実家から、お米が届きました。
今年の2月、放射線治療を終えた父は、
初期のガン治療を何度か繰り返しているガンサバイバーです。
今回の治療を終えた後、仕事で怪我をすることを繰り返し、少し気弱になっていたようです。
が、コロナウィルスの流行の自粛生活、世の中の不況の様子は、彼を奮起させたようです。
「世の中が不況になっても、米があるから心配ない」
いつもありがとう。
2019年に『生きる』と言うテーマで書いたエッセイです。
書いてみて、背中を見せるということが初めて理解できたような気がします。
………………………………………………………………
【田植え】
元号が変わることが話題になると同時に異例の10連休だと、ニュースで取り上げられるようになった。
ニュース映像では、海外旅行に行く人達があふれている空港の様子が映っていた。
海外旅行じゃなくても、国内で遠方に足を伸ばす人が多いらしい。
不景気だとか言うけれど、遊びに行ける人がたくさんいるんだなと思った。
私の実家は能登半島にある兼業農家だ。父は、他の仕事をしながらお米を作る。
お米を作る農家にとって、ゴールデンウィークは田植えをするためにあるようなものだ。
もの心がついた頃には、10時と15時の休憩のおやつとお茶を田んぼまで届けて田植え機が回らないところの苗を植えたりしていた。
中学生になると、周りは農家ばかりじゃないことに気がついた。
公務員や会社勤めの家庭の子は、土日やゴールデンウィークは旅行などで何やら楽しそうなのだ。
遊びに行ける人達がいるのに自分は行けない。なぜ、行けないのか?
遠方にいる従姉妹達は遊びに来るだけで手伝わない。なぜ、手伝わないのか?
私も一緒に遊びたいと言えば叱られる。なぜ、叱られるのか?
田植えだから手伝って当たり前、と言う理由に納得できなかった。
当たり前という理由に納得しないまま、結婚して出産するまで、その期間は帰省して田植えの手伝いに加えて食事の用意を手伝っていた。
子どもを産んでから子守りを理由に田植えの手伝いをやめた。
70歳後半になった父は、今でも米を作る。
母は、手伝わない私を怒る。
父は、何も言わない。秋になると新米を送ってくれる。
帰省した時は、「米、持っていけ」と言う。
一度、私は父に農家をやめることを提案したことがある。
「もう農家をやめて、ゆっくりしたら?」
「やめて何をしたらいいか分からん。人から仕事してくれと言われてできるうちが華や」
父の答えだった。
元号が令和に変わった5月1日。
テレビでは、さまざまな行事が映し出されていた。
夜通し踊る人、新しい天皇陛下、皇后陛下に手を振る人々。新しい皇室のことを語る人々。
帰省した能登半島には、遠くのナンバープレートの車が多かった。
父は、今日も淡々と田植えをしている。
