御巣鷹山 慰霊登山4(下山)【再掲】 | ☆はまじ☆日々頑張ってます

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【再掲】

 

   ★ 下山

 

スゲノ沢の上部に着いた。

急峻な斜面のあちらこちらに墓標が並ぶ。

 

霊山のど真ん中で山全体に向けて合掌し”南無妙法蓮華経”と唱える。
沢と言うだけあって、あちらこちらから水が湧き出ており狭い登山道をぬかるませる。

 

登山道がぬかるんでいて、なおかつジグザグ道になっている。

非常に歩き難い。

 


ほどなくスゲノ沢に出た。

 

ふと降りてきた上部を向くと、

ある部分だけあきらかに周りの木々と太さが異なる若い木が目に入った。

 

「ここを機体後部がずれ落ちてきて木々をなぎ倒したんだな、それにしても狭いな」

 

スゲノ沢の祭壇を右手に、沢全体を見渡し”南無妙法蓮華経”と唱え合掌をする。

さきほど、登頂前にスゲノ沢は巡っている。

 

下山すべく、

全ての御霊に一礼をして御巣鷹の尾根をあとにする。

 


   ★ 慰霊の園

 

新登山口駐車場をあとにして、

慰霊の園に向かう。

 

途中、神流川(かんながわ)の美しい清流が見えた。

「この清流の上流には、あのスゲノ沢があるんだな」
複雑な思いを抱きながら上野村の中心を目指す。

 

慰霊の園では、車1台とオートバイ1台が止まっていた。


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まずは巨大な慰霊碑に参拝する。

この慰霊碑は、御巣鷹の尾根に向かって合掌する作りになっている。

8月12日に慰霊祭が行われたので、慰霊碑の前には

テントや机、椅子が置かれたままになっている。

 



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慰霊碑の後ろに回りこむと、520名の名碑と123遺骨の身元不明者の納骨堂がある。

 

名碑に刻まれたお名前を追う。

 

ご家族らしきお名前が並ぶ。

ご夫婦らしきお名前。

外国人の方々のお名前。
本当に心が痛む。

 

お名前の横に読み取れないくらい小さな字で

別なお名前が書いてある方もいらっしゃる。
「○○○○こと、△△△△」

 

520名の名碑なのだが、本当は480名分しか刻まれていないってこと。

名碑に刻むのならば、「この名前」を刻んで欲しいと言うご遺族のご意向に

沿って刻まれたお名前もあるってこと。

 

ご遺族の交錯するお気持ちが少し分かる気がした。

 


巨大な慰霊碑、後部中央にある納骨堂の前に立って合掌する。

 

ここは、1985年12月20日に身元不明の123遺骨を納骨したお堂である。

「事故機の便名(JAL123)と同じく、身元不明の遺骨数が123遺骨とは」

偶然なのか123って数字に鳥肌が立つ。

 

 

私も帰ってから気がついたのだが、今回撮り溜めた写真の枚数が

偶然にも123枚だった事が分かった。

これも何かの縁なんだと思う。

 

 


ここの慰霊の園駐車場だと携帯の電波が届く。

一斉に留守電やメールが入って来ていたことに気が付いた。

 

「そうか今日は平日なんだ」
と現実に引き戻される。


 


慰霊の園には展示棟なるものがある。

歌手の坂本九さんを偲ぶレコードジャケットが吊るされていた。
そのほかにも、当時の雑誌や写真も公開されている。

 


「行ってきます」
と元気で家を出た人が夕方には亡くなってしまった現実を忘れてはならない。
残された家族がどれほど苦しい想いをしたか。

忘れてはならない。


飛行機事故は車の事故や電車の事故と違って、

搭乗者は逃げられない。
それだけに、空の安全は絶対的に優先されるべき事項である事を

再認識させられた。

 

我々はこの事故の事は決して忘れてはいけないし、

風化させてはいけないんだ。

 


そんな慰霊登山でした。

 

 

 

今後、行かれるであろう次世代の若人にも、

情報として残しておきたいと考え、

今回、このような形の記事にしました。

 

長々と書きました事、お許しください。

 

私が書いた関連ブログ(日航機墜落事故について)です。
良かったら読んでみてください。
http://ameblo.jp/f-tech/entry-10319201208.html

 

 

 

最後に。

御巣鷹の尾根に、無残に散った521名の方々に対し、ご冥福をお祈りしたいと思います。
どうか心静かにおやすみください。

合掌。