セーフガード機能 | Eye of the God ~神の眼~

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現代における預言の言葉。黙示。
現代の常識、価値観では幸せになれない人たちへ。
新時代に合うものの考え方を紹介していきます。
あまりにも常識と違うので、戸惑われることでしょう。
でも、キリストはかつてこう言いました。
『耳のあるものは聞くがよい』。

『リベンジャー』という最近のアニメ作品がある。
 ジャンルは時代物。内容はあの往年の名作時代劇「必殺仕事人」とほぼ同じ内容。晴らせぬ恨みを金で晴らすダークヒーローたちを描いた物語。
 主人公である剣術使いの元武士・雷蔵はどんな死にそうな状況でもものすごい技と時の運で乗り切り、「これでも死なないの?」と思うくらい不死身である。
 しかし、ネタバレになってすまないが最後、雷蔵は死んでしまう。ある回のお話で登場した、それほど強くもない(むしろ弱い部類の)少年の同業者に刺される。


「100万回生きたねこ」という有名すぎる絵本でも、猫は何度死んでも蘇ったのに、最後は死んで生き返らなかった。それに似ている。
 筆者は、この二つの事例に潜む法則(正確には法則ではなく傾向。例外も多々あるので、例外のあるものを法則とは呼ばないけど言いやすいし分かりやすいので使用)のことを、セーフガード機能と呼ぶ。


●セーフガード機能とは、ある人間の一生に託された目的(宇宙が味わおうとする可能性)について、それが達成されるまではできるだけその人物が守られるというものである。危ないところを運よく助かったりして生命活動が維持される。
 ただ、その目的を達したのちはガードが解かれるため、とたんにガード期間に比べて死にやすくなる。



 アメリカのある有名な冒険家などは、数々のものすごい功績で「不死身の男」みたいに言われたが、彼の最後はなんと「道を歩いていてバナナの皮を踏んで、すべって頭の打ち所が悪くて亡くなった」という、らしくないものだった。
 だからもし、あなたが「九死に一生を得る」みたいな体験を人生でしたなら、それは「あなたがまだ、あなたの人生で達成すべきことをしていない」ことだと理解して、その後の人生を感謝して一生懸命生きてほしい。


 人によっては、怖くなるだろう。目的を達したら死にやすくなるんなら、ずーっと達さないでおこう、って思ったりしないですか? それは、的外れな考えである。
 死ぬ、ということが一番怖い(あるいは損)という人生観なら、いくら長生きしようがその生は段階的な成長を阻害される。


●死んでしまうことより、生きているうちに目的を達せられないことの方を恐れるべし。逃げることで長生きできても、それは映画本篇を見ることが出来ず前座の予告編を延々と見続けるに等しいからである。


 心配しなくても「目的を達せた」ことを理解できた人間は、死をそれほど恐れない境地になる。まったく怖がらないとまでは言わないが、ある程度はいつ死んでも受け入れられるような境地には達している。
 リベンジャーというアニメの最後、雷蔵は自分よりはるかに弱く負けることのない少年に刺された。もし彼が本気モードで生きようとしていたら、絶対に死ぬことはなった。だが彼は「これを成すまでは絶対に死なぬ」と心に決めていたことを成し遂げてしまった。そのあとはいわばおまけの人生であり、生にそれほどの執着はなかったのだ。
 ましてや、彼は過去に過ちから自分の婚約者とその父を死に追いやるという、最大の心の重荷がある。むしろ彼は、目的を達したそのあとはむしろ死に場所を求めていたのかもしれない。
 事実、雷蔵は自分を刺したその少年に、慈愛に満ちたような優しい笑みを浮かべて亡くなった。そのように「人生に悔いなし」の境地に至るまで、私たちはこの人生を走り続けるのだ。


 ただし注意点として、セーフガード機能は絶対ではなく、ある程度以上のことになると防ぎきれないことがある。たとえばあなたがわざとビルの屋上から落ちてみるとか、どうやっても物理的に防げないことまでの責任は持たない。