御巣鷹山 慰霊登山2(スゲノ沢編)【再掲】 | ☆はまじ☆日々頑張ってます

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【再掲】

 

 

   ★ 登山道

 

今回の慰霊登山ルートは、昇魂の碑 ⇒ 裏手を回り ⇒ スゲノ沢へ降りてくるルートで
行くことにしていた。


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登山口から墜落現場に建つ昇魂の碑までは長さ約800m、高低差約180m。
村が県と財団法人慰霊の園の支援を受け、2009年4月末から整備していた。
急峻な場所に階段830段(幅1.2m)を設け、鉄パイプ製の手すりも438mに渡って付けたと
聞いている。


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「登り易い、これも整備のお陰だ」
と心から感謝する。


今後、老齢化するであろうご遺族にとってはだいぶ楽だろう。

 

途中、老夫婦が手すりに捕まり登っているのが見えた。

あの歳でこの場所にいるって事は「ご遺族か、関係者か。」

 

「こんにちは、お疲れさまです、大丈夫ですか」
「あぁ、80歳にもなるといささか疲れます。」

 

私の背負っているバッグに挿してあるお花を見て、

「あぁ、偉いねぇ。」
「頂上まではまだあるかね」と二言。

 

えっ?

どうやら、ご遺族ではなく当時の関係者なのか。
不思議な会話だ。

「頂上を知らないって初登山なのか(笑)。。」

 

こちらも初めて登るから正確な距離・時間は不明だが、

事前に全ての関係資料は頭に叩き込んである。

「ここから先、二股に分かれているので、

左が昇魂の碑、右がスゲノ沢ですね、
どちらも10分ほどで行けますが、スゲノ沢の方が若干近いですね。」
「ではお気をつけて、お先に失礼します。」

 

何故か、初登山の私が道先案内人。
どうしたものかと苦笑しつつ先を急ぐ。

 


   ★ 山小屋

 

入山してから20分ほど階段や山道を登る。

 

しばらくすると左上方に山小屋が見えてきた。

それと同時に道も一変する。
山小屋に向かってものすごく急峻な上り坂だ。

 

「これはすごい!」
心の中で叫ぶ。

 

あの山小屋は、

事故当時、県警が建てたものを日航が頼んで払い下げしてもらい、

今では財団法人慰霊の園で管理されていると聞いている。

 

立ち止まり、再度自分の位置関係をルートマップで確認する。
右の方には、木々の間から薄っすらとスゲノ沢が見えた。

 

「いよいよだな。」
気が張った。


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山小屋は急峻な場所にプレハブ小屋が2棟しっかりと!静かに佇んでいる。

上部の山小屋は8月12日にはご遺族専用となるみたいだが

通常時は誰でも入って休めるようにソファーや机が配置されている。

 

ふと机の上を見ると寄せ書きノートがあった。

ノートを少しめくってみる。

 

記「みなさま、安らかに、ただただ安らかに」

 

先人の記述に心打たれ、つたない文章であるが私も数行書き残して来た。
[2009.8.21
 今まで来れませんでしたがやっと来る事が出来ました。
 この事故は決して忘れてはなりません。
 みなさま、安らかにお休みください。]

 

 

このまま、一気に昇魂の碑まで登る予定だったが、すぐそこにスゲノ沢が見える。

「先にスゲノ沢に下りなければ」
と、何故か思う。

坂道を一気に駆け下りた。

 

 


   ★ スゲノ沢

 

言葉を失った。

 

あまりにも墓標が密集している。
それにこの狭さは一体・・・。

心の中で言葉が詰まる。

 

一気に日航機墜落事故の色々な事が頭の中を駆け巡る。

 

このスゲノ沢は、

墜落地点から250m下っており機体後部がずれ落ちてきた場所である。

当時の雑誌(フォーカスやフライデー)が、

このスゲノ沢の衝撃的な写真を載せているのを思い出した。

 

「それにしても、この狭いエリアに機体後部の残骸と共に

死をとげた250名以上の犠牲者の方は、さぞかし無念であっただろう」
とおもんばかる。



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しかし、このスゲノ沢は奇跡の生還があった場所でもある。

 


     *  

 

非番で搭乗していた日航スチュワーデスの落合由美さん。
島根県出雲市に家族旅行の帰路でご両親、妹さんと一緒に搭乗をしていた川上慶子

ちゃん。
兵庫県芦屋市へ帰るために旦那さん、お子さん2名と一緒に搭乗していた、吉崎博子さん、
吉崎美紀子ちゃんの母娘。


それぞれ助かった4名ともに機体後部に座っており、助け出された場所が1.5メートル四方

の極狭いエリアだった。

 

その生還エリアから少しでも外れていた方は全て亡くなっている。

 

