帰国し、早2年半が過ぎている。

分かっていたことだが、日本で、この仕事で、

自分のプライベートの時間はほぼ作れない。

自分のために生きる時間、自分をより高める時間がない。

生活するために仕事をしているだけ。

 

あの頃のように、自分のために過ごす時間がほしいなぁ。

人として生きたいなぁ。

 

帰ってきて2年もたってしまったから

結局なんやかんや言いながらも

日本の生活に埋もれていくのかと

自分でも思っていたけど、

これだけ時間がたっても

帰国後の「しっくりこない感」が無くならない。

 

週7勤、月ボランティア活動時間100時間越えの

教育公務員という仕事。

 

この歳で独身なら、そりゃ生活には困ってない。

しかし、生涯安定という言葉の代償があまりに大きく感じる。

振り返った時、あまりにスッカスカなんじゃないか?

 

 

またまた人生の転機が始まろうとしている気がする。。。

 

気がするだけ。。。。か?

 

 

3月20日

ついにジャカルタから日本へ飛び立つ日がやってきた。

この日は昼間に教育省を訪問し
そのあとしばしの自由時間(荷造り)
そして夜のフライトで成田へ向かう。


もうこの日は朝から軽く緊張していた。

教育省訪問はどうでもいい。
日本に帰るからだ。
日本への期待と不安が入りまじる。



そしてインドネシアを離れたくないなぁと思ってしまう。
その原因は仲間たち


インドネシアの教育現場ではたらきたいなんて気持ちは1mmもない
というか、どう頼まれたって絶対嫌。

私立校ならば話は変わるのかもしれないが、
公立校および公務員のダメさ加減は
毎日嫌というほど目にしてきたのだ。


でも、協力隊の仲間たちとは離れるのが寂しい

こんな人間関係は日本にいてもなかなか作れるものではない。
全国から様々な職種、経験をもった人間が集まり
ともに笑い、ときに苦しんできた。
単なる友達とは違うのだ。

別れ惜しい。


つい10日ほど前までは
純粋に帰国に対してウキウキしていたので、
「寂しい」という感情が出てきたことに我ながら驚く。

でも、こういう感情が生まれてきて嬉しい。
自分にはそういう素敵な環境があったことの証明だ。

インドネシア生活、なかなか良かったじゃないか。


寂しかったが悲しくはならなかった。
これもまた良い。
自分がこれをひとつのステージの終わりとして捉えているだけで
すでに次のステージを見ている、
これからやりたいことにギラギラした期待を
もっているからだろう。


