最後まで心配してくれていた叔母が・・ | ブリーズの肺がん手術で右肺全摘その後ブログ

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2015年10月に右肺門部の約5㎝のせん癌を取るため、右肺を全摘手術。術後の化学療法もやらず、手術から1ヶ月半で仕事復帰。その後の5年経過観察をブログにアップしていきます。

10月9日仕事をしているとお袋から電話で、お袋のすぐ下の叔母が突然亡くなったと連絡があった。

近所の方が発見してくれ、警察に通報し遺体は警察にあるとの事で、本人確認に来てほしいとの事。

会社に事情を話し、板橋区の志村警察署へ向かった。

お袋は5人姉妹で次女。警察には市川市に住む長女夫妻、目黒に住む末っ子の叔母夫妻も向かっているとの事で、計5人で遺体確認をした。かなり久しぶりに会うが、確かに叔母だった。

この叔母は、子供の頃から可愛がって貰い、色々な影響を受けたし、アドバイスももらってきた。

私が音楽や踊りが好きな事や、今のキャンプ好きも叔母の影響と思われる。

叔母は看護婦(看護師)をずっとしてきて、晩年はケアマネージャーであった事もあり、

3年前に私が肺腺がんになった時にも、一番に相談したのも叔母だった。

その叔母のアドバイスで、大学病院は学生のインターンなどがいるから、ドクターだけのいる病院、かつ医療費用面での負担を考えて、「国立がん研究センター中央病院にしなさい」と言われ、CT画像を持って行った事を思い出す。亡くなる二週間前にも携帯メッセージで経過観察クリアの報告をし、油断するなと返信があったばかりだったのに・・・

死因は「心不全」。突然死である。

独身である・・・孤独死であった・・・・。

周囲の方に聞くと、最近は血圧も高く、糖尿病も患い、腰痛や膝痛もひどく手押し車で歩行していたとの事。

すごく後悔した。

携帯で話したり、メッセージはしていたが実際に会うことは数年なかった。

会っていれば、今の姿が見れて、何か出来たのかもしれないと考えてしまう。

しかし、後悔しても時すでに遅し・・・叔母は亡くなってしまった。

私は母子家庭。母は私が乳児の頃に離婚して旧姓に戻しており、実の両親の墓を守っている。

当然、独身の叔母は両親と一緒の墓に入ることとなるため、本来は長女がやるべきだが、親戚一同の希望で私が喪主となった。情けない話、叔母の交流関係は親戚一同知らないため、いろいろ話し合った上で、10月16日に一日葬とさせて頂いた。

当日は、平日の昼間にも係らず100名近い方が会葬に来ていただき、叔母の生前の影響力がうかがえた。

葬儀終了後、火葬してあっという間に骨になっちまった。

人間、あっけないものだと思った。

叔母は、年内で仕事を引退すると言っていたから、これからゆっくりできる矢先だった。

孤独死で可哀想と思う気持ちもあるが、人の為だけに生きた叔母を誇りに思う気持ちが強く、

亡くなって警察での本人確認から骨になっても、不思議と涙は出なかった。

とにかく、天国ではゆっくりして欲しい。ご冥福を祈る。

 

まだまだ叔母の周囲の整理は終わっていない。

仕事の事務所や自宅、飼っていた猫6匹の整理も出来ていない。

お袋姉妹は、みんな高齢だから自宅や事務所の整理で疲労困憊状態で喧嘩ばかりしている。

私も仕事をしながら、周囲の方に聞いたり、色々な機関へ連絡したり、事務所や叔母の家に行ったりして、

精神的に余裕がなくなってきていたので、今週の休みは自分自身の様々なバランスをとるために、リフレッシュする事に決めたさ。