暑い夏は嫌いなので、もう頭の中は紅葉が綺麗な秋モードに入ってしまっている。ちょっと肌寒いくらいが特にお気に入りで・・「温泉でも行きたい」がいつもの口癖である。
温泉と言ったら「旅館」・・・そう言えば代表的な不況業種となってしまった旅館業、ホテル業。
温泉旅館の再生などと言うコンサルティングの相談もチラホラ来ていたと思う。それはそれで大変なコンサルティングとなるのだが、そのコンサルティング内容は別の日に改めて記載したと思っている。
ある日、群馬の温泉で露天風呂に入っていた。夕方頃のことである。はるか上空のうろこ雲と綺麗な夕焼けを見あげながら、かけ流しの源泉に入る。
日差しは強いがヒンヤリと秋の気配を感じて清々しかった。半身浴しながら周囲を見わたすと、ひとりの作業員が庭そうじに励んでいるのが目に入った。
ずっと下を向いたまま黙々と作業をしているのだが、その様子が一風変わっている。庭石や敷石の上に落ちた落ち葉を丹念に取りのぞき、綺麗になったら雑草取りを始める。5分もしないうちにふたたび落ち葉が目立ってくるので、そちらを取りのぞき、また雑草を除去。
それを延々とくり返しているのだ。
このままでは永遠に庭掃除が終わりそうもないが、一向に気にしない様子でゆったりと作業している。
この作業員の目的は何なのだろう。果たして葉っぱが一枚も落ちていない状態を目指そうというのか。彼に真意を探って見たかった。
同時に、ある方から聞いた千利休のエピソードを教えてあげたかった。
ある日、利休は息子の紹安(じょうあん)が露地に水をまくのを見た。息子が掃除を終えたとき利休は、「まだ綺麗になっていない」と、やり直しを命じた。いやいやながらも紹安は一時間もかけてふたたび掃除を行い、父利休に言った。
「お父さん、もうこれ以上何もすることがありません。敷石は三度も洗ったし、石灯籠も庭樹にも充分水を打ったし、苔(こけ)は生き生きした緑色に輝いています。小枝一本、木の葉一枚落ちていません」
すると利休は、「ばか者」と息子を叱りとばした。
利休の心はいかに?
「ばか者」と叱ったあと、利休は庭に下りて一本の樹をゆさぶって庭いちめんに金色と深紅の葉、秋の錦の小切れをまき散らした。利休が求めたものは清潔だけではなく、美と自然でもあった。
清潔で美しい住まいなら、新築住宅のモデルルームが最高だが、そこで人が生活し、仕事をする。清潔さと美しさを保持しながら自然であることも求められる。さらに、歴史の重みも加わる。
もちろん建物や庭の話をしているのだが、考えてみたら人間そのものについてもほぼ同様のことが言えそうだ。清潔さ、美しさ、自然さ、それに歴史の重みが求められるのは人も同じなのではなかろうか。
今日はこのへんにしとうございます。