寂しさ、満足感、ワクワク感、不安が混じっていた。
こういう複雑な感覚を味わえるだけでも幸せ者だ。


帰りの飛行機は、深夜便にも関わらず
なかなか眠れず映画を2本も見てしまった。


機体右側窓際の席になったときから
「これは最後に素敵なご褒美があるかも」と期待していた。



そしてそれは期待を裏切らず、最高のショーとなった。

北に向かう便の右は日の出方向、
そして夜明けの時間を上空10000mで迎えた。


暗闇から浮かび上がる地平線

地上からでは絶対に見れないグラデーションを見せてくれた




地球と宇宙の中間

日本とインドネシアの中間

昼と夜の中間



「協力隊時代」という人生のページが終わり

次のステージへ自分が進んでいくのは実感するには

十分すぎる演出だった。


自分は人にだけ感謝しているだけでは全然足りないんだな。

地球にも感謝。

3月20日はインドネシア滞在の最終日。

まずは教育省へ
日本で言う文部科学省ね

ここでインドネシアの教育のカリキュラム作成担当者とお話。

日本じゃ絶対ありえないシチュエーションが
簡単に起こるのが協力隊。

この人にインドネシア教育のダメダメなところを
体験を交えて訴える。


「えっ、そうなの?」
的なリアクション。

スラウェシの話なんてジャカルタのお役所連中には
海外の話も同然のようだ。


つーか、把握していなかったら問題だし
自分が見るに「初耳!」を演じているようにしか見えなかった。

ま、インドネシアの教育が残念な大きな原因のひとつは
ここ教育省の無能と腐敗だからね。

インドネシアに住んでいれば誰もが知っている話なのに
当の本人たちは痛いとも痒いとも思っていない。



改善提案もまとめて提出した。

非常に興味をもっていたけど
これも「興味がある様子を装っている」ようにしか見えないんだよなぁ。

ま、これで何か変わるんなら御の字。
ふつうに考えれば
な~んにも変わらないだろう。

そう、ここはインドネシア
今回は、シリーズ番外編

「せっかくもってきたのに全く使わなかったもの」を紹介します。



協力隊に派遣されるときの飛行機の荷物制限

預け荷物:23kg×2個

これ、結構な足かせになります。



ゆえに荷物を厳選したいところですが
あれもこれも持って行きたい。

でも大切だと思っていたのに
実際には一度も使わない道具もあるわけです。

これは
・インドネシア派遣
・理数科教師、中学校配属
・男性
の私が感じたものです。
国が変わればまた事情も異なるのかもしれません。



① 訓練中に使用した語学の教科書

インドネシアに入ってからも
1か月間の現地語学訓練があります。
でも、やっぱり不安。

いちおう持って行く。

ところが、インドネシアで開いたことは
結局一度もありませんでした。

ま、現地に入ってしまえば
そんなもんです。



② スーツ

とりあえず正装必要ですよね。

ところがしかし、インドネシアの正装はバティック。
これがスーツよりも上。

都会ではスーツのビジネスマンもいるけど、
スラウェシでスーツ&ネクタイの人は
一度も見たことがありません。

しかも、白Yシャツ+黒パンツスタイルは
なんとこっちの研修生スタイル。

容赦なく誤解され、舐められます。

それに暑いし。

まだ何もわからなかった
初めの1週間くらいは使ったかな。



③ 革靴

これは、必要っちゃ必要。
年に3,4回くらいは履くかな?

どうでもいい安物で十分。
または現地調達。



④ 日本の学校の教科書

これは絶対使うと思ったんだけどなぁ。
でもインターネットで事足りる。

参考書は使ったな。

本はほんとに重いので、厳選しましょう。

あ、暇つぶし読書用の本も
過去の隊員の置き土産が
本屋なみの品ぞろえで置いてあります。



⑤ シャンプー、ボディーソープなどの風呂セット

これは「お世話にならなかった」わけではなく、
「わざわざ日本から運ばなくても良かった道具。

インドネシアで普通に買える。
コンビニもある。

ただしよくわからないメーカーのは
泡立ちが悪かったり、
流しても流しても泡のヌルヌルがとれなかったりします。

本とならんで重たいので、
重量オーバーならこれを省いてしまいましょう。



ま、クオリティー重視なものは日本から持ち込み。
クオリティー低くてもいいならインドネシアでも
大体のものはそろいます。

NIKEやadidasはおろか
ChanelやLouis vittonまで、
都会に行けば本物も偽物もいっぱい。
田舎では偽物しか存在しませんが。

ジャカルタには無印良品もユニクロもありますよ。

日本より高額だし、
JICAから支給される活動費生活では
高級品ですけどね。


帰国時には、
こっちで買った捨てたくないものや
お土産たちで重たくなります。

捨てたりあげたりできるものを持ってくるとGoodでしょう。
これは道具ではないですけどね・・・

やるかやらないか迷ったとき、
活動にやる気をなくしたとき、
二者択一を迫られたとき、

などなどなどなど

この言葉が自分の行動を決断する時の
決め手となったことは数知れず。

『You shape your own destiny.
= 自分の運命は自分で創り出せ。』


もともと「運命」なんていうものは
待っていれば向こうからやってくるものではなく
自分で手繰り寄せるものだと思っています。

それでも一歩を踏み出せない時
この言葉が背中を押します。

誰かにさせられるのではなく
自分で決めたからこそ
責任感、そしてやる気が湧きます。

その一歩も力強いものになり、
ゆえに目指している「目標」が
必ず実現する「運命」に変わるような気がします。


文字に起こして、いつでも見られる状態にしてあるというのも
大事かもしれません。


今までの人生で「座右の銘」を意識したことは
あまりありませんでしたが、
この協力隊生活において初めて
そういう言葉をもっていることの大切さを感じました。

もっと早くから意識していれば良かったと今さら思います。



日本の中学生のみなさん、卒業おめでとうございます。
自分の道は自分で選べる大人になってくださいね。