エホバの証人 新潟県元2世会衆 jw.org→jw.orz -3ページ目

エホバの証人 新潟県元2世会衆 jw.org→jw.orz

jw.orgにいた2世がjw.orzになり、やがてとあるプロテスタント教会のしがない牧師にと流れ着いたある男の徒然草。
新潟県のエホバの証人元2世の戦友が出会えるきっかけの場になればいいかなー

今日は仕事絡みの軽いお話でも。

私は2つの教会をお預かりしている。
一つは30人ちょっとのメンバーがいる教会、もう一つはメンバーが10人もいない教会である。

2つ目の本当に小さい教会の礼拝に集まるメンバーは、毎週同じである。
つまり、毎週欠かさず礼拝のために時間と労力を割いて教会に集っているということである。

別に2つの教会を比較したり評価したりする気持ちはないのであるが、このようにして何としてでも集まって来るメンバーの姿を見ると、司式する私も、本当に真剣にお勤めしなきゃ、と俄然力が入る。

真剣なメンバーの姿を目の当たりにしているのであるから。

不思議なことに、少人数であればあるほど、それが強く感じられるものなのである。

そしてお勤めが終わった今、パワーを使い果たし脱力している。
私が勤務している教会では、日曜日の礼拝の出席者平均数が減少している。
その理由は、アクティブに礼拝に出席していた信徒の死亡、信徒の病気療養の他に、家族や親族の介護が挙げられる。
ご多聞に漏れず高齢化が進行している勤務教会では、年齢によるライフステージの変化によって、親の介護のみならず配偶者の介護が始まっているものである。

『ものみの塔』2014年3月15日号の研究記事には、高齢の家族の世話について取り扱われている。
介助・介護が必要になった肉親に対する対処法について、政府機関との連絡や、地域の支援サービスの有無の調査、家族・親族内での介護体制の構築といったことを提案している一方、介護のために特権を簡単に手放すなと記してある。

そうですか、ごもっともなお言葉ありがとうございました、と皮肉っぽく言いたくなることである。

研究記事を誤読している可能性があることを断った上で述べていることであるが、浮世離れした提案としか言いようがないものだ。

広く社会に知られていることゆえに、改めてこのブログで詳細を記す必要がないことであるが、日本の介護福祉行政は極めてお粗末なものである。
老人介護施設は満杯、介護職員は人材不足、介護保険は貧弱。
公的機関に申請を出しても、頼り切ることはできない。
なおかつ、団塊の世代がさらに歳を重ねて、介護が必要になる人が増加するとなると、現状のままでは在宅介護におのずとシフトされることは確実である。
脳の血管をたくさん詰まらせて重度の障碍者になるか、重度の認知症になるか、はたまた札束を積まなければ介護施設のお世話になれないことになるのである。
家族・親族云々にしても、夫婦共働きで生活資金を稼がなければ生きていけないような現状では無理でしょ、9時5時で仕事せずに昼間プラプラ歩いて布教活動やっているような一番余裕があるあんたがやれよ、という話になる。

特権云々については論外なので何も書く気がない。

しかし、このような記事が出てきたのは、JWの平均年齢が上がったことにより介護問題を避けて通ることができなくなりつつあることの証左であろう。
十数年前、とある方から、エホバの証人にずぶずぶはまっていく人の特色についての分析を伺ったことがある。

その特色とはずばり、
「団地妻」である。

つまり、
・核家族である
・妻は専業主婦
・夫は帰りが遅くて子育てについて話し合いしたくてもできない
・近くにいない両親にも相談できない
というサラリーマン家庭の専業主婦が悶々としているところに、

ピンポ~ン♪

聖書から幸福となる家族生活を学びませんか~?

そこでうまくいけば信者1ゲット
ということになるわけである。それが多数。
ここまでがとある方の分析である。

しかし、今となっては「幸福な家族生活」というものは売りにできなくなったように思われる。
十数年前にエホバの証人の家族問題に関する本が出版され、ある程度の範囲内で問題性が認知されるようになったことも要因の一つとしてあろう。

そうなると、最後の目玉商品は
差し迫った終末と楽園
である。

しかし、それも今となってはあいまいに。終末は先延ばし。
商品価値は下落である。

というわけで、現時点では目玉商品ゼロの状態と思われるものである。

さて、組織はこれから、
どのような奇妙奇天烈な商品で打って出ようとしているのだろうか。
あけましておめでとうございます。
あ、この文句はJWでは禁句でしたね(笑

今回も相変わらずワーカーホリック的に仕事をしている途中で年を越してしまいました。
明日、元旦の典礼があるので「そりゃそうだ」という話なんでありますが。

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わたくし、来年で脱JW20年を迎えます。
20年近く経っても、なかなか整理のつかないものとかってあるもんですね。
だからこのようにブログを「えいやっ」と作ってしまう(笑

昨年の「名古屋の変」を契機にエホバの証人に見切りをつける方々が増えつつあります。
このブログを経由して、フィリーさんやshou-tanさんなどが開設されている大所帯ブログに行き着かれて幅広い交流の機会へと導かれる方々が増えるのでしたら、わたくしとしては幸いであります。

