Development Studiesから日本を見る。 -9ページ目

Development Studiesから日本を見る。

ロンドン大学SOAS(国際開発学)での一年間と、旅行記を綴る。

つぎはPre-sessionalの午後のコースについて。
午後のコースでは分野別(Culture、Politics and law、Development studiesなど)に別れて、イギリス式の模擬授業を体験します。

イギリスの大学は1単位(年間4単位程度が必要)に対して、
・Lecture(講義) 週2時間くらい
 大教室で講義を聴く。講義参加前には予備知識としてリーディングが要求される。

・Seminar(セミナー) 
週1時間くらい
 10-15人程度の教室で、TAとともにディスカッションなどを行う。たまにプレゼンテーションが要求される。

の2つがあるのが標準です。
これに、1学期に2000words以上くらいのエッセイ、さらに学期末(3学期)に試験があります。

ただし、Oxfordのカレッジは伝統的に特色ある教育をしていて、このSeminarがTutorialといって、1~4人程度のマンツーマンに近い指導に置き換わるそうです。(http://www.oxford.jp/fascination/oxford/index.html)



さて、今回はこのSeminarの体験授業を受けました。
内容は

・Discussion

・Debate

・Presentation

・Role playing


などです。

全体的に授業が少人数なので、TAが生徒に発言を促したり、逆に学生同士がどんどん口を挟んだり質問したりしながら授業が進みます。なので、全体がDiscussionのような感覚です。

さらに、2-4人のグループに別れて特定のトピックを話し合い、それを最終的に共有(軽いPresentation)をしたり、Development Studiesの関連として、開発援助機関の立場になってProposal(提案)を作ってみるRole playingをしたり、
Debateの練習(詳しくは以前の投稿を参照。)や、
個人で調べて来た内容をPresentationしたりということがありました。


全体的に感じたのは、ヨーロッパの学生は、DiscussionやGroup workに慣れていて、その進行や、自分の意見をグループの意見に織り交ぜていくのが上手いということ。
自分は日本ではディスカッションやNGO活動をするサークルに参加したりと、比較的上手い方だと感じていたのですが、ヨーロッパの学生にすればそれは特別ではないようです。

それに対して、これは先生のコメントですが、アジアの学生はコンピュータに強いのだそう。
事実、ヨーロッパの学生でパワーポイントを使った事がない(グループワークや議論は上手いのにも関わらず!)学生がいて、使い方を教えたりもしました。


とにかく少人数の授業なので、盛りだくさん。
受け身の講義ではなく、考えることが毎日要求されるという感じです。
SOASでは多様なバックグランドの学生が集っているので、日本人であることや、以前の専攻を活かして独自の意見が言えたときや、考えても見ないような意見交換ができたときは非常に楽しく、決して眠くはならない授業でした。


このイギリス方式
1)リーディングで予備知識を学ぶ
2)講義で教授の考えを聴く
3)セミナーで自分の意見を発言し、他の生徒と議論し、考えを深める
4)エッセイで自分の考えをしっかり体系立てて書く
5)試験で、獲得した知識をしっかり示す


というのは、知識を学ぶだけでなく、思考力や議論する力をつけるのに、非常に優れている!と感じます。

日本の一般的な文系の大学だと、
1)講義で基礎知識と教授の考えを学ぶ
2)それを暗記する、または文献を読み深める
3)試験で知識を示す、または応用を示す


というのが一般的なのではないでしょうか。

ひとつは、勉強量が圧倒的に違う。日本の文系の学生で週10コマ×1.5時間=15時間。SOASでは週3時間×4単位=12時間と、授業時間は少ないですが、その分宿題や必要な準備が多く、要求されるリーディングの量も週に1クラス数十ページから百ページにわたることもあるそうです。

また、日本では暗記→知識を示す という高校のような試験があったり。あるいは難しい場合でも試験で知識→応用を示す というように、知識を重視しているように思いますが、イギリスではディスカッションがあったり、エッセイがあったりと、自分の意見を深める段階までが要求されます。


日本では大学の成績は就職には役に立たない。まじめに勉強していた学生よりも、サークルなどで活発に活動し「コミュニケーション能力」をつけた人が最も役に立つとよく聴きます。
しかし、その原因は知識偏重型の大学教育にあるのではないでしょうか。知識ばかりがあって、考える力が弱いというのは、仕事をするには最も使いにくい人材ですよね。

こちらでも、もちろんコミュニケーション能力は大切ですが、成績も重視される。
それもそのはずで、要求される勉強量も多いし、なによりも思考・応用力重視型の大学教育をしているところに由来するようです。


