【再掲です】
そろそろ8月12日が近くなって来たので再掲です。
今年も暑い夏です
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興味がない方はスルーしてください。
少しでも日航機墜落事故(御巣鷹山)の事にご興味があれば
ぜひ、お読みください。
尚、内容に関しましては、私個人的な記録記述としてご理解ください。
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1985年8月12日
羽田発JA123関西行きがPM6:56に御巣鷹山墜落しました。
墜落原因は機体後部の圧力隔壁の破壊とされていますが、
隔壁の修理ミスによる人災と位置づけられています。
本当の事故原因をボーイング社が隠している!ってのが定説
になっていますね。
(墜落原因の怪)
JA123の機体は、事故の7年前に大阪国際空港で「しりもち
事故」を起こしています。
この時にボーイング社が圧力隔壁を修理したのですが、その
修理方法に問題(ミス)があったとされています。
あのボーイング社が墜落事故から2週間で「墜落は我々の
修理ミス」と発表したのですが、ここにボーイング社の狡猾で
巧妙な悪巧みがあると言われています。
当時、世界中の空には、ボーイング社の飛行機が600機ほど
飛んでいた(と記憶してます。)
墜落原因が全機体に及んだ場合、背負う損害は計り知れない。
会社の存続すら危い。
しかし、墜落原因をJA123機体固有の原因とすれば、
「他の機体は安全です」宣言したのと同様の効果がある!
ホント頭がいい!
(ほんと頭いいと言うかズルイですね。)
その結果、即座にミスを認めたわけです。
でも。
実際には、根本原因が分かっていなくて、後部の垂直尾翼
など、事故原因究明に必要な飛散部品が駿河湾から引き
揚げられていないんです。
いまだに原因が分からないってのが本当の所なんですね。
(救助開始中止の怪)
JA123が墜落してから2時間後には米海兵隊のUH-1救難ヘリが
墜落現場へ到着し救援降下を始めてます。
しかし、日本側からの「協力は必要なし」との連絡を受けて、
地上10mまで降下していたのに、止む無く救助を中止して
ます。
この時、墜落現場では。
生存者(落合由美さん)の手記では、ヘリコプターの音
がして一所懸命手を振ったが、そのヘリコプターも行ってしまい、
近くで「はぁはぁ」と生存者の吐息がたくさん聞こえていたり、
子供の声で「あかぁさん」って声も聞こえていた。
と綴ってあります。
ほんと残念でなりません。
一方、日本政府、自衛隊は、現場特定のため
戦闘機F4ファントム2機を緊急発進させて現場方面
に飛ばします。
しかし自衛隊は墜落現場特定に時間を要します。
戦闘機が飛べる遥か上空から探してもたやすく見つかる
訳もなくヘリではない分、位置の確定に手間取ったのかと
思います。
F4ファントムを目撃した人は「通常は編隊飛行をするはず
なのにこんな山奥で2機がバラバラで飛んでいくってスクランブルなのか?と思った」と手記に
綴ってあるくらい、自衛隊も焦っていたんですかね。
自衛隊が現場特定をわざと遅らせた!と言うことも囁かれています。
実は墜落事故は自衛隊の演習ミサイルが後部垂直尾翼に当たった事を
隠蔽すべく、そのために、重要な証拠物件でもある垂直尾翼など飛散
部品を駿河湾から拾わなかったともされています。
まぁ、こんなデマ。。。演習ミサイルって、そんなことないでしょうけど。
(本当の死者数)
事故の死者は520人となっていますが、正確には521人と
言うべきだったそうです。
その1名とは、お腹の中の赤ちゃんだったそうです。
月齢で7ヶ月くらいだったらしく、殆どのご遺体同様シートベルト
で身体を切断されたお母さんのお腹から飛び出したとされ
ています。
信じられない事ですが、人の遺体の中から更に別の人の
遺体が出てくる事もたくさんあったと言うことでした。
凄まじい衝突力だった事が分かります。
(医者や看護婦の努力)
墜落の翌日には、医師会、歯科医師会、日本赤十字社から
続々と医療団が現地到着をしてます。
死体を見慣れていない医師などは、嘔吐の連続で数日で
帰って行ったとされています。
