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インプット、プロセス、アウトプット
これらは原因と結果を表すのではなく
アウトプットがインプットになり
さらに違ったアウトプットを導く
フィードバックやフィードフォワードを表したり
アウトプットが現れるまでプロセスが
インプットを処理し続けるといったものや
(極端な例がブラックホール)
アウトプットがプロセスにフィードバックし続ける
オートポイエーシスなるものもあります
(極端な例がウロボロス)
皆さんはこれらを利用しているのですが
具体的には「悩み」なるものが
インプットが処理しきれていなく
プロセスのところでループしているイメージでしょうか
自分の問題かインプット側の問題か
はっきりしなければ葛藤もあることでしょう
何をしたいかでインプットの処理も変わってくるので
ご自分のアウトプットの目的そのものを忘れなければ
問題、悩みの本質が見えてくると思います
もしくは仕事でパソコンを使うかと思いますが
編集なしで一発でアウトプットを作る人は稀かと思います
一度できた成果物を試行錯誤して顧客に提出するといった
アウトプットとプロセスを行ったり来たりすると思います
そうなると仕事でも悩みでも求められるのは
「目的、目標(ベクトル)」と
「プロセス、編集力、確かなフィードバック」となります
なぜかと言いますと
目的によりアウトプットが違うからであり
プロセスも変わっていき
インプットは必要ですが重要なのはプロセスだと言えます
そしてこのプロセスはデータに対しての
「(前、中、後への)追加、結合処理」
「抽出」
「分割」
「変換、置換」
「消去」
「複製、再現」
などをすることで目的を果たそうとします
これらは文字列や数字などのデータだけに当てはまらず
絵や映像(画像や動画)にも通じ
抽象的なイメージさえも編集できます
これら以外にこれまでこのブログで書いてきた
「演繹」
「帰納」
「アブダクション」
「メタ(集合)」
「関係(構造)」
(集合と関係の掛け合わせは位相となります)
などもあります
どちらも思考の上ではスキルとしての重要な役割を果たします
帰納したものを演繹したり
(統計から傾向を見出したり)
帰納からアブダクションし関係を見てそこから帰納する
(症例と聞き取りから病名を見つけ出し既往の病気などから投薬の
注意点を探ったり他の患者と比較したデータを収集してさらなる医薬の発展に寄与したり)
データの範囲を広げて(メタ)、帰納したり
(歴史の論争において因果の原因(過去)からさらに関係する原因(過去)と結びつけて総論する)
集合と結合とか
(集合の内にある機能と違う集合の内にある機能を結合させて
新たな(複雑、高度な)機能を生み出すとか)
複製と演繹とか
(スキル持った人の真似をしてそこに自分のオリジナルを追加していく)
これらが試行錯誤だと思います
問いの設定は十分に重要なのだけれども
目標設定するだけでもこれだけのことが
頭の中で整理されます
(脳は統合されるとスッキリするものでしょうか?)
見たままや聞いたままで騙されたり利用されたりしてませんか
常識を疑うというのは前提を何度も見直すということで
何かにつけてその前提を疑う癖が新たな発見をもたらすこともあり
わからなかったことがわかることにも通じます
karma
システムの研究して
スピリチュアルな興味を抱くことは
私にとって不思議ではありません
なぜならシステム内において
要素と要素の関係があり
例えば人間を要素と見立てた時
・個と集団の関係
・個と個の関係
・集団と集団の関係
と捉えることもでき
その関係のモデルを構造と呼び
・体系構造=違いを明確にする要素同士のカテゴライズを扱う
・組織構造=目的を果たすための要素同士のポジションを扱う
・相対構造=視点の切り替えによる要素同士の変化を扱う
・メカニズム構造=全体性を発現するための要素同士の入出力の連動を扱う
・ネットワーク構造=物理的な基盤の元、要素同士の関係の量を扱う
以上の構造が一つ以上重ね合わさった末の発現がシステムだからです
要するに抽象的な話とスピリチュアルな話は
具体を直接扱わない意味で親和性があるのです
私は心理学や脳科学において統計が意味を持たないと
