御巣鷹山 慰霊登山1(登山口編)【再掲】 | ☆はまじ☆日々頑張ってます

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【再掲】
 

2009年8月21日金曜日、御巣鷹山へ慰霊登山をして来ました。


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日航機が墜落した御巣鷹山への慰霊登山の記録を4部に渡って記事にしました。
興味がない方には、長くてつまらないです。 
スルーしてください。

 

記事内には、イメージ図や、一部墓標らしきものが写り込んでいる写真を掲載し
ていますが最大限ご遺族には配慮しているつもりです。
尚、文中にも犠牲者の方はイニシャル、生存者の方は実名で記しております。
実名記載に関しては、報道・文献などで周知の事実と理解をして実名を記させて
頂いております。 ご容赦ください。
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  ★ 想い

 

私は遺族でも、当時の関係者でもありません。

 

当時、パイロットを目指し航空工学を学んでいた私や学友、関係者としては、絶対に
墜落しないと言うボーイングが誇る安全神話の旗の下、世界中に600機就航されていた
ジャンボ機であったにも関わらず墜落事故を起こした「日航機墜落事故」は非常にセ
ンセーショナルだったと記憶があります。

 

空を目指した者として、本来は何度も足を運んで慰霊をしなければならないと思って
いたのですが、犠牲者の方の事を考えると重すぎて行けませんでした。

 

今まで一度も慰霊していない自責の念にかられ、今回、やっと慰霊登山に踏み切りま
した。

 

お花、お線香、お供え用の飲料、登山用のルートマップ、道路状況、現地の写真、他の
方々が行った慰霊登山の記事、行程スケジュールなど事前に出来る限りの準備をする。

 


   ★ 夢

 

慰霊登山をする数日前、不思議な夢を見た。

 

どこに向かうのか不明だが私は民間の旅客機に搭乗していた。 飛行機会社は不明だ。
私はいつものように通路側に一人で座っている。

 

ほどなくすると、機体は戦闘機の如く急激に右旋回をしながら急降下を始めた。

 

「はっ、これって」
何故か急降下する機内の中で日航機墜落事故が頭をよぎった。

 

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1985年8月12日、日航機123便が御巣鷹山に墜落した。

 

18:56:06秒(墜落20秒前)

  機首下げ度36度
  右横揺れ角70度
  降下率18000フィート/分
  対気速度400ノット
  垂直加速度4G

 

 右に70度も傾きながら機体が1分間に5400mもの凄まじい勢いで御巣鷹山へ降下。
 1秒間に90mの落下速度だ。
 1ノットは時速換算で1.852 kmだから、時速740kmで落下していることになる。
 4Gの加速度が身体を締め上げる。

 

 この時、高浜機長が「あったまあげろー」とコックピット内で叫んでいるのがボイス
 レコーダーに残されている。
 生存者の落合由美さんが「まさに真っ逆さま」と手記に書いてある時間だ。

 

18:56:23 (墜落3秒前)
 既に飛行機の体をなしていない機体は空中分解すれすれであり、時速500kmの速度で、
 通称[U字溝]と呼ばれる山腹に右主翼をぶつけ、右主翼とエンジンを落下させる。

 

18:56:26 (墜落)     
 機体は反転し胴体を上にした状態で、御巣鷹山に激突。
 520人の命が御巣鷹山に散った。
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なおも機体は急降下中だ。ものすごい加速度(G)が身体を座席に押し付ける。

声もでない。

 

「なんだこれは」
「これが墜落していく日航機の機内だったのか」

 

右側の小窓から山並みが見えた瞬間、機体の右主翼を山腹にぶつけた。

「あぁーー」
その瞬間、目が覚めた。

 

この数日間、どーやら日航機墜落の事を考えすぎていたのかもしれない。

 


   ★ 上野村     

 

8月21日(金)早朝5:15に自宅を出発。

所沢-->飯能-->秩父と一般道を抜けて行くのだが、夏休みと言うこともあり車も多く、
思うように前進出来ない。

 

「早朝の車がいない時間にトロトロと走る車は困るなぁ」
と思いつつ、ほんの2~3秒の全開区間で遅い車をパスする。

 

2時間30分かけて、上野村のシンボルタワーを通過して、道の駅上野に到着する。

 

道の駅上野から直接、御巣鷹の尾根に向かう予定だったが、上野村役場と総合グランド
を見ておこうと思い、3番の交差点を神流川(かんながわ)沿いに降りて行く。

 

神流川(かんながわ)を挟んで上野村役場が見えて来た。


[はまじ]★ブログ

 

この上野村役場は、墜落事故の翌朝から県警・自衛隊の事故総合対策本部が設置された
場所である。

以後、この上野村役場が数ヶ月もの間、事故処理の最前線となり、日本のチベットと言われ
た群馬県の片田舎の村が一騎に知名度全国区に上り詰めることとなる。

 

警察・自衛隊・メディア・医師・看護婦・日航関係者・葬儀関係者・婦人会ボランティア等、日

本中から人が押し寄せ、当時としては人口密集率が一番高い地域とされたことは言うまでも
ない。

 

上野村役場を神流川沿いに少し進むと総合グランドがある。

 

このグランドこそ、御巣鷹山から生還した4名の生存者を乗せたヘリコプターが着陸を
して、待ち構えていた救急車へ乗せ替え前橋の総合病院へ搬送した場所である。

 

この時、吉崎さんの娘(美紀子ちゃん)と、川上慶子ちゃんの2名はヘリコプターで、
落合由美さんと吉崎博子さんは救急車で陸路、病院へ向かっている。

 

