もうすぐ携帯を変えようと思っている。今の携帯は大学生の時の機種でかれこれ4年ぐらいは経っている。二面ある液晶は両方ともヒビがはいってて、正面の液晶はそのヒビが氷の樹みたいなデザインなので実は気にいってたりする。

 携帯を変えるといっても機種変をするつもりはない。番号ごと変えるつもり。携帯ではなく仕事柄データ送信を考えたりするとなんだかんだでPHSかなって思ってしまったから、今の番号が変わってもいたしかたない。

 さて番号を変えたとすると、今自分の携帯の中に入っているアドレスの人たちは何人ぐらい残るのかなって思ったら、たぶん、9割の人は消えると思う。。。。逆に消えない一割の人たちはどんな人たちかと言うと、今でも相手の顔をはっきりと思い出せる人たち。そう考えると自分の携帯の中には自分の記憶のキャパを越えた人たちがたくさんいる。

 出会ってしゃべった事がある人だけがもちろん登録されていると思うけど、今では本当に思い出せない人も多い。たぶん、相手も同じかもしんないけど。。。。

 一度、自分の人間関係を整理するとしたら、今回良い機会なのかも。。。

 自分の生活がネット重視の生活になってきていて、スカイプのおかげで彼女や主要な人たちとはもうほとんど携帯でしゃべらない。今度買うPHSは反則技だけどスカイプをつめるみたいだから、たぶん無線LANが使える場所ではスカイプでしゃべるんじゃなのかなー。(いろいろ問題はあるだろうけど。。)

 正直、電話で話がしたい人は直接会って話がしたい。それでなかったら僕はメールでいいかなって思う。声だけ相手に飛ばすというのはちょっとずるいよな。。。。時間と距離を簡単に越えて声が届くけど、それってやっぱり嬉しいけどさみしい。。。

 今、糸電話の遊びをする子供っているのかな?昔の人はほそいほそい糸に声が伝わってくるのを見ていたんだね。もし、電波が見える眼鏡があったら、世界の空は何色なんだろう?青空じゃないだろね。びっしりと何色かの電波が空を覆っているんだろうけど。

 それを想像すると、本当に自分の電波がどこにつながっているのか、誰にちゃんとつながっているのか、分かんなくなるのでは。。。

 やっぱり相手の顔を見て話がしたいですな。


 顔が見えてしゃべれたらバリ4です。そんで一緒に笑えたら、それ以外のものは圏外へ。

 会社の同期である友人と最近よく話こむ。あーでもない、こーでもない、あーしたらいい、こーしたらいいと言葉をかわしていく。

 同期がいるというのは正直いいもんです。置かれている立場が近い分、考えている事が言いやすい。もちろん、互いに方向性はあるとしても、共通して思う問題に関しては意見を言い合える。

 今日、友人のコメントは冴え渡っていて、それを友人に言ったら、帰ってきた台詞が「一年に一、二回こういう日があるんや」と。

 僕の発言から友人がその台詞を返すまでの間がたまらなく面白かった。考えて言ったのではなく直感で返してきたから、確かに友人の中ではそんな日が年に一、二回あるのだろう。そんで、そんな何かが降りてくる日をこれからは年、五、六回へと増やしたいと。うーん、何から何までさえわたっていた。

 しかし、この友人とスタバで話し合う時間はもう何時間を越えただろうか。たぶん、あと何年かしたら、互いの道は変わっていくと思う。また、今の環境でともにオリンピックに行く事はないとも思う。でも、それもありやね、じゃなければ面白くないよね。

 まぁ、そんな日が来るまでお決まりのスタバのメニューで、何かが降りてくる会話をしましょう。

 しかし、何かって本当に降りてくるんだね。。。。。。。。。。。初めて見たよ。。。。

 自分の中にある「理想」と今自分がいる「現実」、一致しないのは当たり前でその差を埋める事に日々を費やさないといけないと思う。ただ、その日々が本当に自分が望んだものなのかという疑念は消えない。その日々は無為ではないと思う。ただ、無為でないという程度だ。

 良くも悪くも「現実」のなかでしか「理想」は形をなさないし、「現実」がなければ「理想」なんて描かないし、「理想」がなくては「現実」は融けない雪のような虚構のようなもの。

 吉川英治著の「宮本武蔵」のなかで、作中の中で武蔵は蕎麦を食べたいと思うくだりがある。その思いの中で武蔵は、蕎麦を食べるという事を実現するためには春に種を植え、秋の収穫まで待たないといけないと思考する。形を成すに要する時間はいくときもの日の東西を見なくてはならない。

