void
みなさんシンボルという言葉を
ご存知でしょうか
ここでいうシンボルとは
記号を象徴するシンボルとは違い
常識、心理、論理、コミュニケーションを元に
頭の中でイメージしたものです
例えれば、「夢」、「自分の世界」、「ビジョン」、
それこそ「イメージ」漠然と言葉でない
頭の中に浮かんだものといいましょうか
心理学の言葉なのですが
最近の本でシンボルを扱った本を
見つけられなかったのですが
昔からある言葉らしいです
夢やビジョンに向かって活動することを
シンボル活動
頭の中で概念やイメージをコントロールして
いろいろな作業をすることを
シンボル操作
いろいろな影響を受けて
頭の中で思い浮かべられる世界を
シンボル世界
これを他人、社会と共有するために
言葉があり、計算式があり、芸術があり、活動があり
つまり手段を用います
学問も概念を発展させてきて今の体系があります
自然を捉えるイメージを
神話からではなく観察から得た捉え方を
科学として概念を手段を用いて共有します
しかし概念を発展させる際
前提を変える必要性が出てきます
一部変えるのだけでも大変ですが
大きく変えると中世では殺されていました
社会の秩序を乱してしまうからでしょうか
今でも政権を認めない考えは
殺されてしまうことも世界ではあります
常識という魔力ですね
しかしシンボル活動でしか
世界を作っていけません
未来はシンボルにかかっているのです
論理や計算は前提が崩れると
破綻して信用性がなくなってしまうので
発展するためには真理が必要です
そんなもの見つかってません
ですからシンボルが重要なのです
前の世代が築き上げた常識は
後の世代のシンボル活動によって崩されます
そして人類は進歩するのです
自己の保身にはしっては進歩を止めることになります
争いの元はこの時に
既存のシンボル世界と
新たなシンボル世界の衝突で起こります
命のやりとりも起きます
人が自己の保身にはしっている限りですが
特に社会が経済的にうまくいっていない時には
シンボル衝突も激しくなるでしょう
既存のシンボル世界の人たちの利益と
新たな解決手段を手に入れたシンボル世界の人たちとの間で
限りある利益を奪い合うことにもなるからだと思います
結局、前提の問題でもあると思います
今まで人類が培った常識が
全部でたらめだったら
忘れたら、嘘だったら
そう思えば新たなシンボル世界を受け入れることが
難しくないのではないでしょうか
子供は常識を覚えていきますが
勉強している時に教えている人と
争うことは教えている内容じゃありません
違う理由だったり
既に知っている、教わっている内容と違う時だと思います
それこそ既に知っている常識と違う時かもしれません
このブログの内容も信じることよりも
内容を崩して新たな常識を作ることが
いいことなのかもしれません
言われなくってもそうする人はそうすると思います
なぜなら集めている情報も
生きてきた経験も
考え方も、まるっきり同じではないからです
多様性の良い所は発展性、生産的
つまり常識がそれぞれ違うこと
理想はそれを押し付けないことでしょうか
昔の人は禅として後世にこのようなことを伝えてきました
この内容はそこから発展できたのでしょうか
ご存知でしょうか
ここでいうシンボルとは
記号を象徴するシンボルとは違い
常識、心理、論理、コミュニケーションを元に
頭の中でイメージしたものです
例えれば、「夢」、「自分の世界」、「ビジョン」、
それこそ「イメージ」漠然と言葉でない
頭の中に浮かんだものといいましょうか
心理学の言葉なのですが
最近の本でシンボルを扱った本を
見つけられなかったのですが
昔からある言葉らしいです
夢やビジョンに向かって活動することを
シンボル活動
頭の中で概念やイメージをコントロールして
いろいろな作業をすることを
シンボル操作
いろいろな影響を受けて
頭の中で思い浮かべられる世界を
シンボル世界
これを他人、社会と共有するために
言葉があり、計算式があり、芸術があり、活動があり
つまり手段を用います
学問も概念を発展させてきて今の体系があります
自然を捉えるイメージを
神話からではなく観察から得た捉え方を
科学として概念を手段を用いて共有します
しかし概念を発展させる際
前提を変える必要性が出てきます
一部変えるのだけでも大変ですが
大きく変えると中世では殺されていました
社会の秩序を乱してしまうからでしょうか
今でも政権を認めない考えは
殺されてしまうことも世界ではあります
常識という魔力ですね
しかしシンボル活動でしか
世界を作っていけません
未来はシンボルにかかっているのです
論理や計算は前提が崩れると
破綻して信用性がなくなってしまうので
発展するためには真理が必要です
そんなもの見つかってません
ですからシンボルが重要なのです
前の世代が築き上げた常識は