以後、このグランドには生存者ではなくご遺体を乗せたヘリコプターが次々と着陸を
して、日本全国から集まった霊柩車へ移されて前橋を始めとする3箇所の遺体安置所へ
とご遺体を移動させる拠点となる。

 


   ★ 御巣鷹の尾根へ

 

「今日は雲っているなぁ」
天気予報では「曇り夕方から雨」と言っていた。

「気温は30℃に届かず、慰霊登山するにはちょうどかな」
と思いつつ、御巣鷹の尾根へ車を走らせる。

 

道路標識も出ているし迷うことはないから大丈夫だ

 

並走する神流川(かんながわ)が、ふと目に飛び込んで来た。

素晴らしい景色の中に溶け込むような美しい清流が見事だ。
ちらほらと渓流釣りをしている人もいる。

 

「日航機が墜落なんてしなければ、この小さな村は、

未だ美しい清流に囲まれた静かな村だったんだろうなぁ」
と感慨にふけりながら、13番交差点を左折。

 

すぐに[三岐(みつまた)トンネル]を抜ける。

 

ここから御巣鷹の尾根までは、5~6個のトンネルを抜けるが

トンネル内部でカーブしているトンネルもある。
トンネル中央に向かうにつれて光源が少なく暗い。

ヘッドライトだけでは心もとない。
「このまま出口が来ないのでは」
と言い知れぬ恐怖と共に車が闇に吸い込まれていく。

 

途中、すれ違う車は一台もない。

 

「寂しいなぁ」
と思う半面、朝の8時にすれ違う車があるって事の方が逆に恐ろしいと気付いた。

ダム管理の車両の一団に追いつくが、すぐに彼らはダムに消えていった。
ダム入口を横切り、上流部の本谷(ほんたに)周辺に差し掛かると

道路の様相は一変する。

 

その昔、この本谷周辺にも集落があり上野村分校があったと聞いているが、

それも昭和30年代頃までの話らしい。
それ以降、日航機が墜落する1985年までは誰一人、

足を踏み入れなかったへき地である。

 

小さな落石が道路のあちらこちらに落ちている。

道幅も極端に狭くなる部分もあり
「これで対向車が突っ込んで来たら終りだな」
と思うほど山深い道だ。

 

この辺の地盤は結構緩いのか、

墜落現場では浮石に足を掛け怪我をした警察・自衛隊関係者が多く、

この山道も土砂崩れで8月1日に開通したばかりだ。

 

「車に落石が当たらないのは運かな」
と思うほどの落石ぶりに、トンネルより怖さを感じる。

 


   ★ 旧登山口

 

落石に注意しながら進んでいたら急に開けた。
[旧登山口]に到着した。 時刻は8時40分。 自宅を出て3時間半。


 


[はまじ]★ブログ

 

長い間この場所は、ご遺族を始め慰霊登山をする方々が登山を開始していた場所であり
、現在では、この場所から1.3km上った所まで道が切り開かれている。

 

旧登山道は閉鎖されており倒木・崩落で荒れ果てていた。
見返り峠など誰も通らなくなって、お地蔵様も寂しくて可哀想!

と思いを巡らせる。

 

毎年8月12日には慰霊登山のために訪れるご遺族やマスコミの車で、

この上の新登山口は一杯になる。

そのため、この旧登山口まで上がってこられたご遺族をマイクロバスで

この上の新登山口までピストン輸送をしているのだ。

 

ここは待機所となっている事もあり、テントと机、椅子が観音様の前に設置され、

私が行った時点ではそのままの状態になっていた。

 

お手洗いをお借りしたのだが8月12日を過ぎて、まだ1週間しか経っていないこともあり

キレイに清掃されたお手洗いだった。芳香剤も香っていた。

財団法人慰霊の園の管理に感謝し新登山口へ向かう。

 


   ★ 新登山口

 

旧登山口から坂を上ったところに新登山口がある。

ほどなくして、[新登山口]へ到着した。

新登山口として2007年より利用開始されている場所だ。

 

旧登山口⇒新登山口への道は、ダムを作る代わりに道を作る。

と言う公共工事に絡んだ道路建設だったらしい。

「政治的な絡みであったとしても、結局は、今後ご高齢になるであろうご遺族が少しでも
楽に登山が出来るのであれば大歓迎だ」と心から思った。

ちなみに、ダムは2005年12月に運転開始をしている。   

 

駐車場は、

(仮称)第一駐車場と、(仮称)第二駐車場と別れており、

私は登山口に近い方の駐車場に進入した。

駐車場は、上手く止めれば10台~15台ほどは止められる広さである。

まだテントや机、椅子が置かれており、私の車は駐車場入口で反転しバックで奥まで進入。
一番奥に駐車させて頂いた。

 

先着(群馬ナンバーのクラウン、群馬ナンバーのジープ)の2台。

 

私も登る準備をしていたらワゴン車が上がって来て登山口付近に車を止め、

ご家族連れらしき3名が入山して行った。

 

こちらも入山準備を整え、登山口に向かう。


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登山口左には登山道の看板や吸殻入れ、右には登山用の杖。

以前、旧登山口に置いてあった物が移設されてきている。

 

上野村小学校の子供達が1本1本、安全を祈願した内容の言葉が杖に書かれている。

「みなさん頑張ってください」
「頑張って登ってください」
「私はこの事故を忘れません、頑張ってください」

 

村民全員で御巣鷹の山守りをしている姿に心が熱くなった。

 

 

 

御巣鷹山 慰霊登山1(登山口編) 完

 

 

連続してお読み頂く場合は ↓

 

 御巣鷹山 慰霊登山2(スゲノ沢編)【再掲】

  http://ameblo.jp/f-tech/entry-10332055719.html