 気がついたら遅かったという事は確実にある。そういう事はないという意見ももちろんあると思う。僕もそうは思っている。ただ、時間は戻らないというルールにおいて遅くはなかったと誰が完全に否定できるだろう。時間というものは無限でも、人に与えられた時間は有限なのだ。
 春の満開の桜を見ようと思ったら、日本の男性の平均で78回、そのうち記憶がない幼少時代を引いたらおおざっぱに言って73回。たった平均73回だ。もちろん、73回もという意見もあると思う。ただ僕は桜を見る度に思う美しいと気持ちもあいまって「たった」と思ってしまう。本当に「たった」だ。。。

 まじめな事を書いちゃったけど、自分を奮いたたせるために書きました。「テキトー」や「なぁなぁ」や「ハンパ」ではこの先実際問題苦しいです。おおげさに言えば自分の存在意義を見いだすぐらいじゃないと。。。。。

 迷うと踏み出す一歩が遅れます。その遅れた一歩は遅いんです。一歩は一歩だと思うかもしれない。でもね、遅れた分、未来の自分の首をしめるよ。間違いなく。

 何事にも捕われずに自分が信じるように、日々生まれ変わる気持ちでいこう。毎日が誕生日であるように。今日、バースデーの僕とあなたの今後がハッピーであるように。心からおめでとうって言えるように「現実」のなかで「理想」をあざやかに彩り、膨らむ未来のなかでいつかバカ騒ぎの宴を。

Every day is a birthday.  
               Congratulations on the birthday!

(英語間違ってたらごめん。。。)
 
 東京の入谷で行われている朝顔祭り(別名がちゃんとあるみたい。。)に行ってみた。通りにずらーっと朝顔だらけ、また人の量もすさまじかった。

 あれがこの辺りの夏の風物詩なんだと知ると、少しこの街が近くなった気がする。ただ一つ残念な事に朝の顔である花は昼間に行っても駄目ですな。。。。みんなしぼんでいたり、もう花がなかったりと、その美しいであろう花は見る事ができなかった。来年は始発にゆられて行ってみようかな。

 その後、入谷から上野に向かって歩いて行くと、その途中商店街主催のお祭りだと思うんだけど七夕祭りと銘打った祭りが通りで盛大に開催されていた。実は朝顔祭りより、こっちの祭りの方が長く居た。
 地元の人たちで手作りでやっているみたいだから、食べ物が安かったり、出し物がすごく庶民的で面白かった。紙芝居とか、ポン菓子の実演!(知ってる!?ポン菓子ができる風景!)

 ただ、その通りを一本横にそれると、人が全然居ないいつもの無機質な街の風景。本当にびっくりするぐらい。いろいろな意味で大都市を表しているね。上に上にと建物は目指すけど、それにより、横に横にへとは人の視界は無くなっていく。

 今、日本中の商店街は郊外にできる大型モールや少子化などでどんどん力をなくしていっているみたい。僕の地元もそうだけど。
 このローカルな祭りはじいちゃん、とうちゃん、子供と各世代が入り乱れていた。それを見れて少し嬉しかった。脈々とつながっていくものが確かにあるんだね。

 いつもは人ごみが大嫌いだけど、今日は笑いで満ちていく人ごみが少しここち良かったです。しかし、スイカの種をアスファルトの上に吐き捨てるっていうのはなんか味気ないねー。やっぱり、土の上だよなー、スイカの種は。。。

 夏が成熟へとむかっていますね、梅雨があけたらもう一ヶ月たらずの季節やもんね。暑さも盆過ぎれば。。。冬近ければ、春遠からず。。。はぁ、時が過ぎるのは速すぎるね。。。来年は忙しくなるのに、何も準備できておりません!!はい!やばいです!!!!

 宵を知らずに日が勝手に昇ります。

 久しぶりにブログ更新を。

 この間、実家に帰って釣りをしてきました。京都新聞の先輩と二人で福井の川で。

 釣果というと。。。。うす!自分にしては大物を釣れました。プリッと太った魚を釣ったときの、あの手に感じる重さの感触がたまりません。本当に胸が踊ります。うす!