後の世代のシンボル活動によって崩されます
そして人類は進歩するのです
自己の保身にはしっては進歩を止めることになります
争いの元はこの時に
既存のシンボル世界と
新たなシンボル世界の衝突で起こります
命のやりとりも起きます
人が自己の保身にはしっている限りですが
特に社会が経済的にうまくいっていない時には
シンボル衝突も激しくなるでしょう
既存のシンボル世界の人たちの利益と
新たな解決手段を手に入れたシンボル世界の人たちとの間で
限りある利益を奪い合うことにもなるからだと思います
結局、前提の問題でもあると思います
今まで人類が培った常識が
全部でたらめだったら
忘れたら、嘘だったら
そう思えば新たなシンボル世界を受け入れることが
難しくないのではないでしょうか
子供は常識を覚えていきますが
勉強している時に教えている人と
争うことは教えている内容じゃありません
違う理由だったり
既に知っている、教わっている内容と違う時だと思います
それこそ既に知っている常識と違う時かもしれません
このブログの内容も信じることよりも
内容を崩して新たな常識を作ることが
いいことなのかもしれません
言われなくってもそうする人はそうすると思います
なぜなら集めている情報も
生きてきた経験も
考え方も、まるっきり同じではないからです
多様性の良い所は発展性、生産的
つまり常識がそれぞれ違うこと
理想はそれを押し付けないことでしょうか
昔の人は禅として後世にこのようなことを伝えてきました
この内容はそこから発展できたのでしょうか
essence
あらゆるものが変わり続けても
変わってないところがあると思います
星なら爆発と誕生(かな?)が変わらずに繰り返し
その繰り返しの中で新たな物質ができたり
生命が住み着いたり・・・
人(生命)なら誕生と死の繰り返しの中で
その人のその時代のその場所の人生があります
それはその人だけの話ではなく
同じ時代を生きた人たちの話でもあります
写真は誰もがその時のその場所のその人を
光の具合により残せるかもしれませんが
絵のようなものは画家が素材(人物や花など)を
どのように表現したいかによって
違う感じに見えたりします
でも同じ素材だと伝わると思います
それは人が感じる本質のようなものなのかもしれません
人が感じるからであって
絵が本質ではありません
でも本質のようなものを表現することが
人にはできると思います
絵でも文章でも動きでも会話でも活動でも
伝わると思います
人に伝えることができても
自分が満足しなければ
それは苦しみでしかないと思います
自分も満足して他の人も満足できれば
いいことだと思いますが
自分は苦しんでることを人が楽しむのは
人としてどうかと思います
ただ自分が満足したい過程で
自分が苦しむことがあります
現状と理想のギャップなど・・・
でも現状を受け入れることも
間違いではないと思いますし
現状受け入れても理想を求められるはずです
(たぶん・・・理想は変わるかもしれませんが)
人間などは進化の過程で神経があるから痛いのですが
単細胞は痛みません(たぶん)
だからって単細胞をうらやむ必要はありません
ひとはこの宇宙の長い歴史の中で
この時、この場所で、この時代の人と共に
人生があるのですから
その過程の中で人には
その人の人生の本質といいましょうか
変わらない命が伝わると思います
生まれ変わるとしても
生きたのは長い宇宙の歴史の中で
「今」
です
目的は無くっても
優秀といわれなくても
命は今を生きてます
この瞬間しかないと思います
宇宙の物質は変わって最後はある物質になって
元々や過程が何の物質か
わからなくなるかも知れませんが
人の命は人生は最後は死ぬとわかってても
宇宙のその時代のこの星のその人たちと生きた人は
あなたしかいません
これは変わらないと思いますし
思い出というものになるかもしれません
いつの時代もそうなのかもしれません
誰もがそうだと思います
写真には写らないものですが
人は残していくと思います
たとえ地球を支配できなくなって
将来の人類の「今」が他の生物に左右されてしまったら
楽しみも減ると思いますし
それが我々の時代の所為だったら
それは汚名としてのこるかもしれません
人類がずーっと続いたらの話ですけどね
変わってないところがあると思います
星なら爆発と誕生(かな?)が変わらずに繰り返し
その繰り返しの中で新たな物質ができたり
生命が住み着いたり・・・
人(生命)なら誕生と死の繰り返しの中で
その人のその時代のその場所の人生があります
それはその人だけの話ではなく
同じ時代を生きた人たちの話でもあります
写真は誰もがその時のその場所のその人を
光の具合により残せるかもしれませんが
絵のようなものは画家が素材(人物や花など)を
どのように表現したいかによって
違う感じに見えたりします
