歩いていると様々な事に気付きます。
自分の足で歩く事はとても大切な事だとしみじみ感じます。
それは、いわゆる徒歩の事でもあり、人生と言う道のりの事でもあったりします。
その人生の道のりの事も徒歩しながら色々考えるのですが、この徒歩と人生を自分の足で歩む事が似ている気がするのです。
娘が、
「歩く事は哲学!」
って言った事がありますが、実は本当にその通りなのだとしみじみ感じます。
歩く事で季節を感じる事が出来ます。
歩く事で風を感じたり、植物や動物と話をしながら歩いています。
散歩道は実はごみが多く、それを拾いながら歩いているのですが、このごみにも意味があったり、ごみで季節が分かったり、ごみで人物が分かったりします。
自分の足で歩く事、自分の足で歩いて人生を掴み取る事は何だか似ている。
それは私が歩いていて気付く様々な出来事。
自然界からも落ちているごみからも沢山のメッセージを頂いています。
今、こうして自分自身がここに居る事にも、歩いている事にも全て意味があって、全て無駄ではないのだと気付かされます。
昔、先祖の供養が出来るという紙を頂いた事があります。
その紙に名前を書いて、部屋に貼って暫くしたら水道で流す(この紙は水に溶けるのだそうです)と良いと言われた事があります。
きっと、その方にはその供養が合っているのだと思います。
でも、私はその供養がイマイチピンと来ませんでした。
そして、ある時に、自分の足で歩いて行った神社に行った時に、やっぱり自分の足で歩き、自分の手で供養する事にこそ意義があるだと実感しました。
自分の足で歩き、苦労してこそ、ちゃんと掴み取れるものがある。
車で走っていたのでは気付かなかった景色も風の香りも肌で感じながらこうして自分の身体で感じる事が出来るのだと思いました。
自分の足で歩いていると、風が話し掛けて来ます。
汗ばんだ頬を優しく撫でて通り過ぎて行きます。
季節毎に花も植物も異なります。
日差しも空の高さもみんなみんな自分で気付く事です。
子供の頃には、当たり前だった事を忘れがちな大人の時間。
文明がこんなに発展していなかった頃には人は歩くしか手段がなかったのです。
歩いている事で何かが変わり、何かを思い出し、何かが産まれて行く事を私は最近感じています。