 釣りとは不思議ですなー。一つの竿と一つの針と一つの糸で、僕と君の一騎打ち。陸に揚げれば僕の勝ち。水の中ならば君のテリトリー。

 しかし、自分の人生で一番の大物を今回の釣りで逃しました。推定28cm~29cmのイワナです。魚籠に入れるとき針を外している間に、手の中でツルリンと滑り、川の中にドボンと消えて行きました。。。。。

 向こうにしたら釣られたら、ほぼ命はありません。僕は釣ってリリースしない限りは絶対に食べます。だって、それはハンティングの絶対的なルールでしょう。向こうだって痛い思いしますからね、針が口に刺さるんだから。。食うか食われるかの戦いだと思っています。命を頂くんだもん。真剣勝負でいかないと。じゃ、こっちは痛い思いしないのかというと、そうではありません。間違いなく自分の心を奪われます。

 逃したイワナ、夢に出てきます。。。。

 あの川に逃げたあいつが、今この瞬間も泳いでいると思うと、胸がうずきます。願わくば自分がまた釣りに行くまで、誰にも釣られるなよと。

 人は一つの竿と一つの針と一つの糸で、鰓(えら)のある生き物に恋をするんです。

 考えたら、鰓とは「魚」へんに「思う」ですな。

                                                      ツルリン、ドボン。
                                                                    恋、焦がれます。

 案の定、きのう二次会の場所に行くのに迷った。東京駅の地下は嫌いだ。いろんな路線が入り乱れていて自分には分かりづらい。。。

 幸せそうなあんちゃんの顔も見れて本当によかった。三次会には行かず、ほろ酔いでお台場に向かった。

 なんでかというと、ロレックスが全面後援するノマディック美術館でやっているグレゴリー・コルベール氏の「ashes and snow」という写真展(映像もあるけど)を見たかったから。会社の友人が勧めてくれたのもあるし。宣伝用のポスターを見て見に行きたいなーって思ってた。それと、写真展の会期は6月24日までなので、昨日行かないと他に行ける日がないというのもあって。

 感想を一言

                 絶対に行かれた方がよろしいと思います。

 入場料は当日大人で1900円もするんですが、それ以上、いやいや、その何倍もの価値があります。

 ほんとにね、レベルが違いすぎる。自分のなかでグレゴリー氏の作品に対する解釈をずっと考えていたんだけど、考えれば考えるほど空しくなってしまった。打ちのめされました。。。。言葉とか手法とかではないですよ。根本的に。。。得体のしれない美しさ。。。自分にとってはほんとに未知のものとの遭遇でした。。。

 会期が6月24日までなので、行ける人は絶対に行った方がいいよ。あの写真展の重要な要素の一つは会場のなかに流れている音楽があると思います。もちろん、その他にもライティング、空間デザインなど、どれ一つ欠けてはいけないものばかりなので、グレゴリー氏の作品を満喫したいなら、やっぱり、会場に行かないと。。。
 
 僕は本当に行けてよかった。。。結婚式の二次会の会費と交通費と写真展の入場料払ったら、財布のなかに紙幣が一枚も無くなっちゃった。。。。それでも、本当に行ってよかったと思える写真展でした。勧めてくれた友人に感謝!

 ともかく、打ちのめされたけど、胸がいっぱいになりました。

                                                            「独創性」、それが全てだね。何事も。


 
 昨日取材の関係で六本木に行ってきた。六本木ってヒルズやミッドタウンが一番に思いつく場所だけど、一本横道に入るとあれま、なんか下町の感じが残っている。

 僕はほとんど東京を知らないので、行くとこ行くとこ初めての場所が多い。そんなわけで、時間があるときはわくわくしながら周りを散策したりする。ちょっと歩いてみたり。
 ただ、時間がないのに迷子になってしまうと、かなりパニックになる。本来自分はかなりの方向音痴。僕のコンパスの針は大抵目的地の反対を指してしまう。。

 方向音痴なんだけど、日本や海外をヒッチしたり路線バスを乗りついで旅をした。そんな旅で出会った人が今日結婚式を挙げる。そしてその人が二次会に自分を誘ってくれた。考えると旅で出会った人の祝い事に行くのは今回が初だ。

 その人は阪神大震災でお母さんを亡くしてしまった。そのときの話を聞かしてもらえたことがあるんだけど、お父さんとお母さんが一緒に寝ていて、家が崩れお父さんとお母さんは瓦礫に下に埋もれてしまった。救出されたのは三日後だったらしいんだけど、お父さんは、その間お母さんをずっと抱きしめていたらしい。声をかけても返ってこない最愛の人を。三日間。
 その出来事を教えてくれたその人は、そんなお父さんをすごく尊敬していると言っていた。

