私はここに膨大な数のスピリチュアルな記事や小説をアップし続けているため、時に自分が書いたことを忘れている作品も生じる。
今朝起きたら、だいぶの昔に書いた短編小説のことを思い出した。それが、ここアメブロ内にもアップしてある『はんぶんこ』という作品である。以下のurlに飛べば読める。すくに読了できる短さなので、興味のある方お時間のゆるす方は、ご一読ののちにこの記事に戻っていただくほうが、より理解が増すと思う。
⇒ はんぶんこ | Eye of the God ~神の眼~ (ameblo.jp)
ここに登場する女性には、モデルがいる。
筆者が大学生の時の、ひとつ年上の先輩の女性である。この人はなんでも分け合う人で、物語冒頭のミスタードーナツのはんぶんこエピソードは実際に筆者とその先輩の間で起きたことである。ただ、そのあとの展開は完全創作で、結局私とその先輩の仲は、それ以上の関係に深まることはなかった。私のほうでは結構好きだったのだが、結局何もアクションを起こさないまま先輩は卒業し、会わなくなってしまった。
朝起きて、久しぶりに思い出したこの短編。なぜ思い出したのだろう? と思案していると、ひとつのインスピレーションが頭で形となった。
●はんぶんこすることは、すべてをあげることに等しい。
筆者は、はんぶんこはんぶんこ言いながら最後結局すべてを懸けて命を失うこの女性キャラに対し、自分で書いておきながら「はんぶんこじゃねぇじゃねぇかよ!」とツッコミを入れたものである。
この小説を執筆当時、筆者はまだ「賢者テラ」として活動していなかった。つまりは、スピリチュアルのことなぞゼンゼン分からない時に書いたものである。
で、今になってやっと思う。はんぶんことは、全部あげることなんだって。そしてそこにもう少し説明を付け加えるならば——
●心から望んでするはんぶんこは、すべてをあげることと同じである。
しぶしぶする、あるいは言われてするはんぶんこは、目に見えない世界においては何もあげないのと同じである。