夏真っ盛りと言う事もあり、遺体の腐敗は日を追うごとに
ひどくなり、蛆(ウジ)を取っても取ってもなくならず、
バケツ一杯になるほどだったそうです。
こんな遺体を見た人達は、お弁当のお米が蛆(ウジ)に見え、
おかずのから揚げは、遺体の部分に見えて、とてもじゃないけど
食べれなかったと手記で綴っています。
中でも、日赤の看護婦さん達の貢献には、警察医、医者、
全ての人達が頭が下がった!と言われています。
遺体が安置してあった、藤岡体育館(他2施設)は、
日中は40度くらいまで温度は上がり、暗く締め切られた
室内には、お線香の煙と死臭で、耐え難い状況だった
らしいです。
そんな中でも、何一つ文句も言わず一生懸命に遺体の
清拭をしたり、遺族に遺体を面会させるために、失った
部分(腕や足)などを手際よく三角巾で整形し、人型に
してあげる事などをしていたそうです。
素晴らしき奉仕の精神だと思います。
一般には知られていませんが、生存者4名の現場手当て
のために、日赤の医師と看護婦さんは、救助ヘリから空挺団
のようにリペリング(ロープで降下)をして現場へ降り立ったと
いう事。
当然、医療関係の人間だから訓練なんて何もしていない。
20mの降下は、普通の状況ならば怖くて出来なかったはず
だが、無我夢中でヘリから降下した!と手記の中で綴って
います。
(検視中の涙)
警察の検視官、医者、看護婦、全ての涙を誘ったのが
子供達の遺体だったといいます。
子供は15人程搭乗していたみたいですが、そのうち完全
遺体は11人。
検視の際、検視官が「なんでおれの所ばかり子供が
来るんだ。もう嫌だ!」と本気で怒ったらしいです。
同じくらいのお子さんを持つ人なら、胸を締め付けられる
想いだった事は容易に想像出来ます。
遺体には、完全遺体、離断遺体、分離遺体と分かれており
頭部が残っている遺体を完全遺体
頭部を失っている遺体を離断遺体
遺体の中に入っている遺体をX線などで確認して分離した
遺体を分離遺体と呼んでいたそうです。
(飛行航法)
飛行機とは、大きさや形、エンジンの位置により飛行方法や
旋回能力が変わって来ます。
B-747クラスだと、旋回するために操縦桿を切っても、
機体が旋回を開始し始めるのに5秒前後かかります。
それだけ飛行安定性能が高い機体と言う事になります。
飛行機は飛行に必要な機器(主翼部分のフラップ、エルロン、
尾翼部分のエレベーター、垂直尾翼)は、全て、油圧で動作
します。
本来、機体トラブルがあった場合でもフェールセーフ機能(下記)
があり、飛行を続けられる設計となっています。
<フェールセーフ機能>
・機体トラブルを他の部分に派生しないような、ベイ構造(ベイ
と呼ばれる特別に区切った形状)を取っている。
・油圧系統を4系統保持し、どれか1つの系統でも飛べる
設計になっている。
・4発のエンジンの内、3発壊れても飛行を続けられる設計に
なっている。
・その他多数。
後部圧力隔壁が吹っ飛んだことで、空洞となっている
垂直尾翼部分へ機内の圧力が一気にかかって、
垂直尾翼をも吹っ飛ばしたとれています。
その際、後部には垂直尾翼を稼働させるため、
4系統の油圧システムが集中しており、
その油圧システムを破壊されて、4系統の油圧(ハイドロ)が
ALL ZEROになってしまいました。
事故発生直後は、多少、油圧システムの油を通すパイプにも
油が残っていたと考えられ、主翼部分のフラップやエルロンは
動いた様子ですが、すぐにコントロール不能となったらしい。
こんな状態は設計上あり得ないし、飛行理論上、
本来飛べないはず。
通常のパイロットならば事故後2~3分で墜落した状態を
30分も飛ばせたのは、高浜機長の飛行技術がずば抜けて
いた!としかいえない。
フライトレコーダー、ボイスレコーダーの記録から、
キャビンでは、「ドーン」と音と共に、何が起きているか分から
ない状況の中、クルーは方向陀を踏んだり操縦桿を操作した
りしてます。
少ししてから、全ての操縦系統がダメだと判断したのか、
エンジンの推力でコントロールを始めました。
フライトレコーダーに、その状況が残っています。
飛行理論では、
4機あるエンジンの推力を
全て上げれば、機首が上に向きます。
下げれば、機首も上がる。