散々発言してきたつもりですが
条件による個の反応を見ても
その人の環境との関係と
その人の経験を考慮した
集合と位相を持ってその人を分析しないと
今まで通りの統計では
傾向と無視された例外の断裂が大きすぎ
人間の心や脳を研究する必要があるのに
データ上それぞれの人間同士は分裂していることになっており
人間のことがますますわからなくなる研究をしてるとしか思えないからです
昨日までの研究結果の常識が覆ったり
歴史上の人物が天才として扱われたり
異常者として扱われたりする背景に
その当時の常識から違うデータの積み重ねだったり
例外だけのデータに着目した結果
知識やスキルの均一的な教育からこぼれた人を
高く評価したり低く評価する現代の社会からみた
包括的でないタコツボ化した
知の偏見に囚われた
井の中の蛙というような問題ではないかと思います
具体と抽象を使い分けできるようになると
自分で物事を考えられ何らかの帰結を導くことができるのですが
心理学でも脳科学でも型というものに縛られて
なかなか革新が生まれにくい研究の仕方をしているので
昔の人が考えたようなことに研究結果が及ばないことを
何の恥ずかしげもなくひけらかしているのです
昔の人の知恵は宗教に集約されて
その知恵が科学が扱えてない問いに答えてきました
逆に心理学や脳科学の型にはまってない分
昔の人の知恵が導くものは幅広く深いもので
今を持っても求められるのは温故知新
昔の人の知恵に科学のメスを入れ
それはもちろん今までの科学の発展から見た
古くて新しい知見であって
その抽象的なものを扱うためにも数学の力を借りた分析
私が言う限りではありませんが集合と位相が有用だと
具体的に数の問題では
昔の人が扱えなかった数を簡単に扱え
そのおかげで宇宙のことについて考えられるようになりました
(10の何乗などの表記によって)
心とは怒ったり悲しんだり楽しんだりするものです
人が勝手に怒ったり悲しんだり楽しんだりすることもあるかもしれませんが
多くの場合、人や事や物に対してです
おからせた人か事か物がいたりあったりするのです
ましてや人間は社会性の動物です
社会的に自立や独立をしても
関係性を保っての事です(誰とも無関係になる事ではありません)
その関係性において心が重要になってくるのです(つまり脳)
自分に動機があり相手に何らかの負の作用をすれば
たいていの事は法律で規制されているので
社会的ペナルティが課せられます(刑罰です)
負の作用によって何らかの損害を与えられた人の代わりに
公的に信任された人が代わって反省を促すのです(裁判官ですね)
そして取り締まられない人は次々と被害者を生み
社会に損害を与えるのです
(マスコミの都合によって、ホリエモンは逮捕されるように報道で
情報操作されてきましたが、長年のテレビ番組のスポンサーであった
東芝の歴代経営者たちは逮捕されませんでした)
では捕まらなければ何をしてもいいのかというと
法律や社会制度は道具であって
網の目をくぐるというような表現のように
万能でもなければ完璧でもないのです
いちいち禁止事項を明文化していては
それを知らなければついうっかり逮捕されかねません
なので人間には暗黙のルールを学びとって
社会で生きていけるような学びがあります
そしてその学びは何らかの情報を受け取らない限り
つまりフィードバックでない限り
いつまでも動機にこだわり
自分にとってはいい事ならそれを繰り返し
相手や社会にとって悪い事は何度でも再現されます
その大規模な集団同士の関係においてのそれを戦争としたり
小規模な集団同士や個人同士だと喧嘩や闘争としたり
その一方的なものを迫害やいじめとしたり
逆に相手にとってプラスになる事をするのを
その大規模な集団同士の関係においてのそれを互恵関係としたり
小規模な集団同士や個人同士でも互恵関係としたり
その一方的なものを援助としたりしますが
それらの関係において心の状態が問題となります
嫌がってるのを見てエスカレートしていくかやめるか
喜んでるのを見てエスカレートしていくかやめるか
20世紀の世界は問題解決の手段として戦争をしてきましたが
戦争は何も解決しませんでした
しかし未だに人間関係において
暴力で相手を従わせようとしたり
