パイナップルはどうも苦手なのですが

 

パインアメを食べると旦那に「は?」って顔されます。

 

F-ROOM くじらです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日から2週間チャレンジ。

 

“過去を振り返って書くブログ”投稿です。

 

 

14個もネタあるかな滝汗

 

 

お付き合いいただければ幸い。

 

あと今日は長め。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょうど先日

 

人生謳歌塾の佐伯あこさんとラインでお話ししているうちに

 

自分の好き嫌いがぼんやりしているという話になり。

 

 

 

 

 

 

実はダラダラするのが好きだったり←疲れてるんだくらいに思ってた

 

ほかに好きなもの、とすぐにパッと出てこないくらい

 

「好き」に意識がないんですね。

 

 

 

 

 

 

 

反対に

 

「嫌い」という言葉を使わないようなクセがありました。

 

それも今思い返せば

 

 

 

 

 

 

意識的に「嫌い」を「好きじゃない」「苦手」に言い換えて

 

それは「嫌い」という言葉を発したくなかったからで

 

なぜ発したくないかというと

 

陰口やいじめを思い出すから。

 

 

 

 

 

 

小学生の頃の女子の陰口から始まり

 

中学の時は自分もいじめに近い経験があり

 

 

 

 

 

『嫌い』という言葉やその意思をはっきりさせることが

 

とても攻撃的なイメージになっていました。

 

 

 

 

 

そして同時に、「好き」という意思も

 

よくわからなくなっていきました。

 

好きなこと、好きなものって何?と聞かれても、すぐに出てこないくらいには。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「好き」がわからない分

 

それを突き詰めていくアーティストを見ては

 

自分の何もなさを痛感したり

 

 

 

じゃあ、なにが「嫌い」かといっても

 

嫌いを認識できない程度に

 

感じたことをいろいろ誤魔化してきたんですね。

 

 

 

 

 

 

仮に本当はわかっていたとしても

 

言葉に出ないように

 

どこかでストップがかかっていたような感じ。

 

 

 

 

 

 

 

言葉にすることで

 

好き嫌いではなく

 

善し悪しが決まってしまうような気がしていました。

 

 

 

 

 

 

 

でも、それは自分が作り上げたイメージなんです。

 

 

 

 

 

 

 

「好き」や「嫌い」に

 

それ以上も以下も意味はない。

 

 

 

 

だけど、経験で積み上げたイメージで

 

それ以上の何かが起こるような気になってしまう。

 

 

 

 

 

とても人間臭い、経験というフィルターを

 

ろ過に使わず、詰まらせてしまっていたわけです。

 

 

 

 

 

 

 

リンゴ好き? ううん、きらい

 

ここから悪いことなんて起こらない。

 

 

 

だけど経験から

 

 

リンゴ好き? ううん、きらい

じゃあ今日のおやつは無いね

 

 

と、勝手に想像してしまうわけなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

経験から学ぶ、というのは

 

言わずもがな、必要なことだし、得るものも多い。

 

だけど、言葉=経験したイメージにしてしまうと

 

途端に動きにくくなるし

 

そのことに気づかず過ごしていると

 

それが当たり前すぎて、意識もしなくなる。

 

 

 

 

 

今回、意識していなかった自分の「嫌い」のイメージを

 

あこさんに伝えるために言葉にできたことで

 

意識していなかったことを意識できたのは

 

大きな一歩でした。

 

 

 

 

 

 

無意識ってこわいチーン

 

 

 

 

 

知らずのうちに作っている自分なりのイメージ

 

気づけたら、そこからまた世界が変わるかもしれませんね~。

 

 

 

 

 

人生謳歌塾主催 佐伯あこさんは

 

そんなイメージに気づかせてくれる方ですよウインク

 

ブログはこちら↓↓↓

https://ameblo.jp/annamuse/

 

 

 

 

 

がんばりすぎずに、がんばりましょ。