ブリグズビー・ベア(Brigsby Bear)というアメリカ映画を紹介します。
2017年製作、日本での公開は2018年6月23日でした。今作を見た私は2018年になって初めてこう思いました。
「今年ベスト映画、来ました」と。
アメリカのどメジャーコメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ』出身の作家であるデイヴ・マッカリーが32歳で映画監督デビューを果たした今作。主演は同じ番組で演者側だったカイル・ムーニー32歳。仲良し!
共演はマーク・ハミル。某スカイウォーカーの人。
今作のタイトルを聞き、メインビジュアルを見ると、ほのぼのゆるふわコメディ映画を想像します。しますよね?
正直なところ私は、作品を紹介している文面を読み、あらすじを知った上で見に行きました。ほのぼのゆるふわコメディだとしたら私は見に行ってませんでした。
カメラを止めるな!について、できるだけ情報を知らない状態で見るべきとよく言われていますが、今作に関しても最小限の情報で見た方が楽しめると思います。ストーリー展開に振り回されるような感覚を味わえる作品なので。
まわりくどくなりましたが、みなさんブリグズビー・ベア、見てください。素晴らしいですよ。
実はこの作品、アメリカ版カメラを止めるな!とも言うべき映画だと思っています。監督が同世代、撮影・完成した時期もほとんど同じで、日本での正式な公開日も同じ日!さらに作品の内容までもが多くの共通点を持っているのがものすごく不思議であり、なおかつワクワクさせられる事実です。
それではブリグズビー・ベア本編について踏み込んでいきます。
今作は、VHSに録画されたっぽい荒い画質の子供向け番組『Brigsby Bear』から始まります。しかしその番組を見ていたのは、無精髭にメガネ、髪は伸びた天パの青年。違和感。
青年は両親らしい男女と3人で暮らしているらしい。青年の頭の中はブリグズビーの事でいっぱい。そんな青年の熱弁に両親は若干困惑気味だが、それでもブリグズビー世界の解釈への熱意を応援しているようだ。
青年はコンピューターでブリグズビー・ベアのSNSコミュニティにアクセスして論議を重ねている。しかし彼の使っているコンピューターは、パソコンというよりワープロと呼ぶ方が正しいような旧時代の代物である。違和感。
3人が暮らしている空間はこじんまりとした地下シェルターのような場所で、父親は外出時にガスマスクを装着している。ポストアポカリプス?観客は核戦争後のような世界観を見せられ、さらなる違和感を抱く。
父と息子が、夜の外世界を眺めながら語らっている際に木々の下に淡く光る発光体が宙を舞っているのだが、よく見るとちゃちな工作で出来た昆虫風のおもちゃだ。むむむ?なんだこの世界は?ポストアポカリプス設定どこ行った?違和感違和感違和感…
映画情報サイトなどに載っているあらすじを読んでしまうと、こういった序盤のストーリーテリングの面白みが半減してしまうので、できればまっさらな気持ちで見てほしいのです。こんな場所で主張しても無意味ですが。
10分15分程度で青年の置かれた環境がどういうものなのかネタバレされます。第一幕と呼ぶほどのボリュームはなく、もっとテンポよく、圧縮された形で序盤のシチュエーションが崩壊します。どういった意味なのかは実際に見ていただきたいところ。
改めてネタバレすると、青年は幼い頃に誘拐されてきた被害者であり、両親は誘拐した子供を自分の子供のように育ててきた。しかし子供=青年は地下シェルターの外を殆ど知らない。外の世界では他の人々が普通に暮らしているという事も知らされていなかった…
映画『ルーム』とか、ゲーム『Fallout3』のテイストも感じさせる絶妙な設定。文字通りの『オールドボーイ』。彼の生い立ち自体は十分に悲惨なはずなんですが、常にコメディ感があって悲壮感なく見せていくのがこの映画の凄みですね。
主人公ジェームスはブリグズビー・ベアの事しか考えてこなかったアラサー男で、いわば社会不適合者。すぐに本当の両親と再会できたものの、自分が誘拐されたという意識もなく、家族にも世界にも馴染めない。可哀想…
間違いなく可哀想なんだけど可哀想に見えないところに演出とストーリーテリングのうまさをビンビン感じるわけで。
誘拐されたんだ、今まで両親だと思っていたあいつらは誘拐犯なんだ…そんな事実を告げられてもジェームスの反応は極薄。なぜなら彼にとっては両親が誰なのかより、ブリグズビー・ベアの方が重要なのです。
しかしブリグズビー・ベアについて家族や刑事に尋ねてみても、誰一人として知らない。この世に生きる人々にとってブリグズビー・ベアこそがコモンセンスだと思っていたジェームスは戸惑います。
そしてジェームスは恐るべき事実ーーブリグズビー・ベアは、誘拐犯の偽父親がジェームスのためだけに製作した架空のテレビ番組だった事を告げられます。
ブリグズビーの新作は見られないと知った時の悲しみ。この瞬間のジェームスの芝居を見た時点で私は泣きました。例えるなら、毎週のように待ちわびた連載漫画が作者の急逝によって2度と描かれなくなってしまった時のような、絶望感。漫画に限らず、待ち焦がれたフィクションが2度と作られないと知った時の絶望。感情移入せざるを得ない!