同じ傷を負った者同士の出会いは、負った傷による癒しへと導かれます。
それには当然のことながら痛みが伴います。
双方とも、自分自身のかさぶたを引っぺがして弱さをさらすのですから。
そしてその回復の道のりは非常に長いです。
一生かかるといっても過言ではありません。

でなかったら私は今更のことながらでブログを開設していない(笑

ネットという限界性を抱えながらも、共に痛みつつ、回復に向けて歩みを進めていくことを指向していく私たちでありたいなあ、と思います。
特にJWがさらに迷走しそうな今年は。

というわけで、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
クリスマス・イヴ礼拝などの典礼を一通り終え、ようやく一息ついております。
耶蘇坊主(牧師)も走る「師走」です。

キリスト教の暦(教会暦)では、1月6日の公現祭までがクリスマス期間であります。
しかし、明日あたりから巷の商店街などではさっさとクリスマスの飾りは片付けられて門松などが飾られることになりますので、軽く憤慨しております。

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私が小学生になっていたかなっていなかったかの頃、巷の人々を軽く憤慨させることを、私がいた会衆では行った記憶があります。

それは、新年早々元旦から奉仕活動というものでした。

人数は少なかったですが、出る人は出ていました。
私の家族も。

しかもその日の札幌は猛吹雪だった記憶が。
ストーブをボンボン焚いて家の中でのんびり正月を過ごしている家の人たちにすれば、そんな時の訪問者は大迷惑なものです。

(追記:気象庁の記録と照合すれば1987年1月1日がその日にあたります。

しかし、JWの中では「熱心」の一言で片付けられる所業ですから、実におめでたいもの。

その元旦の奉仕活動はよほど不評だったのかどうかわかりませんが、それっきり行われなくなりました。
今思えば、新年早々元旦から奉仕活動なんてことは、JWが急成長を遂げていた1980年代中盤だったからこそやらかすことができたものなんですね。
もうそろそろクリスマスであります。

今は午前4時。
こんな時間まで夜更かしして何やってたんだ、
と言う方もいらっしゃるでしょうが、
仕事していました。
印刷物の原版を作ってリソグラフで印刷して折込みをしていただけですけど。

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JWを脱出して最初にクリスマスらしいことをしたのは、
脱出して3年後のことでした。
とあるプロテスタントの教会で洗礼を受けた直後のことであります。

日曜日は教会でクリスマス礼拝
(12月25日より前なので「前祝い」になるのだけど)
に出て、その後ささやかなパーティー。

その3日後にはとあるホテルの宴会場で
教会主催のクリスマスパーティーがさらにあったわけでして。
その時のパーティー券が4200円で、
高校生の身分では結構高いものでした。

そもそも、
なぜホテルでクリスマスパーティーをやったのか、
経緯も理由もわからないんですけど。

そんなイベントやってる教会聞いたことがない(ーー゛)

まあ、そのホテルの料理はおいしかったのでよし、
としたいところだったのですが、
公募推薦だったとはいえ大学受験の疲れがずっと残っていたのか、
スモークサーモンで食あたりを起こしてしまいました。

吐いたり下したり熱出したり。
おかげで翌日のクリスマスイヴは
布団の中で臥してしまっているという、
極めて終わりがよろしくない
初めてのクリスマスになってしまったのでありました。

あれから15年。
牧師になった今でも、
クリスマス後には過労でぶっ倒れる年が多いです。

24日深夜にくたびれているのに関わらず
明石家サンタを見ていたのが悪かったんだろうか(爆)

皆さん健康第一にクリスマスシーズンをお過ごし下さい。
今年放送された大河ドラマ「八重の桜」の視聴率が歴代4番目の低さだったとのニュースがネットで流れていますが。

ウィキペディア先生にお尋ねしたところ、これまでの大河ドラマでは宗教者に近い存在の人物を主人公に取り上げた作品はこれまでなかったようでして。
同志社の創立者である牧師・新島襄の妻である新島八重が初めて、ということになりますね。

大河ドラマの舞台となった町が、大河ドラマを利用して町おこししようとするのと同じように、キリスト教の世界でも新島八重を布教活動に利用しよう、というのはありました。
新島八重について書いたカラーのビラ(ご丁寧にも教会名のゴム印を押すスペース付き)を出すとか。

ま、それで成果があったかどうかは知りません。
かえって、浅ましさにビラを受け取った人はササーッと引いたんじゃないかと思うんですがね。
「良い伝道の機会」なんて言っているのは教会の中の人だけです。

牧師という仕事をしていますが、
何かね、自分がいる"日本のキリスト教"という世界を斜めから冷めた目で見ている自分もいるわけですよ。
とってもひねくれた牧師です、わたくし。

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ちなみに大河ドラマで最高視聴率をたたき出したのは下のリンクの放送回であります。
(↓クリックすれば削除されていない限り別ウィンドウで動画が見ることができます)
1964年大河ドラマ「赤穂浪士」第47話「討入り」
 視聴率53.0%