自分に有利に事を運ぼうとしたり
それは肉体的だけでなく言論により暴力も何も解決してきませんでした
21世紀に勃興したテクノロジー産業
この技術によりこれまで扱えなかった問題が扱え始めてます
そしてここでも温故知新
宗教が答えてきた疑問に科学が挑戦し技術が解決するのです
そしてスピリチュアルにもメスを入れ
相互からの歩み寄りによって
心の問題を抱えた人の一助となるべきです
私は人間は無意識で繋がってるという事さえどこか疑えないのです
なぜなら意識で扱えないものでも無意識で扱ってると言えるからです
「関係ない」というのは簡単ですが
関係の無さが証明できないよう
また関係性も証明できないものでもありますが
現象には因果があるよう
それは必ずしも単純でないよう
昔からの知見が最新の科学研究と同じ事を指してる事もあるよう
その関係性は動く座標でもって
人間一人一人に現れている
個の中の社会性が無意識に起こす応報なのかもしれません
そしてそれは意志とは関係の内容で
意志によって引き起こされた何らかのフィードバックに
無意識の反応であり
その反応が一時的な喜怒哀楽であったり
慢性的なメンタルに影響を及ぼしたり
肉体的な不調の原因かもしれません
CPUが抽象を上手に扱えるようになると
ますます人間の専門領域は狭くなりますが
具体化(絵や数字や図など)された抽象を扱うのがやっとみたいですから
あと少しくらいは人間その想像力に溺れられますが
そのうちCPUが動画予測とかしだすんでしょうか
写真のオブジェクトを操作しだしたり
物理エンジンの適用バーションや無視バーションなど
それを具体化する手段を持ったらと思うと・・・
やはり人間に残されたフロンティアは
異常の中にあったり
無駄の中にあったりするものなんですかね
AIが特許査定する日が来るかもね
authority
少子化問題もう手遅れ感が否めませんね
家庭を持ったことのある年配者は
この問題が結婚適齢期当事者にあると考え
相手への条件を下げるべきだの
食生活のせいにしたり
精神論に求めたり
そもそも自分達が築いた社会のメカニズムはそのままで
対象の人間ばかりを問題視しても
世の中知らないで
高望みしてるわけでもないですし
健康に良い物ばかり食べられるわけでもありませんし
心の豊かさより物の豊かさを選んできた人たちに
精神論を語られても腑に落ちません
問題は社会システムにあります
経済性が重視され
幸せなどのよき人生に重きを置かない社会
つまり死ぬ間際に後悔するようなことを
システムが作り出しているのです
1・もっと自分らしく生きればよかった
2・あんなにガムシャラに働かなくてもよかった
3・言いたいことは、はっきり言えばよかった
4・もっと友達と連絡を取ればよかった
5・もっと自分の幸せを追求すればよかった
(インターネット記事抜粋元・https://tabi-labo.com/156441/5-regret-before-die)
いい子になりなさい
もっと働け!
口は災いの元だよ
仕事でなかなか会えない人々
いい生活には金がいるんだよ
システムが個性を否定し
システムが過労を生み
システムが波風立たない様にし
システムが人とのつながりを弱くし
システムが精神的な満足より物質的な満足を重視する様に仕向けるのです
科学主義がスピリチュアルな世界を否定し
拝金主義が人間の理想の追求より目の前の生活しか考えさせませんし
物質主義が数値化できない物を評価しませんし
資本主義が搾取を正当化し貧富の固定階級社会を続けようとしますし
偏った損得勘定がより良い物や事や状態をあきらめさせますし
偏った利益第一主義の成れの果てが国破れて山河ありの光景です
個人だけの為にシステムがあっても良いシステムではありませんし
システムの為だけに個人があっても良いシステムとは言えません
なぜならシステムの恩恵が一人だけだと支える多くの人の不満となりますし
システムの為に個人が犠牲になってもそのシステムの持続性に疑問はつきものでしょう
広く浅く犠牲があっても深く狭く犠牲があっても
どちらが良いシステムなるか判断できませんが
現代はシステムという概念がいまだ一般数式化されてないとはいえ
十分に研究が進んできて技術(主にITを通してですが)としては
かなりの問題を解決できる様になりました
