旅行中にちょっとずつ読んだ。

この前、スガシカオの「おれ、やっぱ月に帰るわ」に言及したけれど、スガシカオはインベカヲリ★の「やっぱ月帰るわ、私。」に感銘を受けて、その曲を作成したらしい。

この曲が入っているTHE LASTというアルバムのジャケ写はインベカヲリ★が撮ったもの。


↑これ。

分かりにくいので、もう一枚貼る。



https://natalie.mu/music/pp/sugashikao03


生身の女性がクレーンゲームの景品になっている写真。

これ、上手く吊り上げられたら、家に置くところ無いでしょ?

クレーンゲームの横で何かカッコつけて座っているスガシカオ。


という写真を撮るインベカヲリ★に興味が前からあったので、彼女の書籍も読んでみました。



これです。他に電子書籍が無かったもんで。


インベカヲリの元に写真の素材希望ということで連絡して来たシズカ。

彼女は今時の老若男女のようにSNSのアカウントも持っておらず、インベとのやり取りはメールのみ。

どうやら、そのメアドを知っているのもインベだけのよう。

継続した関係が苦手。家族とも疎遠。

彼氏がいた事がない。

何でそんな人がインベカヲリにだけはコンタクトを取ってきたのか不思議だ。

継続した関係が苦手なのは、どうやら、「良い人」を演じてしまうかららしい。

関係が長くなって、その関係が変質して行くこと、相手が自分に失望することが耐えられないとか。

何故、彼女が処女なのにデリヘルをしているのか、何故、全国を回っているのかが徐々に明らかになるという構成。


何故なのかの答えは明確に語られるのだけど、本当にそうなのだろうか?という疑問が私には残った。

インベカヲリ★は、人の作品と呼ばれるものには何度もその人の無意識のトラウマが現れるというような事をどこかで述べているのだけれど、シズカの全国津々浦々での男性との疑似恋愛はまさに幼少期に遭った性的被害のトラウマの再現とその昇華を求めるが故の行動であるように感じた。

あの時の自分は無力で何も出来なかったけれど、今の自分はそうではなくなったという証拠を得たいという思いがある故の行動。

或いは、そういう風に解釈して欲しいというインベカヲリ★の制作意図なのかもしれない。

シズカ本人は、自分は幸せになる資格が無いという想いが根底にあるという説明をするのだけど。


そういえば、自分は幸せになってはいけないと言っていた私の友達は自殺してしまった。

彼女は、誰にも言えない想いを一人で抱え込んでいつつも、本当は誰よりも幸せになりたかったのかもしれない。


ただ、私自身は人は色々な行動の理由を求めるけど、それをわざわざする必要ってあるのかなと思う。

何か問題が起きる前から、先回りして既にある陳腐なシナリオに自分の行動を必要以上に当てはめていくと、人生は陳腐で、想像通りのことしか起こらなくなる。

ただ人ってそういう陳腐な分かりやすい物語に感動したり、心を奪われたりするよね。分かりやすい物語を語れる人が頭が良く見えるから、人気者になれる。


私が恋愛を毛嫌いしているのも、恋愛が私や「彼」にとっての都合の良い物語に過ぎないからだと思う。

お前の陳腐過ぎて反吐が出そうな恋愛物語のヒロインにだけはなりたくないという自我の強さ。



参考