モノクロテレビの時代のドラマですが、これは見入ってしまいますなあ。
JW.orgという嘘だらけのサイトについて記事を書かれている方々がいらっしゃいますが。

宗教団体のホームページの中には、作り笑顔をしているメンバーが何かの活動をしている写真がアップされていることがあります。

そんなサイトを見ると、正直
虫酸が走る。

いかにも
親しみやすいところですよ~
とか
楽しいところですよ~
とか
キリスト教チックに言うと
愛に満ちている教会ですよ~(はぁと)
というメッセージを出しているんだろうけど、

ほんとかよ。
作り笑顔の裏には何を隠してんだよ。

と言いたくなる。

たいてい、みんなで和気あいあいというような写真の裏側には
しょうもない確執とかがあったりするんだな。

あーやだやだ。




JWに限らず、あらゆる宗教団体のメンバー予備軍に告ぐ。

作り笑顔の写真に惑わされるな。

どこの宗教団体でも人間関係でトラブって傷つくことが起こるのは必然である。

だのに愛に満ちている団体だの何だの言っているのは欺瞞以外の何物でもない。

ま、それでもそういうサイトを出している団体に行ってみたいのでしたら、止めはしませんが。
後はどうなっても知りませんよ。
教会という所に勤めていると(私の場合住んでもいるのであるが)、いろいろな所から電話が来たり訪問があったりします。

以前勤務していた大都会の大規模な教会では、飯や金を無心する方々が頻繁に来ましたが、それ以外にもセールスの方々がちょこちょこと来られるわけでして。

それは、
*証券会社(投資の勧誘)
*郵便局(かもめーるの販売)
*聞いたこともない防災器具販売会社(消火器のぼったくり)
*エホバの証人(言うまでもない)
でして。

電話では、
*ソフトバンクの代理店なる会社(契約プランの変更勧誘)
*聞いたこともないコピー機リース会社(リース変更勧誘、なぜかシャープ製が多い)
がありますですね。

電話だとその勧誘がしつこいしつこい。
こっちがイライラしながら「間に合っていますから」と言っているのにしつこく食い下がる。
ついにブチ切れて
「こちら立て込んでいますので、切りますよ」
と言ってガチャ切りしたことも幾たびかありました。

私たちも昔、同じようなことをさんざんやらかしてきました。
そう、「奉仕」、「ボランティア」という名の執拗な勧誘活動です。
何度断られても、数か月後にはまた訪問するアレ。
それを繰り返して、どれだけ市井の人に迷惑をかけたことでしょうか。
消火器やコピー機ならぬ、信仰の押し売り。

ちょっと話は変わりまして。

しばらく前に、私が現在勤務している教会がある地方にキャラバン隊がやってきて、伝道活動をするというのがありました。

その伝道活動の途中に、私が勤務する教会を訪問したいと、キャラバンの主催団体から半年くらい前に申し出があり、拒む理由が一切ないので訪問を受け入れ、聖餐礼拝を挙げたのでした。

そのキャラバンの伝道活動は、別に街中でアジるとか、いわゆる飛び込み営業でチャイムを押しまくって戸別訪問をやりまくるのではなく、ひたすら徒歩で小さいビラをポスティングするというものです。

家の人は、そのビラに興味がなければ速攻でゴミ箱に捨てちまえばいいのだし、ちょこっと興味があればちょこっと読んでゴミ箱に捨てちまえばいい、そういう代物です。
宅配ピザなどのチラシと同じような扱いにして全く構わないものです。
嫌なら捨ててよし。
シュレッダーにかけて紙吹雪にしても一向に構わない。

そもそも、宅配ピザのお兄ちゃんが飛び込み営業やって
「ピザ買いませんか」と営業やっても買う人いるわけないじゃん。
それと一緒。

書きなぐっているうちに話がとっ散らかってしまいましたが、
要は、対面で勧誘しても効果は皆無に近い、対面で信仰の押し売りはするな、ということを言いたいだけのことでした。

ちなみに、前の勤務教会にはエホバの証人は1度か2度しか来ませんでした。
手ぐすね引いてお待ち申し上げていたんですけどねえ。
路上キスのことではありません。

とあるブログを見て思い出したことですが。

現役で2世をやっていた頃、野外奉仕の集合場所に向かうための移動手段は、基本的に自転車でありました。ただし積雪期は除いて。
集合場所は、児童公園だったり、どこかの角だったりするんですが、その集合場所に行ったらすごいことになっているわけでして。

道の角に
スーツ着た男数人と
1960年代からタイムスリップしたような女15人くらいが
ごそっとかたまっていたり、

道の両端には
自転車がこれまた20台くらい
ずらーっと路上駐輪していたり。

どう見ても異様な光景でありますわな。

しかも、日曜の朝っぱらか昼のお昼寝時間に路上で集団でがやがやする上に、他人の家の塀に沿って路上駐輪するものですから、やかましいわ道も狭くなるわ。
そりゃ、家の人がブチ切れてレンズ付きフィルムで証拠写真撮るわ(20年前実際にあった)。
今だとスマホで動画撮り放題ですな。

奉仕どころか、迷惑ばかりやらかしてきたことを思い起こす昨今であります。