社会システムへのアプローチはまだ始まったばかりです
いろいろな挑戦がいろいろ人の手で試されていますが
スキルを学んだ人と学んでいない人の差は
現実社会を見れば一目瞭然です
学んでいない人は学んだ人が上げる手柄に危機感を覚え敵視します
バカだから学んでいないのではありません
これまでに学ぶ機会がなかったからです
技術を得た人が経済界を席巻してますが
学んでいない人たちは彼らを手下に置いて支配しようと考えてます
つまり社会の主導権は自分達が握って
技術を学んだ人たちを変な人扱いするのです
(中世の権力を握ってた宗教指導者達がとった戦略でいわゆる異端者扱いです)
そうする事で自分達が正当な経済人だと言いたいのです
そのスピーカーは芸能人
IT業界や社会問題に取り組む人たちは
マスコミを恐れているというより
テレビ局を恐れているという感じです
(ホリエモンの件がありましたからね)
行政を味方につけた技術を学んでいない人たちは(行政の人も)
まるで江戸幕府の体制(旧システム)のまま
欧米化(新システム)を謀ろうとしている様なもので
その運用に無理があります
彼らは世界の変化が見えておらず
システムを維持する事に注力しても
システムをより良くしていこうなどとは夢にも思えないでしょう
アメリカが絶対の様な考えの人たちは
相対的にアメリカを見れず
軸が変化すると主体性がない自分達を受け入れられないで
力でもってわかりやすくないと
世界観を変えられない様
多様化という世界はあらゆる物、事、人が相対化され
(インターネットですでにそうなりつつある様)
物を創造するスキルや事を良くしていくスキルや人をコーチングするスキルに
おける発信力が幅を利かせます
仕事の手柄はまぐれではなく
常に成果を上げられる様にスキルを確立し磨くのです
その事で好循環が生まれます
1・スキルを使って試行錯誤
2・失敗の手を潰していき成功の手が見つかる
3・成功を繰り返す
4・スキルが磨かれる
(1に戻っても違う課題に挑戦しスキルの幅を広げても
同じ様な課題に挑戦しスキルを掘り下げてもいい結果になる)
一方で現在の日本社会はというと
1・技術を学ばないビジネスマン
2・技術を学んだ者達が上げる手柄に危機感を覚える
3・技術を学んだ者達を排除したがる
4−1・新規ビジネスに人、者、金が十分に行き渡らず大きくならない
4−2・新規ビジネスの手柄や対価は横取りしても行政は取り締まらない
5−1・新規ビジネスはあくまで資本の傘下なので地位は低いまま
5−2・技術を学ばなくても利益を搾取できるためそこそこ食っていける
6・技術を学ばない者達は損得勘定により技術を学んでも得にはならないと判断する
(1に戻っていつも通りの仕事をして自分が茹でガエルだとも知らずリスクを負った人達を
食い物にし続ける、その先は悪循環で日本全体が悪くなる)
といった具合に悪い意味でブレず
良い意味での柔軟さがないありさまです
権力に酔いしれて思考停止しているのでしょう
皆が同じものを求める社会というのは
多様性が無い様に
学力主義が生んだ東大生という頭脳も
自分達を正当化したいがために
勉強のできない子が社会に出たら負担の重さの責任を当人に押し付け
自分達は業務以外の責任を負わないで
社会が良くなるわけないです
日本の経済の基礎を作った政治家に田中角栄がいますが
彼のメンタルに今さえ自分さえよければいいという思いがあったなら
日本列島改造論なる構想はなかったでしょう
東大生は勉強ができるがあまりに勉強できない子の気持ちがわからず
それがそのまま仕事に反映され
困ってる人のためにシステムを良くしていこうと気持ちにならないみたいです
それがわかりやすかった時代として
バブル崩壊後の日本社会です
失われた20年とも言われてますが
芸能人の年配者の中には
「何が失われた20年だ、こちとら経済大国2位だってんだ」
と粋がっていたものの
2000年頃から始まるインターネットバブルが始まるまで
経済は下降の一辺倒で
超就職氷河期(私の就職した年がバブル後最悪でした)の年代は
正社員の道を選べなかった者も多く
スキルが磨かれないまま今は中年となり
未婚の者も多くベビーブームの子世代でありながら
その子世代によるベビーブームは起きませんでした
そこには自己責任を押し付ける政治家と
