こんにちは。

森の案内人マキです。








神よ、私たちにお与えください。

変えることができるものについて、
それを変える勇気を。

変えることができないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを。

そして、変えることができるものと
変えることができないものを、
見分けられる智恵を。






20世紀のアメリカの神学者
ラインホルド・ニーバーの
『静穏の祈り』という
祈りの言葉の一部で


アルコール依存症などの自助団体で
よく使われているフレーズです。







たしかに目の前の現実、解釈は
自分が創っているものであるし

私にも経験がありますが
受け容れ難い過去や不幸なども
望んだわけではないのにやってくる。




人生はいろいろ起きる。






突然に降りかかってきた災難、
それがたとえ
自分がすべて決めてきたことで
あっても


私自身はすべてがそうとは思わないし、
鵜呑みにもしない




『自分の責任は50%、
自分では現時点でどうしようもないことも50%(半分)はあるのでは?』




と、あきらめて眺めた方が
モノゴトがそこからこじれずに
スムーズに流れていくように感じる。



気を張りすぎなくていいし


1人で抱えなくてもいいよね。


勉強熱心に一筋に守らなくていい、
と私は思う。







すべては自分次第。
自分で変えていかなければならない。
自分が決めてきた。
自分にすべての責任がある。
たしかにそうなのかもしれない。
これは楽観主義な人がやれば
ちょうど良いかもしれない。

自分を責めやすい人には
少し荷が重いかもね。




生真面目で繊細な人、
責任感の強い人は
言われなくても既にすべてを
抱えて生きてきてる。



こればかりだとかなりしんどい。





善人ほど背負いやすい責任を
必要以上に背負って
ひとりでつぶれてしまわないように。





そして他者にも自分にも
できるだけ
優しく寛容でいられるように。






力の入りすぎない視点を
持ち合わせることで
世界は優しくなる。

そのように思う。










来てくださってありがとう,゜.:。+゜
ふっと軽くなれる視点、世界が優しくなる視点
心のお話しています