3・14
高校の時ぐらいから一つの信念を持ってる。今のところその信念が揺らいだことはない。むしろ、揺らがないように生きてきたっていう方が適切かもしれない。
中学の後半から体にひどい倦怠感を覚えるようになった。高校に入るとその症状はさらに悪化した。病院で検査をしても原因不明。先の見えない焦りのせいで何をする気にもなれず、引きこもりがちになった。そのときは、なぜ自分だけがこんな目に遭うんだってやりきれない思いでいっぱいだった。周りと違うことが辛いということを身をもって実感した。
でも、人間どこか天邪鬼なところがあって、それでも死のうとは思わなかった。「仕方ない」っていう周りの声がひどく無責任に聞こえたし、そんな周りの声に甘えている自分がたまらなく情けなかった。他人から同情や慰めは人の暖かさに触れる数少ない機会だと思う。けれど、気をつけないと自分を甘やかす口実になってしまう。
大学3年の今、体の調子は良好だ。けれど、あの時感じた周りに対する不信感は消えやしない。多分、この不信感を乗り越えようとしてみんな頑張ってるんだろう。信じようとして、信じきれなくて、裏切られて、それでもまた信じようとしてる。そのプロセスはすごく感動的だ。たとえ結果的に敗北しても、僕はその姿勢はすばらしいと思う。僕は生きているうちに、そういった人にできるだけ多く会いたいと思っている。そのとき、自分がしょうもない人間だったら恥ずかしいから、できる限りそんな自分を磨いていきたい。
2・25
スーツを脱ぎ捨てて図書館通いを始めて10日。図書館と家の往復生活にやっと慣れつつある。そして、自分の気持ちの整理もようやくついてきた。
気持ちの整理がつくと、これからのことを考える余裕ができてきた。自分のおかれている状況と理想はどのくらいの開きがあるのか。そして、それを埋めるために何をすべきなのか。本を読んでるときも、英文を訳してるときも常に考えている。そして、いつも答えはでない。
結局、僕は一生考え続けるんじゃないだろうか。理想はいつも届かない。理想に届いた時には既に新しい理想を持ってる。まるで、目の前に人参をぶら下げられた馬みたいに理想を追う。友人の中には「今をもっと大事にしろ」っていうやつもいる。でも、それは友人のように気ままに生きることではないと思う。まとまりがつかなくなったけど、そういうことを考えながら毎日頑張ってます。