今さえ自分さえよければいい大人達がはばを利かせていました
インターネットバブルもテレビ局の力で終わりを迎え
世界金融危機を迎えて(ここでもワリを食うのは超就職氷河期世代だったような)
一つの時代の終わりとともに迎えたイノベーションの時代(バブルの表記はしないみたい)
私は社会から排除されそのストレス攻撃も10年と近く続きましたが
暇な時間はテレビを見るのではなく
PCやスマホやテレビゲームで潰し
テレビなどで流れる私の様な者を異端扱いするのを未だ正当化したがる人から
距離を置いてますが、それでも未だ旧システムの守護神たちは正解を求め
私から影響を受けたアメリカ人に意見を求めます
そうです、やはり技術を学ばないのです
旧システムを支える環境は地球に残ってません(大量生産大量消費や化石燃料のシステムなど)
損か得かで考えたら日本のエネルギーは原発を選ぶ人が未だいるかもしれません
失業者の問題を考えれば石油産業は簡単に事業転換できないかもしれません
少なくとも行政(システム)の方向性を決める政治家は今はそう考えてる様です
良いものは良い、悪いものは悪いでなければ
何事もブレてきます
科学が万能で無い様
拝金が裏切り者を生み出す様
物質を捨てるほど精神が豊かになっていく様
資本が必ずしもシステムを良くしない様
人間もまた全知全能では無いのです
(AIが全知全能に近づいたとしても人間を理解したことになりません)
これは余談ですが
聖書などのドグマにおける教えは
万能で無い人間が記した故
その知識の反映も現実的な世界からかけ離れているものもあると思うので
(当時は宇宙から地球は見えなかったけど、その映像を
魚眼レンズでみたがためとか苦しい理由をこねている(月はどう見えてる?))
新たな分家(カトリック、プロテスタントに続く様な)が出ない限り
AIの方が発言に説得力が出てくると思う
(経済イデオロギーは資本主義のまま
テクノロジー産業期に移っていくのかな?)
AIが教祖になるかならないかは別として
(金も性も搾取しないから問題になりにくいけど
ただのテクノロジーに精神性を豊かにすることはできるのだろうか)
プログラミング技術を学ぶにしろ
ネットワーキング技術を学ぶにしろ
知識より体系が重要だから
教え方によっては誰でもマスターでき
「寿司屋の職人の修行はいらない説」見たく
実務が無い人でも技術を生かした仕事はできると思う
(そうなると天才のハードルは上がり
更なる可能性の芽を見つけてチャレンジしないと
ビジネスチャンスはつかめないかも、それか自分で基礎から創造するか)
なんせプログラミング作業で抽象化の力を使える様になると
実装できる機能の質が上がり規模を扱え
抽象したものを具体化したコードの資産価値は上がるはずだから
難しいのがプログラマーを囲い込み過ぎず
使い捨て過ぎず、ある程度他流試合する人の方が
プログラミングだけでなく哲学や心理学や科学における(思考)実験などにも
ハックできたり料理や化学や薬学もハックする様な人材にチャンスが生まれると思う
あらゆる分野で情報を扱わないところは無いだろうから
IT(情報技術)はやっぱり読み書きそろばんに次ぐ必須スキルだと思うし
ある意味(外国)語学より重要かもしれないとさえ思う
技術を学ばない人たちは技術を学んだ人たちの創造と解決の仕事に
相当の対価を払わず得をしただとか考えがちかもしれないけど
その技術によって仕事の生産性が上がったとか
問題点が解決したと恩恵に気付けたら
この技術を自分でも使える様になったら
自分にとって良かった様に自分の顧客にとっても良いのでは無いかと
考え学んでみようとは思えないのでしょうか
ドライバーの人だったらプログラミング技術を学ぶより
ネットワーク技術の方が仕事の成果に結びつきやすいでしょうか
(この記事で述べている抽象化とは数学の範囲の話だけでなく
イメージとしての絵や映像も含まれそれらを操作することも含まれます)
大人でもプログラマーは大金を払って勉強します
それに比べプログラミングを学ぶ自体の安いこと安いこと
(ネットワークを学べる所は本以外聞いたことがありませんが)
論理学や数学を学んだことがある人なら
プログラミングの技術自体は身につくと思うのですが
そう思ってるのは私だけでしょうか