上から放せば、下に落ちる。


物理やら引力やらニュートンやら…講釈するまでもなく、至極当然の話である。
そして、それは地面に到達した時点で、高さに応じた衝撃を受ける事になる。


落下し始めた時点で、着地後に受ける衝撃は既に決まっている。
その後変更を望んでも、もう変えられない。
当然のように、その衝撃が待ち受けている。


本来はこの様に、解りやすいハズなのだ。


仮に私が落ち、地面に到達するまでに考える時間があったとしたら、私はただ衝撃を覚悟し、待つしかない。


それは非常に無意味で、且つ残酷な時間と言える。


だから人間には、恐怖心が備わっている。
落ちる前に立ち止まれるように…落ちてしまった後なら、気絶が出来る様に…。


つまり「臆病者」ほど、危険予知能力や防衛本能が高いと言える。
高所恐怖症が落下事故に遭う可能性は、低い。
「臆病者」ではない者が、結局はその被害に遭うのだ。


逆を言えば「命知らず」は、無能者という事になるのか?


恐怖が極限に達すると、防衛本能の一つとして「快楽」を感じる事があるらしい。
脳から何か、出る様だ。
この快感が、恐らく「スリル」と呼ばれるものだ。
この「スリル」を、楽しむ方々がいる…「命知らず」は、この部類か…。


防衛本能が高いが故に…また、恐怖を真正面から受けるからこそ、発生する副作用。


つまり本当の無能者というのは、大した危険予知能力もなく、恐怖に向き合う事も出来ない癖に、麻痺させる事で克服した気になっている者。


中途半端な「勇敢気取り」


恐怖に向き合う事が出来ないので、「スリル」を味わう事すら、出来ない。
恐怖を麻痺させているので、ギリギリで思い出し、最後の最後で、無様に足掻く。


まさに、私だ。


落ちるまでの実感が、未だに沸いていない。
想像以上の事が待っているのかもと、薄っすら感じるだけだ。


多少の結果が出た事で、こんな状態でもやり直せる気になったりしている。


好条件の会社に拾って頂けたと言っても、やっと崖道らしき道が、出来ただけだ。
ギリギリを走り、踏み外せばやはり落ちる。
崖が崩れても、やはり落ちる。
その場合、今より悪い結果になっている可能性もあるのだ。
決定的なものなど、何もない。


やってしまった事は、変わらない。
待ち受けているものも、変わらない。
タイムリミットも、変わらない。


それなのに、本格的な恐怖は未だに訪れてこない。
時折、不意に襲う不安と、断片的な恐怖だけ。
もしかしたらという、都合の良い希望も…。



無様に足掻く自分が、眼に浮かぶ。