十三夜昨夜は十三夜で、我が家のベランダから見える月は煌々と輝いていた。台風18号は大きな被害もなく日向灘沖を本州へと通り過ぎた。予報を見ながら、もっと北へ向かって行けとか真っ直ぐ進めとか自分の所に来ないようにテレビに言っている自分がいた。台風も人も自分の思うようには動かない。中国の春秋時代の思想家、孔子は「人は理によって動くに非ず、利によって動く。人は利によって動くに非ず、仁によって動く」と言っている。人を使う立場にある人は仁とは何か考えて見よう。台風の影響で海鳴りの音が大きく聞こえてきた。
秋来たる今年は秋の来るのが早い。朝晩は秋、真っ最中の感じである。近所の柿の木はもう、葉を落とし始めている。夏から秋、秋から冬へと季節の移ろいは歳を重ねるごとに早く感じられる。多分、人の一生も同じ事なのだろう。言葉に「花は一時、人は一盛り」(はなはいっとき、ひとはひとさかり)とか織田信長の「人生五十年 下天(げてん)の下をくらぶれば夢幻の如くなり」とある。人生の終わりは井伏鱒二の「花ニ嵐ノタトヘモ有ルゾ、サヨナラダケガ人生ダ」になるのだろう。
彼岸の中日彼岸の中日で神社へ行ってきた。祖霊祭が年2回(春と秋)行われるからだ。春分の日と秋分の日は太陽が真東から昇り、真西に沈む。そして、昼と夜の長さが同じになる。お彼岸に墓参りに行くのはその太陽に関係があり、日本人独特の太陽神が元になっているらしい。私が子供の頃、よく母から言われた言葉に「先祖様に顔向けできないようなことはするなよ」それと「天に唾するなよ。自分に返ってくるぞ」と言われた言葉が記憶に残っている。東日本大震災の被災地復興支援ソング「花は咲く」の歌詞の中に「わたしは何を残しただろう」とあるが、果たして、自分は何を残したのだろうか?彼岸花または曼珠沙華「まんじゅしゃげ」一茎一花「いっけいいっか」