 最愛の人の体温が少しずつ消えていき、自分だけの声しか聞こえない圧迫された空間の中で三日間。もし、自分が同じ立場になった時、自分は正気でいれるだろうか。正直僕には自信がない。。。

 と、ちょっと悲しいお話になっちゃってお祝いの日に不謹慎な事を書いてすみませんでした。ただ、僕はこの人のお家に遊びに行って、お父さんにも、妹さんにも、弟さんにもお会いしました。遊びに行った日は遅くまでお酒を飲んで騒いで、お父さんに怒られたのを覚えています。(本当にすみませんでした。。)

 今日、みなさんに再会できるのがすごく楽しみです。僕は皆さんに出会ったときと同じで今もカメラマンをしています。お話ししたい事がたくさんあります。しかし、今日は信じられないくらい東京は晴れて、空気がものすごく気持ちいい。

 なんていい「ハレの日」なんだろう。その場に居れる事を光栄に思います。

 しかし、会場まで迷わずに行けるかな。。。今日だけは自分のコンパス間違わないようにしないと。。。。

 あんちゃん、まだ会ってもないけど

                                                                  おめでとう!



 梅雨入りしましたね。昼過ぎから雨が降り出し、今後一ヶ月ほど続く雨達。うーん、普通に考えたら不思議な事象だよね。雨が一ヶ月も続くんだよ。雨の国になってしまうんだよ。不思議だ。

 なんだかんだで来週4日間ほど盆休みを取ろうと考えている。実家に帰ろうかなって。今の予定でいくと8月はタイに撮影に行く事になりそうだし、そうなると他にも撮影があるから盆なんてない。東京にすらいない出張撮影の日々だと思う。

 じいちゃんの墓参りがしたいのが本音だけど、釣りがしたいというのも本音。でもやっぱり墓参りかな。不思議な話だけど、じいちゃんが亡くなって二回ほど夢の中にじいちゃんが出てきた。
 夢の中では何もじいちゃんはしゃべらないけど、何かを伝えたそうな感じはしていた。それが、何かはわかんないけど。。。
 また、じいちゃんの形見の時計のベルトが撮影の帰りに切れて使えなくなってしまった。それらが意味する事がなにかは分かんないけど。。。。そんなこんなでじいちゃんの墓参りを早めにしたいなーって。

 よくわかんないけど、やっぱり梅雨の雨って違うね。なんていうか雨粒が小さくて、不快な感じではなくて、これは一つの儀式のようなものに感じる。そうだよね、これがないと夏がこないんだよね。

 いままであまり梅雨は好きじゃなかったけど、今はちょっと違うかも。この雨粒の中には何かありそうだよね。雲に覆われ、雨が大気を支配するなかで僕らはあめだまをほおばる。気のせいか甘い気がする。それが梅雨の雨だ。と、勝手に決める私。

 あぁ、実家には蛍がもういるんだろうなー。カエルが鳴き狂ってるんだろうなー。それら全てが恋しい。
 最近スポーツネタを書いていないけど、スポーツ撮影に行っていないというわけではないです。ただ、なんとくなく書かないって感じで。。。。

 そんで、今日書くことはこれまた、スポーツとはあまり関係ない。

 会社の先輩にあたる人が退職して海外の写真を扱う会社を起こしたんだけど、今日初めて先輩の会社のHPを見て、心が興奮しました。。。中東、東欧などの報道写真を扱っているんだけど、先輩が吟味しているだけあっていい写真の写真家ばかり。久しぶりに良い報道写真を見れた思いでした。

 そんな思いをメールで先輩に伝えると、良い写真とはなんぞやというような感じになり、僕の意見としてはこれまたあいまいな抽象的なことで結論はなしという文末に。。。

 人の心動かせる写真は間違いなくいい写真だと言えると思うけど、それはなにゆえに?っていう部分があいまいなんです。。。美しいからなのか、かっこいいからなのか、はっきりしたものが言えない。。。

 なんかの本に書いてあったけど、昔ある姫様がもみじを見て「美しい」と言った。それを聞いていた姫の父親がそれは違うよと言う。「美しい」と言える心が美しいんだと。美は主観ではなく客観から訪れるものだと。

