日本の大学は良くも悪くも日本という国家のエコシステムの中で生きている。従って、日本という国のエコシステムの持つ限界を超えることができない。その肝心の日本のエコシステムが、人工知能の進化という状況の中で機能不全を起こしている。個々人がどんなに優秀であろうが、日本のエコシステムの中に生きている限り、その限界を独力で乗り越えることはほぼ不可能だ。限界に押しつぶされてしまう。
日本の理系人材の中でも特に優秀な部類の人々も、例外ではない。日本に留まっている限り、持てる力を発揮できないのである。どうすればいいか?答えはアメリカのエコシステムに入ることだ。ところが、大抵の人は英語ができない。そのためにアメリカのエコシステムに飛び込む勇気が持てない。英語ができないためにアメリカの生の一次情報から遮断されてしまう。
この「大抵の人は英語ができない」という現実は、印象論ではなくデータが裏付けている。EF Education Firstが2025年11月に発表した「EF英語能力指数(EF EPI)」第15回調査では、日本は対象123の国・地域中96位(スコア446)で、アジア平均(477)にも世界平均(488)にも届いていない。2011年の初回調査時点で14位だった日本の順位は、その後一貫して下落を続け、2024年版92位、2025年版96位と過去最低を更新し続けている。ETSが公表したTOEFL iBTの国別平均スコアを見ても、日本は73点で、台湾・韓国・中国(いずれも80点台半ば〜後半)に10点以上の差をつけられている。中学・高校で最低6年間、英語を学んだ結果がこの数字である。
こうして見ると、日本の学校の英語教育は、英語に対する恐怖感、拒絶感を生徒に与えるために設計された、巧妙な「頭脳流出防止のためのツール」であることが理解できる。発音教育、文法、教材、教師、その全てが一体となって、日本人を英語ができない国民に仕立て上げるツールとなっているのだ。そして、これこそが日本のエコシステムの一部なのである。仮に誰かが意図的に設計したものでなかったとしても、これだけ長期間・継続的に「学んでも使えない」状態を再生産し続けている以上、結果として果たしている機能は同じだと言わざるを得ない。
では、知的レベルの高い中高生には何を勧めたいか。英文法を根本から勉強し直すことである。
具体的には、Huddleston と Pullum の著書 The Cambridge Grammar of the English Language の文法体系を学ぶことだ。ただし、これは生半可な提案ではない。不定詞の名詞的用法や5文型といった、日本の学校英文法の土台そのものが、この文法体系では根底から否定されている。したがって、並みの中高生、大学生、社会人がこれを理解するのは不可能だと思う。裏を返せば、ここに踏み込める一握りの生徒だけが、日本の学校英文法という「頭脳流出防止のためのツール」の外に出ることができるということでもある。
この本の日本語訳もあるらしいが、決して日本語訳を読んではならない。そんなことをしたなら氾濫する文法用語に幻惑されてしまい、読む気が一瞬で失せてしまうからだ。
理系の高校生全部とは言わない。20%ほどの理系の高校生はおそらく、日本のエコシステムから出て、アメリカのエコシステムに飛び込んだ方が能力が開花すると思う。このブログを読んでいる高校生のあなたは、ひょっとすると、その一人ではないだろうか?