命の線引きが数cmの距離だったと思うと神様の無情を感じざる得ない。

 

しかし実際には墜落直後には、4名以外にも生存者がいた事を、

落合由美さんが後の手記で明らかにしている。

 

「墜落後、真っ暗な中、ヘリコプターの音がして一所懸命手を振りましたが気が付か
 ず、そのヘリコプターは行ってしまいました、近くで「はぁはぁ」と生存者の吐息
 がたくさん聞こえていたり、子供の声で「あかぁさん」って声も聞こえていました
 が、次に目が覚めた時には、シーンと静まり返っていました」
と綴ってあります。

 

墜落事故翌日、上野村の消防団が地元猟友会の道先案内を受けながら、

途中で合流した自衛隊・警察・レスキュー2名と共に最初に上がってきたのが

このスゲノ沢であり、消防団の方が最初に落合由美さんを発見した場所。

 

この時、既に激突現場の尾根付近には自衛隊習志野空挺団80名ほどが

負傷者を探索していたが、負傷者発見!の合図に250mあるスゲノ沢を

転げ落ちるように空挺団員も下りて来て救助に合流をしている。

 

落合由美さんを発見後、

ほどなくして、吉崎博子さん(母)が発見され、しきりに横を気遣う。
横には、吉崎美紀子ちゃん(娘)が重症な様子で機体に挟まれていた。

 

一気に救助の気運が高くなる。

 

誰もが、
「まだ救助を待っている人達がたくさんいる」
「必ず助け出す」


その思いで、機体の残骸をひっくり返し、倒れいている方に声をかける。

 

次々と遺体の中に手を突っ込みまさぐっていたらスニーカーの足がバタついた。
逆さまになって助けを求めていた川上慶子ちゃんだ。

 

4名の負傷者は、急ごしらえの担架に乗せられて、

ヘリコプターが着陸可能な山頂付近へ上げるために命のリレーが始まる。

 

自衛隊・警察・レスキュー・消防団全ての人達が
「この命のともし火を消してなるものか」
と、救助隊の列が山頂まで担架をリレーする。


負傷者発見の一報が、上野村役場2階に設置している事故対策本部に入る。

 

この時、日本赤十字社にも災害派遣要請が出されており、

医師・看護婦が続々と上野村へ到着している。

 

すぐさま、医師と看護婦が、総合グランドに待機していた

自衛隊ヘリコプター(V-107)に乗り込み御巣鷹の尾根に向かう。
V-107ヘリコプターは胴体が長く前と後ろにローターが付いた大型のヘリコプターだ。

 

ヘリコプターの中では、自衛隊員が日赤の医師と看護婦に

リペリング(降下)時の注意やロープの使い方、降下合図などの説明を始める。

 

幾多の災害に出動している日赤の医師や看護婦でも

さすがにヘリコプターからのリペリング(降下)なんてしたことがない。
それも地上20mからの降下なんて、、、

 

通常の場合であれば足がすくんで動けなくなる高さであることは言うまでもない。

 

 

総合グランドから飛び立ったヘリコプターは数分で山頂へ到着。

 

ホバリング(空中停止)や、リペリング(降下)の順番は手旗信号で指示をされるが、
無許可のマスコミのヘリコプターがわれ先にと現場上空に押し寄せて来ている。

 

危険な空域となっていた。

 

日赤の医師・看護婦を乗せたV-107ヘリコプターは

現場上空で旋回をしながらリペリングをすべく、

ヘリコプターはホバリング(空中停止)を開始する。

 

医師・看護婦らが、次々とヘリコプターから飛び出す。

 

「我々は災害要請を受ければ、どんな場所にでも行って助けます、

ただ、ヘリコプターからの降下は初めてであり「助けたい!」と言う一身で

無我夢中で飛び出しました」

 

日本赤十字社の医師・看護婦のプライドが見えた気がした。

 


このスゲノ沢は、墜落原因とされる後部圧力隔壁が回収され、

4名の生存者を出した奇跡の沢であることは言うまでもない。

 

後に、墜落現場まで道先案内をし救助にも携わった猟友会の方が

語った言葉を思い出した。

「御巣鷹山は520人が眠る霊山であり、奇跡的に4名の生存者が助かった聖山である」

なんと説得力のある言葉であろうか。

 

「またあとで下りてきますね」

と、スゲノ沢全体に語りかけ、”南無妙法蓮華経”と何度も唱える。

 

 

 

御巣鷹山 慰霊登山2(スゲノ沢編) 完

 

 

連続してお読み頂く場合は ↓

 

 御巣鷹山 慰霊登山3(昇魂の碑編)【再掲】

  http://ameblo.jp/f-tech/entry-10332066290.html