右エンジン出力を上げると左旋回、
左エンジン出力を上げると右旋回。
この方法で操縦をしていたみたいですが、
それも限界が近づきつつありました。
墜落20秒前の機体は・・。
18:56:06秒
機首下げ度36度
右横揺れ角70度
降下率18000フィート/分
対気速度400ノット
垂直加速度4G
右に70度も傾きながら機体が1分間に5400mもの凄まじい
勢いで御巣鷹山へ降下をしています。
1秒間に90mの落下速度です。
4Gの加速度とは、体重50Kgの人に200Kgの人が
乗っかっている状態です。
相撲取りに乗られている状態ですね。
生存者である落合由美さん証言で
「真っ逆さまという感じ」を話しており、
まさにこの時のことだと思います。
ボイスレコーダーの高浜機長が
「あったまあげろー」と叫んでいる時刻です。
この後、機体は右主翼で山肌を削り(後にU字溝と言われる)
機体を反転(胴体を裏返し)して、御巣鷹山の山腹に
激突したんです。
この事故を契機に航空各社は
フライトシミュレーションにJA123のプログラムを追加しました。
しかし世界中のパイロットがシミュレーションをしたが成功した
事例はないそうです。
(同様の事故からの帰還)
日航機墜落事故以降で、1例だけ非常に稀だがJA123
と同様の「油圧系統が全てダメになった事故」があり、なん
とか飛ばしながら空港まで戻って来た事例があります。
「UA232便不時着事故」です。
機体こそ違いましたが(B747ではなく、DC-10)。
JA123事故のフライトシミュレーションをやっていた飛行教官が
たまたま乗り合わせており、その教官がエンジンスロットルを担当。
(その教官もシミュレーションでは一回も成功した事は
なかったそうです。)
なんとかフライトを続け、空港に戻り緊急着陸まで漕ぎ付けた。
事故機は、不時着の際機体右翼先端が滑走路に接触し、
機体は側転するかの如く回転してキャビンが真っ二つに折れて
炎上をしました。
幸いな事に、296名の内、生存者185名だったのは、やはり
JA123事故のフライトシミュレーションのおかげと、
数日前に空港内で火災訓練が行われていた事も幸いした
とされています。
確実にJA123の事故は、世界中のパイロットに受け継がれてい
るんですね。
最後に。。
「御巣鷹山は521人が眠る霊山であり奇跡的4名の
生存者が助かった聖山である。」
これは、上野村の猟友会の方の言葉です。
この方は現場に一番早く到着した救助班の道案内を
行った方です。
心打たれる言葉です。
そんな聖地であるにも関わらず、2chや、
一部の心無い人達によって、
御巣鷹山が心霊スポットとされているのが本当に悔しいです。
---- このサイトは2021年現在閉鎖されているみたいです。
今も唯一残っているサイトです。
見る方はご自分の責任において判断をしてみてください。
気分を害しても責任は負えません。
---- こちらのサイトも2021年現在閉鎖されているみたいです。
このサイトは、生存者の川上慶子さんのご友人?が
運営しているサイトです。
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-index.htm
我々は、世界最大で最悪のこの事故を永遠に忘れては
行けませんね。
御巣鷹の尾根に、無残に散った521名の方々に対し、
ご冥福をお祈りしたいと思います。
合掌
御巣鷹山 慰霊登山に行って来た様子をまとめました。
今後、行かれる方があれば参考になさってください。
--2021年現在、少し情報としては古くなっていると思います。
御巣鷹山 慰霊登山1(登山口編)【再掲】
http://ameblo.jp/f-tech/entry-10332049524.html
御巣鷹山 慰霊登山2(スゲノ沢編)【再掲】
http://ameblo.jp/f-tech/entry-10332055719.html
御巣鷹山 慰霊登山3(昇魂の碑編)【再掲】
http://ameblo.jp/f-tech/entry-10332066290.html
御巣鷹山 慰霊登山4(下山)【再掲】
http://ameblo.jp/f-tech/entry-10332070661.html