もちろん、欧米では悪く言うとディベート型、言い換えると、二項対立ややたらと議論をすれば良いような風潮があるのも事実かもしれません。
例えば、SOASのSociety(サークル)で面白い勉強会があって、「SOASでは2つの対立ばかり考えている。CommunismとLiberalismだ。俺たちは第3の意見や二項対立以外を探す」など批判する人も見つけました。

日本の性格を良く言うと熟慮型とでも言えましょうか、厳密さや慎重さは良い点と思うので、欧米型にシフトすれば良いというわけでもないかも。


教育は国家100年の計と言われる。
日本の今後はどうなるのか・・?いや、誰が変革を起こせるのか・・?行政も、教授も、学生も、簡単に変えられるものでもないかもしれません。ともかく、欧米に居ると教育制度の違いをひしひしと感じます。
ついに明日から本コースが始まります!!

ここで、これまでの1ヶ月通っていたPre-sessionalという英語の準備コースについて整理したいと思います。
Pre-sessionalは正規学生になる前に、英語力の不足している留学生向けの、イギリス式の授業に慣れるための授業です。

そのため、もちろんですがNon-nativeばっかり。
おかげでいろんな国の友達が出来ました。


授業は2つに別れていて

午前:Essay Writingの指導
 1ヶ月間、Argumentの立て方からアカデミック語彙まで、Essayの書き方を学ぶ。

午後:イギリス式の授業になれるための分野別の模擬授業
 Politics、Culture、Developmentなど5分野に別れ、Presentation、Debate、Discussion、Role playingなどのコースワークの演習。

がありました。



まずEssay writingについて。
イギリスの大学は非常にライティングを重視していて、非常に精度の高いアカデミックライティングが要求されます。こちらでは日本の卒論指導が大学入学前(または1年生)で始まるような感覚です。

それもそのはずで、日本のセンター試験にあたるA-levelという試験では、暗記ではなく論文中心の思考力が要求されているとのこと。(http://www.eikokutabi.com/ukwhatson/uk_guide/features/education/exams_uk.htm)


始まってすぐ、まず先生が強調するのは

Criticizeしなさい!

Argumentを書きなさい!

ということ。
Criticizeは批判的思考、Argumentは主張・論争のことで、常に文章・講義を批判的に読み込み、自分の考えを主張する事が求められていると感じました。

このArgumentativeに対するのがDescriptiveなエッセイで、他の著作描写や説明が主で自分の主張に乏しいエッセイの事。日本でのいわゆる「レポート」ではこればかり書いていたような気がするのですが・・あまり評価されないようです。


さらに、Argumentativeであるばかりでなく、高い厳密さが要求されます。
先生がよく使ったのがAcademic Cautiousという言葉。

例えば、断定で
It is ... 
を使うのではなく、

It could be ...
It seems ...
など、可能性を含んだ言い方をしなさい。
と指導されます。

さらに、文献の引用の仕方。
SOASではHarvard Styleを採用していて(http://libweb.anglia.ac.uk/referencing/harvard.htm)、どこからどこまでが引用なのか、paraphrase(言い換え)なのか。また何が自分オリジナルのアイデアなのかを明確にすることが要求されます。

例えば、
Adams (2000, p.5) states that ....
と他の著作の意見を述べてから

I would argue that...
とそれに対する自分のargumentを述べるなど。
ほんとうに方が凝って仕方ない感じです・・(汗)

また、argumentを述べるという事は、その理由を示すという事。
論理的であればどのようにサポートしても良いのですが、なるべく英語の文献を引用・言い換えしながら自分の意見を過去の研究者の文脈の中で述べていくことが要求されます。なぜなら、沢山の引用や言い換えを使っているという事は、それだけ多くのReadingをした=勉強した ことを証明するからだそうです。(「勉強した事を示す」ためのエッセイという考えにはあまり賛同できませんが・・!)


そんなわけで、イギリスのエッセイでは
1)Argumentativeであること(主張・論争をすること)
2)厳密(アカデミック)である事
の両立が求められます。
たとえば主張だけならば、ディベートのように適当に意見を述べればいいのですがそうはいきません。また、厳密にしようとして引用ばかりつらつらとしていると、自分の意見を忘れ、descriptiveになってしまいます。

かくいう自分も、Pre-sessionalでは2-3週間かけて1500words(院生は2000words)のエッセイを仕上げるのですが、

最初にとった点数は30%。
多分人生初でした。

言い換え・引用をしたものの、エッセイの主題が何で、どこが自分の意見なのかを見失い・・
TOEFLやIELSなどの厳密さが要求されない5段落エッセイと違い、リーディングを使い、さらに10-20もの段落を論理的につなげていく・・。