しかしジェームスは、ブリグズビー・ベアが偽父親によって作られていた事を知って歓喜します。どこかの知らない人ではなく、父親(を騙る誘拐犯)が作っていた! 家族はその事実をジェームスに恐る恐る説明するのですが、返ってきたリアクションが(しょぼーん)じゃなくて(やったー!)なために唖然。
家族やカウンセラーや刑事が腫れ物を触るようにジェームスと接するのに対して、能天気かつ意外と社交的なジェームスとの意識差が今作のキモ。ここでギャップを生んで笑いにつなげていたり、テンポの向上を促していたり、とにかく語り口と構図が絶妙。
ジェームスはブリグズビー・ベアの新作を自分で製作しようと決意し、慣れないGoogle検索(検索ワードが疑問文になってて最高)で映画作りのイロハを学んでいきます。
序盤からは想像も出来ませんでしたが、今作はジェームスの映画作りをメインプロットに置いた物語なのです。つまりこれは、『カメラを止めるな!』なのです!
…なんて言ってますがカメラを止めるな!を見たのはブリグズビー・ベアよりも後だったので、最初に見た時に「共通点いっぱい!すぎょい!」と興奮していたわけではありません。
映画を完成させよう、完成させるまでに色んな障害があるだろうけど乗り切ろう!と、徹底的にポジティブな主人公の姿に感銘を受け、その主人公を色んな形で支える周囲の人々が見せる幸せそうな笑顔に共感する。超ポジティブなバイブスに満ちたストーリーがほんのりファンタジックでもあり、素直に感動させられてしまうのです。
妹とのギクシャクした関係性があっさり&あっけなく解消され、良好な兄妹関係になる流れもウソみたいにスムーズでリアリテイが無いように感じる人もいると思いますが、そこが逆に良い!
普通のドラマなら「よっこらしょ」と言って乗り越えていくところを今作の主人公ジェームスは能天気にひょいひょい飛び越えていく。そこが、良い!
映画撮影と編集のテクニックを持つ友人との出会い、事件を担当していた刑事が俳優として映画に出演する経緯、長年憧れ続けたヒロインと出会う手順の強引さ、両親の苦悩っぷりとその結末など、とにかく話がすごい勢いで転がっていき、問題が解決されていく。
主人公が周囲の人々に理解を求めようとするではなく、映画作りへの執着と情熱だけで人々が自然とジェームスを応援したくなる。観客も同様に、ジェームスの悲願達成を願わずにいられなくなる。
ある意味で無垢なジェームスの感性と言葉が、普通の人々の中にあるちょっとした偏見を解消していくような何気ない描写も素晴らしい。
「なぜ自分が好きなことをやらなくなってしまったの?」
このセリフには、劇中のあるキャラクター同様に心を揺さぶられる大人も少なくないはず。
紆余曲折あってのクライマックス。完成披露試写会には満員の観客。期待感で膨れ上がった座席にジェームスの姿はない。彼はその時、こんな思いを抱えていた…ここの描写も最高に泣けます。
映画作りを軸にした物語を、初監督とは思えないほどの絶妙なバランスで仕上げた今作。カメラを止めるな!と共に必見の感動作です。見逃している方は是非ともご覧あれ!
http://www.brigsbybear.jp