 ならば心を動かすものとはなんぞや?それは人によって違って当たり前の事としたら何を定義にしたらいいんだ。。定義をつくればそれで安心できるものなのか。。。

 うーん、感じるんだけど形容できない。そんなものが確かに世の中にある。

 そういったものを自分のなかで一つ一つ掴めていけたら、心が豊かだと言えるのではないだろうか。むしろ、それに自分の時間を費やすべきなのかな。。。

 なにあれ、わたし最近経済的な事に興味を持ち始めました。いろいろな仕組みを知りたいという願望が強くなってきやした。これは良いことなのかなーって思う反面、大切な事を置いていくような気にもなり、それを考えさせてくれたのが、先輩の会社のHPだった。

 バランスですなバランス。大切な事は。すごく現実的だけど、実はすんごくロマンティストという生き物でありたいと思いやす。ええ、自分不器用ですけど。そんな器用さがほしいです。

 なにあれ先輩、ビアガーデンに行きましょう。枝豆食いながら形容しがたいものについて話り合いましょう。そんな時間は何よりも心を豊かにしてくれます。

 おっと、全然関係ないけど、最近話題になっていた一般の方が書いた「ドラえもんの最終回」をひょんな事で読める機会があったんだけどね、おいら正直泣いちゃったよ。。。。。。てやんでい。。。。。心が震えたよ。。
 最近、忙しくなってきている。本当に。そんな中でも休んではいるんだけど疲れがとれない。。。。

 それと、昔の大切な思い出とか言葉が思い出せなくなってきている。それは今、先の事ばかり考えていて昔の事を振り返っていないからなのかもしんない。また、ちょっと忙しいと感情も欠如していく。言葉も思い出も感情もこぼれていくような日々かな。。。最近。。。。

 でもね、最近いろいろと今後の可能性をたくさん秘めた事をしている。それが楽しい。だから忙しくてもいいかな。。。と、信じている。

 また、いろいろな人が仕事などで誘ってくれたり、頼ってくれたり、ご飯に呼んでくれたりとか、またほとんど会わない人に現場ですごくためになるアドバイスとかしていただいたり、時にはほんとに撮影で助けていただいたりとか、「たりたりたり」と続いたけど、一言、ほんとうにににに、、、、、、ありがとうございます。。。。それが素直に嬉しくて、今は無理でも自分がなにかお返しができるならしたいなと思います。。。。

 と、こんなこと書いたけど、腹立つ事が多いのも事実。でもね、怒りってなんの役に立つんだろう。喧嘩してもいいことなんかあるんだろうか。
 腹立つけど、その時ぐっとがまんして、時間が経ってからそれを思い出すと結構どうでも良い事で腹を立ててた事がほとんど。。。。

 大学の恩師が僕に言ってくれたのは絶対に喧嘩だけはするなって事でした。先生、本当にそうですね。喧嘩して仲良く成れるほど僕たちは純粋でもなく、単純でもない。組織の中で我を通すという事は、他の我にぶつかって当たり前の事。ぶつかって建設的な話ができたらいいけど、最後に我を通したらそんな会話はできない。結局、我を活かすには我を殺すところから始めないと。。(臨機応変が必要だけどね)

 あいまいな表現のブログになっちゃったけど、具体的なお知らせで今日6月8日発売の「サッカー批評」という季刊雑紙で僕が撮ったサッカー日本代表の中澤選手の写真を見開きで使って頂けました。クレジットも出してもらえたので本当に嬉しいです。良かったらみなさん見てくださいな。

 ちょっとずつ、うん、ちょっとずつ進んでいこう。

 昔の僕を知っているみんなに言われたんだけど、僕は「東京にあわない」「向いていない」「居るのが意外」って言われましたが、はい、僕もそう思います。本当に。できればすぐにでもこの環境から去りたい。

 でもね、ここに来たから手に入れられた感覚がいま少しずつ形を帯びようとしています。それは、京都にいたら手に入れられなかったし、福井にいても知れなかったもの。ここでしか形を帯びれないものです。

 まぁ、そんなこんなで東京での日々が過ぎていきます。

 最後に自分に一言「中途半端はいらない」。これ杉本君、それを理解し行動に移しなさい。満足できないんでしょ、今のままなら。なら、やんなきゃね。じゃなきゃ去りなさい。中途半端はいらないよ。見苦しい。

(ちょっと抽象的なことばかり書いてすんません。具体的な事はいろいろ制約があって書けないのでこんな感じになっちゃいました。あれ、これも中途半端やん。。。。むむ。。。)