悩みに悩んだあげく、大幅に書き換え、最終的には80%をとる事ができた・・!のですが、エッセイを書くという作業が、過去の文献の勉強・自分の意見の構築・その論理的な表現、と勉強のコアとなるスキルの全てを要求されることがわかりました。

長くなってしまうので、午後のコースについては次の投稿で!
ロンドン生活も3週間経ち、だんだん生活に慣れてきました・・
というよりは、驚かなくなって来た?というのが正しいかな。


さて、今日は教会音楽を聴きにいってきました。

Christianの友達に連れて行ってもらったんですが、教会音楽といっても、行ったのは伝統的なChurchではなくて、日曜日のTheatre。

ここはDominion Theatreといって、ロンドンのど真ん中。
月曜日~土曜日にはあの有名なミュージカル「We Will Rock You」が演じられています。


I come from Japan!-dominion2   I come from Japan!-dominion1

さて、朝の10:30からシアターに入ると、会場は500人もの人でいっぱいに。

そして始まったのは―
http://www.youtube.com/view_play_list?p=3FCFDA0AB1235B88&search_query=hillsonglondon
(Youtubeにアップされてます)

一般に想像する伝統的な音楽ではなくて、ポップでカジュアルな、ノリの良いドラムと、ギター、ステージには若いボーカリストが何人も。
まるで、ヒットチャートにのっているアーティストのライブを聴きにきたかのよう。

そして、会場全員が立ち上がり、
思い思いに信仰心を表現し、
体を揺らし、
歌う。

ほんとうにカジュアルな音楽なのに、
非常にダイレクトに、キリスト教の神を賛美する歌詞。

I come from Japan!-dominion3


正直、カルチャーショックを隠せない。
異教徒であった自分には、歌詞の中身をほんとうの意味で理解する事はできないけれど。
キリスト教信仰と、ポップ音楽が、こんなにも融合し、自由な形で楽しんでいるとは。

この教会、Hillsong教会といって、シドニーに始まり、イギリス、フランス、ロシアで大きな会場を貸し切り、新しい形のお祈りの場を開いているとのこと。(http://www.worship-japan.com/churchvarious01.html)
また、このHillsongが現代キリスト教賛美の曲をつくり、世界中でCD発売され、宗派を超えて青年層に受け入れられているとのこと。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%82%B0%E6%95%99%E4%BC%9A)


感じたのは、キリスト教のパワー

ロンドンにあるミュージカルのシアターは月曜日から土曜日までが講演で日曜日が休みなので、
Dominion Theatreが寄付をしてるのかもしれないし、あるいはお金をかけて貸し切っているのかもしれません。

しかしどちらにせよ、Dominion Theatreというあれだけ大きい会場を、
毎週日曜日に貸し切って、500人もの教徒を集めている力。

2時間にわたるプログラムは、1時間弱の音楽に始まり、1時間くらいの牧師さんの説教をはさんで、さらに音楽で締めくくられたのですが、牧師さんはもっと大きい会場に移したいとまで語ります。



そして、歌詞や説教のなかで協調される、隣人愛と許しの精神。

友人が語るのは「人種は関係ない」という言葉。
そして会場には、白人も、黒人も、アジア人も。手をつなぎ合って歌う姿。仲間として、握手を交わす。


たとえば日本の神道だと、
信じているのは日本人が大部分を占めるから、そういう「人種を超えた」つながりを実感するような場はあまりないけれど、キリスト教には確かにあるんだなと。

そして、そのキリスト教がヨーロッパの思想・基礎に大きく影響していると思うと、
やはりもっと理解しなくては、と思います。



牧師さんの説教のなかでは、チャイルドスポンサー(たとえばhttp://www.worldvision.jp/over0702/info_child.html、厳密にWorld Visionではなかったかもしれません)のような途上国支援への募金の紹介も。

西洋世界のほうが、寄付やボランティアが一般的になっていると聴きますが、
キリスト教に基づいた活動と意識しているかどうかにかかわらず、たぶんにキリスト教の価値観が影響していると思います。



僕はSOASにDevelopment Studies(開発学)を勉強しに来たのですが、
「Development」という概念自体、「Westernization(西洋化)」なのではないかという議論があったり、途上国に干渉する事自体よい事なのかどうか?という議論があったりします。

ひょっとしたら、Christianityがなかったら、「国際援助」や「国際開発」という概念自体流行らなかったのではないか?
キリスト教のもつ「ボランティア精神」と「人種を超えたつながり」という価値観が、意図せずとも「開発学」の基礎になっているのではないかなと思います。

西洋と開発。もっともっと考えていきたいテーマですね。