私にはいわゆる腹違いの兄弟がいます。

父親が同じだけど、母親が違う兄弟ですね。

その子がこの世に誕生したのは私が中学生の頃です。

母親はこの事実に激怒し、この腹違いの兄弟に財産を取られないように、この兄弟に負けないように社会的にしっかりとした職業について、隙が無いように、という方針で私は育てられました。

そのおかげか、私はまあまあ人より真面目ではありますが、何故、母親が血縁が少しでもある人間に対して、そこまで攻撃的になれるのか常々、不思議に思って生きて来ました。

まあ、私にとっては血縁ありますけど、母親にとっては赤の他人なので、その辺りも関係するかもですね。

私はそのように厳しく育てられたんですが、母親の希望する大学には入れず、「そんなところにしか受からなかったの?」と言われる大学に入ることになり、勘当されました。後からじわじわ実感することになるんですが、そこそこ良い大学らしいです。しかし、全く自分に自信が持てなかった私は大学名だけで面接に呼ばれるような就職にも失敗するんですが、その話はこの話に関係ないので割愛します。


私の高校の時の友達でいわゆるお妾さんの子どもがいて、その子は常々、私は生まれて来てはいけない存在だと言っていました。そのことを苦にしたのかどうなのかは明らかではありませんが、彼女は後に自殺しています。


何が言いたいかと言うと、婚外子を追い詰める「何か」について、私は常々、疑問を抱いて生きて来ましたという事です。

嫡出子である事がそのまま人として社会に認められる何かであったりするんでしょうか?何かそう思いやすい心理的バイアスが働きやすいとか?


父親が私の腹違いの兄弟を認知した事も、母親は相当に怒り狂って、私に文句を言っていました。

しかし、生まれて来た子どもを自分の子どもとして、認知するのは、そんなに悪いことなんでしょうかね?自分の子どもとして認知することで財産分与の権利が生まれるとか?もし、そうだとして、それの何が悪いのか?だって、子どもなのは事実だし。というか、その為に子どもを産んだかどうかも不明ですよね。だって、うちの父親、当時、普通のサラリーマンですよ。しかも、後に倒産する会社の。財産とかほとんど無いですよ。後に自己破産、身体を壊して働けなくなったので、生活保護申請しています。某お笑い芸人さんが、母親が生活保護なのに面倒見なかったという事でかなりパッシングされてたのと同時期ですね。私はあのニュースも嫌な気分で見てました。ようやく私も月に16万くらいお給料が貰えるようになった時に、父親が生活保護申請したって、母親から連絡が来ましたから。ああ、もしかしたら、私がここから父親の生活費出すのかと。友達もその2,3年前に自殺していたので、生きた心地はしなかったですね。男性の先輩から6時間くらい説教されても誰も止めないブラックな職場でした。まぁ、死ぬなら自分が好きなように生きたら良いじゃんと思い、現在に至ってます。


話を戻すと、妻や夫の権利を得るだけ得て、夫婦としての義務を果たさない人達が何故、さらに、色々な権利が無くて、苦労せねばならない子どもを追い詰めるような言動を平気で行うのか、疑問に思わざるを得ないです。

感情で自分の感情で自分の行動だけでなく、他人の行動までも規制できるという勘違いが、配偶者を浮気や不倫に走らせる原因であると、何故かそういう人達って気づかないみたいなんですよ。

世の中には一切、血縁関係が無い子どもを引き取って、自分の子どもとして育てる事が出来る人もいるらしいのに、人間の多様性ってまあまあ面白いですよね。


そして、道徳心、規範意識、ルールって互いに矛盾してしまう部分があるので、難しいですね。

その矛盾の隙間に入り込んでしまうと私みたいな体験をすることになるんでしょうか?


まあ、おち◯ちんの気持ち良さの前には、そんな事どうでもいいんですけどね。