先日のオフ会の翌日の話であるが。
仕事の会合を終えたのち、帰途につくためにターミナル駅に向かった。
そうしたら、駅の入口付近でJWがディスプレイ伝道を行っていた。それも1か所だけではなく、数か所で。
そこで、遭遇記念に『生命 どこから?』というブロシュアーを「これ貰ってくわ」と言って入手したのであった。
こわいもの見たさで見てみたい方はここをクリックすべし。
少しざっと読んでみた。
少し読んだだけでも頭がクラクラするし、疲れる(爆
それでも現役2世だった20年前はその手の文書をそれなりに読んでいたんだよなぁ。
少し読んで気になった点が一つある。
11~17頁の「だれが最初にデザインしたのか」という章の論の進め方である。
この章の内容をざっと書くとこんな感じである。誤読があれば指摘願いたい。
飛行機や対向流熱交換システムなどの人工物は、動物の身体的特徴・特性や内部機能を模倣して開発されたか、開発が進行しているものである。
自然界の種々の仕組みはデータベース化されており、これらの仕組みは生物学的特許として知られている。特許権の保有者は、通常、個人や企業である。だが、生物学的特許の実際的特許権保有者は自然であると強調され得るものである。
自然界に存在するあらゆるアイデアの宝庫であるのは、幾億年もの進化の結果であると考える研究者が多いであろう一方で、デザインされたことの明白性を無視すべきではないとする結論に至った研究者も存在する。
従前より高次の開発を実現した技術者は称賛を受けるに値する。自然界のシステムを模倣して技術上の難問を解決したとしても、自然界のシステムを造り出したのは理知ではなく進化であると考えるのは筋が通っているだろうか。模倣してできた物に理知ある設計者がいるならば元となったものについてはどうだろうか。最高の技術者とそのもとで技術を真似ようとする人とではどちらが称賛に値するだろうか。
最後にパウロ書簡の言葉(ロマ書1章19~20節)を引用して終わり。
あーあ、しち面倒くさい。て言うか、何言いたいんだ。余計な情報がゴタゴタ入り過ぎ。
要は、特許権という法的な権利という考え方を論述の中で利用しつつ、進化論でなく神による創造の正当性を論じようとしているのである。
お気付きになられたであろうか。
特許権という、進化論と創造論のどちらかの正当性を立証するのには全然関係のないカテゴリーのものを使って論を進めているということを。
普通に考えれば噴飯物である。
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実は、とある方から、このブロシュアーを入手し読んだ親戚が洗脳されかけているという相談を受けていたのである。
しかし、ブロシュアーの実物を読んだことがなかったので、的確なお答えをすることができなかった。
そのような出来事の後に、件のディスプレイ伝道に遭遇したのであるから、これ幸いと実物を入手して読んでみたのであった。
4分の1興味本位、4分の1仕事、半分ブログネタのために読んでみたとは言え、えらく疲れた。
「進化か創造か」という議論は、私としては些末過ぎてどうでもよくなっている。全く関心がなくなったのである。その中でこの手の文書を読んだのだから、余計疲労感が増したのかもしれない。