第351号2019年04月号「大岡裁き・こども争い」の話
皆様お変わりございませんか。寒い新年度の朝を迎えました。今日、新元号が発表されるということですが、多くの日用品の値上げも発表されました。
「新元号、値上げと共に知らされる」下手な川柳です。
江戸時代の名奉行といわれた大岡越前守忠相(延宝5-宝暦元 1677-1752)が、江戸町奉行として裁いた美事な裁判は、「大岡政談」として写本や講談で広がりました。幕末から明治にかけての庶民文化興隆とともにさらに発展し、落語や歌舞伎などの素材となり、現代でもTVドラマ化されて人気番組となっています。
今月は、「大岡裁き・こども争い」の話です。
これは有名な話ですが、要約しますと「1人の子どもを巡って2人の母親が自分が本当の親であると言い張り、その決着を求めて大岡奉行のところに来ました。大岡は『その子の腕を一本ずつ持ち、それを引っ張り合いなさい。勝った方を母親と認めよう。』と云いました。二人の母親に引っ張られた子供は『痛い』と泣き叫びました。その声を聞いて、片方の母親が手を離しました。勝った母親が子供を連れて帰ろうとしたところ、大岡はこれを制止し『本当の親なら、子が痛いと叫んでいる行為をどうして続けられようか。その子は手を離した親のものだ』と引っ張り合いに負けた方を本当の母親であるとした」という話です。
私は大岡が最初は「勝った方を母親と認める」と約束したのに、「子どもの手を離した方に軍配をあげた」ことに違和感を持ちますが、これぞ人の心の機微をよく理解した裁判と評価されました。
この大岡裁きと同じような話は世界各地にあるそうですが、最も古いのは旧約聖書の列王記にあるイスラエルの第三代目の王・ソロモン(紀元前1011-紀元前931)が行った裁判の話と考えられます。
ソロモンはダビデ王の子で、その子の治世が平和であるようにと願った父・ダビデがソロモン(平和な)と名付けたとされています。ソロモン王は治世の初期には良い政治を行い国を栄えさせました。ソロモンは神から知恵を授かった人でもありました。ソロモンの知恵の深さと広い知識は周辺諸国にも知られ、親交を求めて来る王や使者が絶えませんでした。エチオピアの女王も、ソロモンの知恵を試すため、やってきましたが、ソロモンはすべての質問に答えました。エチオピアの女王は「わたしは、ヘブル人の民は幸福だと思います。あなた(ソロモン)の僕(しもべ)や友人方も同様です。毎日あなたに拝謁し、あなたの知恵に絶えず耳を傾けることができます。」と述べたということです。(『ユダヤ古代誌』)
しかし、ソロモンは次第に豪華な神殿や宮殿を作り、贅沢な生活をするようになり、その結果、民を苦しめ遂に王国を分裂させてしまいました。
ソロモンの知恵の深さを示すものとして、1人の乳児を争う2人の女の一件をソロモンが裁いた話があります。
ソロモン王は子どもを奪い合う女たちに「剣を使いなさい。自ら剣を持ち子供を二つに断ち切り、分け合いなさい。」と言ったのです。いかにも西洋的発想で、日本にはこのような考えはなじみませんが、このソロモン王の裁定に片方の女性は「どうか、子どもを殺さないで下さい、子どもをあの人に与えてください」と言いました。これを聞いたソロモンは本当の母親はこの女性であると判断を下したというのです。
この晩話は「ソロモンの知恵」として広く世界に伝わりました。インドの「釈迦前世物語」にも同じような話があり、ここでは、子を取り合う女性の1人は人食い鬼とされているそうです。ソロモンが裁いた別の事件が、北宋の名判官・包 拯(ほう じょう、999 - 1062)の「縛られ地蔵」となり、翻案されて大岡裁きに取り入れられたともいわれています。
また、永禄3(1560)年には、豊後でイエズス会の宣教師がクリスマスにソロモンの裁判劇を上演したという記録もあるそうです。
世界は狭い。情けや愛情は時間や空間を超えて全人類、全生物共通のものという思いを新たにします。
小田眼科医院理事長 小田泰子
Produced by *J.O.Y.
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