第356号2019年09月号「戦没者を追悼し平和を祈念する日」の話
とびきり暑かった夏が漸く去る気配を見せ始めました。昭和20年、第二次世界大戦が終わった夏も暑かった記憶があります。
8月15日迄は連日「ヒロシマ」「ナガサキ」「戦争孤児」「学童疎開船・対馬丸遭難事件」「兵士であった父からの手紙」など厭戦気分をなぞっていた新聞ですが16日の「戦没者追悼式典」の記事を最後に、戦争に関する記事を掲載しなくなりました。
私は8月15日は「終戦の日」と思っていましたが、正式名称は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」なのだそうです。
それで、今月は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」の話です。
戦争が終わった当時、当然ながら日本は混乱の極みにありました。これは半藤一利氏の著書『日本のいちばん長い日』に克明に記されてあります。
一般には「終戦の日」として知られる8月15日が「終戦日」となったのは、1957(昭和32)年で「引き揚げ者給付金の支給に関する法律」ができた時でした。1963(昭和38)年からは、毎年8月15日に「全国戦没者追悼式」を日本武道館で行うことが閣議決定され、以来、毎年、式典を実施して来ましたが、1982(昭和57)年に名称を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と変えました。それ以後、政府主催で、天皇・皇后両陛下のご臨席を仰いで式典を実施するという形式は変えずに今に続いています。
この日には「全国から遺族代表が国費で招待されて参列し、式典当日には国立の施設には半旗を掲げ、式中の一定時刻に全国民が一斉に黙祷をするよう推奨する」と定められました。このために、その時、開催されている全国高校野球選手権大会の会場ではプレーを中断し選手・観客が一斉に1分間の黙祷を捧げる姿をTVで見ることになります。
1945(昭和20)年、日本では戦争終結の日を「終戦の日」とするか「敗戦の日」とするか議論がありました。
「ポツダム宣言を受け入れて降伏したのだから敗戦である」という意見と「敗戦とすれば敗戦の責任者は誰か?が問われ、問題が大きくなるから終戦とする」という意見がありました。結局、だれも責任を取らなくて済む「終戦」とされました。
ドイツでは第二次世界大戦が終わった日、1945年5月8日を「敗戦の日」として記念行事を行ってきました。しかし、戦争終結から40年後、大統領に就任したワイゼッカー氏が国会で有名な「荒れ野の40年」という演説をして、この日を「解放の日」と定義しました。「ヒットラーによるナチズムから解放された日」という事です。当時、ドイツは未だ、東西に分断されており、多くの問題を抱えていましたが、この日を解放の日、喜びの日とすることは多くの人々に受け入れられました。
日本とドイツとでは状況は異なりますが、ワイゼッカー氏の考えを知って、ひたすら戦没者を追悼し、ヒロシマ・ナガサキの原爆投下で大きな被害を被った国「日本」を、そろそろ卒業しても良いのではないかと、私は考えるのです。
日本軍が中国、朝鮮、インドシナ、シンガポール、インドネシア、他、南洋諸島の多くの国々に進出し、その地で多くの日本兵が犠牲になりましたが、日本軍が進軍した所に住んでいた人々も突然、日常生活を失い、財産を奪われ、国を追われ、命を落とした人も多くいました。
そもそも、戦没者というのはどういう人でしょう。少なくとも、ヒロシマ・ナガサキの犠牲者、本土空襲で死んだ人たちは入っていません。
私は武道館で戦没者を追悼するだけでは、戦争で被害を蒙った様々な人々を十分に追悼していないと考えます。「8月15日」を日本が軍部支配から解放された「喜びの日」としても良いのではないでしょうか。
小田眼科医院理事長 小田泰子
Produced by *J.O.Y.
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