかというと、意識レベルが高いことが偉いのではなく、単に魂が古いだけということを示唆している。「神との対話」シリーズでもこんな感じの言い回しがあった(記憶に基づくので正確な記述はわからない)。
「地球の進化レベルは幼稚園レベルだが、中学3年生が幼稚園児よりも優れているわけではない」
だから、地球上で「悪い」とされることは魂が進化すれば自然としなくなるのであるが、「悪い」とされることをしている魂も単に新しい魂(魂年齢が若い)というだけであって、それ以上の意味はないのである。
魂年齢が8億年のスターシードも、2億年ほど前には3次元世界の魂年齢6億年の人間のような未成熟なことをしていたのである。自分の2億年前のことを棚に上げて、他人を批判できるであろうか、ということなのである。
納得いっただろうか。
まだ納得がいかない? それでは、最後の説明。
「運命と自由意志(2)」という過去記事に書いたように、 宇宙の創造主であるマスタークリエイターの視点からは全ての出来事が決まっており、個としての存在には自由意志がない。
これもまた「神との対話」シリーズに書いてあったことだが、宇宙の創造主の許可なくしては指一本動かすことはできない。逆に、何か出来事が起きたということは、その出来事を宇宙の創造主が許可したということなのである。
殺人にしろ、テロにしろ、戦争にしろ、宇宙の創造主の許可なくしては起こりえない。起きたということは宇宙の創造主がその出来事を許可したのである。
ここでは宇宙の創造主のことを「神」と呼ぶとして、「ああ、神はなぜこのような悲惨な出来事を引き起こしたのだろう」と思うことがあるだろう。それは、視野が極めて限られた人間の視点からの疑問なのであって、神の視点から見れば特に問題はないのである。理由はこれまでに散々書いた。
究極的にこの世で起こる出来事には何一つ意味はないのであるが、意味があるという前提で一番近い答えというのは「体験したかった」ということだと思う。神だから、全てを体験して知りたかった。「全て」である。酷いことも、美しく素晴らしいことも。だから、全ての出来事は神(全体意識、源泉、創造主)が許可したことなのである。
個としての我々は神である全体意識の部分集合のようなものである。全体意識が体験したかったことを、部分集合である我々がそれぞれの役割をもって体験しているのである。それはヒトラーであっても例外ではない。全体意識が決めた役割を果たしているだけである。
納得いっただろうか。
私が今回用意した説明は以上である。それで納得できないとしても仕方がない。これ以上は説得するつもりもない。ただ、あなたが納得しようがしまいが事実なのである。
「誰も何も悪くない」
ちなみに、マスタークリエイターは当然だが、天使や10~11次元の存在はこのことに心の底から同意できるそうなのであるが、9次元の女神様たちだと、やはり「頭では無条件の愛をわかってはいるけど、ムカつく存在はいる」とのことである。9次元でもそうなのだから、地球上の存在はやはり全て腹の底から納得するということにはならないだろう。それでよいのである。理屈としては今回の説明で納得したはずである。努力の方向性、進化の方向性として、こういったことを知っておくことも必要であると思う。
ただ、「誰も何も悪くない」のだが、それは非常に高い次元から見た時の話であって、地球上ではどうしても「好き・嫌い」や「善・悪」の意見表明をしなければならない。今そういう次元に存在しているのであるから、それも全く悪いことではない。そこを踏まえた考え方はどうすれば良いのか。これは以下の過去記事に書いてあるので、参考にしていただきたい。