でも同じ素材だと伝わると思います
それは人が感じる本質のようなものなのかもしれません
人が感じるからであって
絵が本質ではありません
でも本質のようなものを表現することが
人にはできると思います
絵でも文章でも動きでも会話でも活動でも
伝わると思います
人に伝えることができても
自分が満足しなければ
それは苦しみでしかないと思います
自分も満足して他の人も満足できれば
いいことだと思いますが
自分は苦しんでることを人が楽しむのは
人としてどうかと思います
ただ自分が満足したい過程で
自分が苦しむことがあります
現状と理想のギャップなど・・・
でも現状を受け入れることも
間違いではないと思いますし
現状受け入れても理想を求められるはずです
(たぶん・・・理想は変わるかもしれませんが)
人間などは進化の過程で神経があるから痛いのですが
単細胞は痛みません(たぶん)
だからって単細胞をうらやむ必要はありません
ひとはこの宇宙の長い歴史の中で
この時、この場所で、この時代の人と共に
人生があるのですから
その過程の中で人には
その人の人生の本質といいましょうか
変わらない命が伝わると思います
生まれ変わるとしても
生きたのは長い宇宙の歴史の中で
「今」
です
目的は無くっても
優秀といわれなくても
命は今を生きてます
この瞬間しかないと思います
宇宙の物質は変わって最後はある物質になって
元々や過程が何の物質か
わからなくなるかも知れませんが
人の命は人生は最後は死ぬとわかってても
宇宙のその時代のこの星のその人たちと生きた人は
あなたしかいません
これは変わらないと思いますし
思い出というものになるかもしれません
いつの時代もそうなのかもしれません
誰もがそうだと思います
写真には写らないものですが
人は残していくと思います
たとえ地球を支配できなくなって
将来の人類の「今」が他の生物に左右されてしまったら
楽しみも減ると思いますし
それが我々の時代の所為だったら
それは汚名としてのこるかもしれません
人類がずーっと続いたらの話ですけどね
mean
目標を持つことが
重要だという人がいます
それについて特に意見は言いませんが
補足したいことがあります
目標の意味も大事だと
どういうことかといいますと
目標を立てるとき
そこに経緯があると思います
理由と申しましょうか
それが大事だといいたいのです
例に出すと
自分の世界を広げるために
旅をしたいと思っている若者がいるとします
旅をするために日本一周をしたとします
それだけで良いのでしょうか
自分の世界を広げられなかったら
意味が無いのではないでしょうか
目的の意味を覚えていれば
世界が広がったかどうか分かるはずです
そこではじめて目的が達成されたかどうかが
判断できるはずです
もし旅をしても自分の世界が広がらなかったら
他の方法を考えてもいいはずです
旅は目的(手段というべきでしょうか)であっても
その意味は自分の世界を広げることですから
目的を軌道修正することは
良くあることです
よく言う言葉で
「手段は目的ではない」
といったところです
そういった意味で
目的の意味は重要だと思います
人には世界を捉えるその人の世界観というものが
あると思います
それは決して決まりきったものではなく
発展するものだと思います
目的の意味も発展させることができるはずです
それが成長に繋がるとも思います
人はそうやって昔より
良い生活を手に入れたのではないでしょうか
重要だという人がいます
それについて特に意見は言いませんが
補足したいことがあります
目標の意味も大事だと
どういうことかといいますと
目標を立てるとき
そこに経緯があると思います
理由と申しましょうか
それが大事だといいたいのです
例に出すと
自分の世界を広げるために
旅をしたいと思っている若者がいるとします
旅をするために日本一周をしたとします
それだけで良いのでしょうか
自分の世界を広げられなかったら
意味が無いのではないでしょうか
目的の意味を覚えていれば
世界が広がったかどうか分かるはずです
そこではじめて目的が達成されたかどうかが
判断できるはずです
もし旅をしても自分の世界が広がらなかったら
他の方法を考えてもいいはずです
旅は目的(手段というべきでしょうか)であっても
その意味は自分の世界を広げることですから
目的を軌道修正することは
良くあることです
よく言う言葉で
「手段は目的ではない」
といったところです
そういった意味で
目的の意味は重要だと思います
人には世界を捉えるその人の世界観というものが
あると思います
それは決して決まりきったものではなく
発展するものだと思います
目的の意味も発展させることができるはずです
それが成長に繋がるとも思います
人はそうやって昔より
良い生活を手に入れたのではないでしょうか