ベストマザー賞 | Eye of the God ~神の眼~

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現代における預言の言葉。黙示。
現代の常識、価値観では幸せになれない人たちへ。
新時代に合うものの考え方を紹介していきます。
あまりにも常識と違うので、戸惑われることでしょう。
でも、キリストはかつてこう言いました。
『耳のあるものは聞くがよい』。

 女優の広末涼子が不倫疑惑により、せっかくの出演中の大手企業CMが削除されるなど、マイナスの影響を受けざるを得なくなっている。
 間接的にこの件でとばっちりを受けているのが、『ベストマザー賞』。
 広末涼子は昨年この賞を受賞しており、「あれはいったい何なのだ」と首を傾げてしまう事態になっている。どこがベストマザーなのか、審査員の目は節穴か? 
 ちなみに広末だけではなく、過去の受賞者を考えたら清原亜希・土屋アンナ・長谷川京子・小倉優子・吉瀬美智子、新しいのでは元AKBの篠田麻里子らが同賞の受賞後に離婚。国際政治学者の三浦瑠麗は離婚でこそないが、夫が逮捕されるという不名誉が起きている。


 ベストマザー賞は何かの呪いにでもかかっているのか?
 こういった事態を受けて、各芸能事務所がこの賞を辞退するムードが広がっているそう。この賞は事前に「候補者に受賞するか否かの意思確認がある」らしく、受賞後にスキャンダルがあるとより大きいダメージになるリスクを考え、たとえ「おいしい」ことでも、リスクを避けるために敬遠するという作戦。
 私などは、これを聞いて思った。「この賞って、意味あるの?」


 そもそも、ベストマザー賞とは何か、ということを考えたい。
 この世界には無数の母親がいて。それぞれ、横並びにして一番がどれかとか評価のできない戦いを戦い抜いている。
 なぜ、芸能人(著名人)の中から選ぶのか? そこに意味がないように思う。
 皆さんは、サーカスの出演者や中国雑技団のメンバーなどの超絶パフォーマンスを見たことがあるだろう。椅子の上で普通に逆立ちをすることだけでも「んなことできるわけない」状態なのに、その椅子を二つ三つさらに重ねて、その上でなお逆立ちする。なんなら片手でもやるわよ、って勢い。
 よほどの訓練をこなしてきて「何度同じことをしても失敗しない」域になったはずで、並大抵のことじゃそうはならない。


●有名人がベストマザー賞を受けて、その名誉を損なうことなく生涯走り続けるのは、その超絶演技と同じくらい難しいこと。


 ちょっとでもなったら分かるが、有名人になると誘惑が多い。甘い蜜を求めてありとあらゆる「脇道」があなたをそれさせようと手招きしてくる。
 有名人は一般人より人格者とか、そんなことはほぼないので大体においてそういう誘惑に弱い。私は「うまくやり通すかバレてしまうか」の違いでしかなく、たいていは負けてるんだろうなと勝手に推測する。
 だから、人気芸能人の中からベストマザー(母親のトップ・模範)を選ぶのは、危険なのだ。今この瞬間はよくても、いつ何時弱さゆえに負けてしまうか知れない可能性にさらされ続けているような人種の中から、なぜ選ぶ必要があるのか。 


 私は個人的に、『母の日』みたいなことでいいのじゃないかと思う。
 母の日には、特定のシンボリックな有名人はいない。ただ、世の中のすべての「頑張るお母さん」に感謝し、子育てや家事の苦労をねぎらう。
 皆環境も戦い方も違うのだから、それぞれがベストマザーである。だからそんな有名人から一人を選ぶ賞などなくていいと思ってしまうが、もしあえてその賞を存在させるなら、一般公募の中から選考して選ぶというのもアリである。一般人には「子育て以外の余分な危険がそもそもはるかに少ない」。そちらのほうが、あとあと不倫や不祥事で味噌がつくというような無様ははるかに減るはずだ。
 ともかく、私に言わせるとベストマザー賞などは商業主義の権化だ。結局は儲け第一主義から派生したもので、「素晴らしい母」はただそのために利用されたのだ。
 まさに、そのしっぺい返しを自ら食っている形である。ベストマザー賞は呪われているのでも何でもなく、その出発点自体が間違っているため、ただ自業自得なだけである。
 筆者の母も妻も、私には「ベストマザー」だ。人気の、シンボリックでただ目立つ意味合いでしかない有名人のベストマザーなど、私には必要ない。