アオギリ | 蝋画塾 Atelier Berankat のブログ

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第二次大戦中に開発された、「蝋画」という描画技法を紹介するブログです。

 

 

昨年春から育てていた被爆アオギリは、秋に葉が落ち、今は一本の茎だけで立っている。

庭に2ヶ所、2Fのベランダに1ヶ所、室内1ヶ所、計4ヶ所で冬を過ごしている。

 

年末年始辺りから自宅の庭で、屋外での展示の可能性を探っている。現段階では複数箇所での設置を考えているため、それぞれの場所毎に足を運んでイメージを膨らませなければならない。

 

落ち葉は風に吹かれ、雨に濡れ、少しづつ形を崩し、微生物に分解され、最後は土に還っていく。その事自体には何も問題はない。

そこに私が介在して何かしらの変化を起こし、作品と称して一定期間同じ状態を保とうとした時に、初めて環境の変化、風雨が問題になる。

 

石や金属などの堅牢な素材でできた作品なら、通常短期間で目に見えた変化は起こらない。植物の葉を使うなら、何らかの形で変化を受け入れるべきなのかもしれない。その辺りの兼ね合いは、やはりそれぞれの環境に身を置いて考えたい。

 

絶えず変化し続けることが自然の本来の姿なら、葉はそれを体現している。その変化を制御可能な状態まで小さくするならこれまで通り屋内でやればいい。

壁を作り風を防ぎ、屋根を乗せて雨や強い日差しを防ぎ、内と外を作り出す。内側の室内装飾を一切省けばホワイトキューブが出来上がる。

これまで何度もお世話になった空間だ。

 

ホワイトキューブは一つの到達点のようにも思えるが、もちろん世の中にはそれ以外の様々な展示空間が存在している。

私の貧弱な建築に対する知識の中だけを見渡しても、歴史的に人の居住空間として検討されてきたスペースの在り方は、そのままスライドするように展示空間でも検討されてきたように見える。

 

屋外と言っても、何も山奥の原生林で展示するわけではない。例えば緑豊かな街中の公園も、人の手で管理された極めて人口的なものだ。

人口的で尚且つ自然の在り方に寄り添うようなものがあるとしたら何だろう。

ビオトープのようなものを連想すればいいだろうか。

 

池や水溜りのような流れない水の中に葉を沈めたら、ある程度の常態の保持は期待できる。

試験的に、被曝樹ではない普通のアオギリの葉に人物像を焼き付けたものを、水を張った器に入れ庭に放置してみた。

 

 

最初は葉の蝋成分が水を弾いているように見えたが、数時間後、水が浸透して画像が極端に見づらくなった。別のアオギリの葉で試してみたが結果は同じ。これまで扱った他の植物の葉では見られない現象だった。

 

 

雪の降った日、葉を入れたまま放置していた器の水が凍りついていた。透明な氷の中に葉を入れて見せることの検討を始めたのはそれがきっかけだった。

 

だが、家の冷蔵庫は古く細かい温度設定ができず、氷は白濁してしまうことがわかった。

時間をかけてゆっくり凍らせれば空気が入らず白濁しないのだが、割り箸で器を浮かせたり、発泡スチロールの箱に入れたりしても、透明な氷は出来なかった。

 

凍った葉を器のまま庭に出して置いた。やがて氷は溶けてもとの状態に戻った。不思議なことに、水の中の葉の画像は次の日も、また次の日も解凍した時と変わらず見えていた。

 

 

その後晴れの日が続き、3週間ほどかけて、日光に晒されて葉の画像は少しずつ消えていった。

 

 

 

 

 

一度凍らせて解凍した葉には、水の浸透による短時間での画像の消失は起きない、ということらしい。普通、植物の葉を冷凍し解凍すれば細胞膜が壊れる。むしろ水の浸透は促進されそうな気がする。あるいは、浸透の仕方が不均一だったために、画像が見えづらくなったのだろうか,,,季節を変えて被爆アオギリでもう一度試さなければならないだろう。

 

これを前提に考えるなら、展示期間を1週間ほどに想定し、水質の管理をして予備の葉も用意しておけば、水の中の展示というのは充分有効な方法だと思われる。日光に晒されたことによる変化は、人物像として認識できる範疇であるなら、むしろそのまま見せてもいい。

 

一度解凍した葉はなぜ画像を一定期間保持できるのか。理由が解らないまま、さしあたりひとつ問題がクリアされたように思える。謎だらけの自然を相手にしているのだから、いつか答えがもたらされることを期待しながら、今はただ目の前で進行する現象について行く。