未象の庭2022 ー緑蔭ー | 蝋画塾 Atelier Berankat のブログ

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第二次大戦中に開発された、「蝋画」という描画技法を紹介するブログです。

 

立川市砂川町に植えられた被爆アオギリのことを知ったのは、2年前「MUSEVOICE 」 という冊子に掲載された記事が最初でした。まだ具体的な展示のイメージもないまま、各地の被爆アオギリを巡る中で、砂川を初めて訪れたのはそれから1年後の昨年の夏でした。その時点では、砂川闘争は私にとって歴史の1ページに過ぎませんでしたが、砂川秋まつりひろばの管理者のお一人から、その場所の紆余曲折した成り立ちをお聞きして以降、歴史の1ページに収まりきらないこの土地の傷のようなものが、今も疼いている印象が少しずつ強くなっていきました。

 

                                         

 

今年、砂川の国有地で赤錆に覆われたヘルメットが発見されました。「流血の砂川」と言われた衝突があった66年前、警官隊が被っていたものです。激しいもみ合いの中で頭から落ち、そのまま土に埋もれていたのでしょう。砂川平和ひろば資料室で現物を手に取ることができましたが、最近の軽量化されたヘルメットと違い、鉄製のとても重いものでした。

砂川平和ひろば資料室は、国営公園北通りを挟んで、米軍から返還された土地に移駐した自衛隊駐屯地と対峙するように建っています。つい先日、来年からこの駐屯地でオスプレイの訓練が開始されると発表され物議を醸しています。基地は形を変え、現在進行形の問題としてあり続けていることが、如実にわかるロケーションです。

 

                                 

 

砂川秋まつりひろばは今、手作りの遊具やベンチが置かれ、たくさんの木々が植えられ、「子供たちに原っぱを」というキャッチフレーズのもと、秋まつりが毎年催されます。それらの事柄がまるで、土地の傷に対して長い時間をかけて手当てを試みているように見えるのは、背後にこの土地に根付いているコミュニティの存在を感じとれるからでしょう。

 

    

 

7年前に被爆アオギリ2世が植えられたのも、同じコミュニティの人々の手によってでした。アオギリの語り部と言われた、故沼田鈴子さんの平和への願いと共に広島から贈られたこの樹は、今年はじめて実を付けました。立冬を過ぎ、もうすぐ3世の種子をこの地に落とすことでしょう。

 

これまで植物と人の関わりを作品化してきましたが、発端は私の母と母が育てた庭の植物の血の通った関わりにあります。今回の沼田鈴子さんとアオギリの関わりは特殊なものだとしても、そこに血が通っていることに変わりはありません。どこが特殊かと言えば、被爆体験や基地問題に目を向けなければ、どこにどう血が通っているかが見えてこないところです。

 

先に使った「手当て」という表現が正しいなら、私はコミュニティの外から来た人間として、砂川のアオギリが纏(まと)っているものを可視化することで、手を添えることができれば本望です。

 

いつか本当の平和が訪れたなら、被爆アオギリは私たちが背負わせた重荷を降ろし、どこにでもあるただの1本の樹に戻ることでしょう。そんな日が1日も早く到来しますように。

 

 

                                                        

 

 

                                   2022.11.14 記