今日、6月10日は時の記念日です。

このところのコロナ禍で生活環境が変わり、

時間の感じ方も大きく変わってきたような気がします。

 

時間は伸びたり縮んだりするという相対性理論を

実体験しているような日々ではないかと。

まあ、ほとんど伸びっ放し状態ですが・・・・・(笑)。

 

時間を大切にするということですが、

コロナ対策で在宅勤務への移行が一気に増えたことで

働き方についても考えないといけないことが多々てきているようです。

 

アフターコロナでも普通に在宅勤務、テレワークは残っていくでしょう。

「9時から5時」とか、「5時から男」、「通勤地獄」といった表現は

過去のものになるのかもしれません。

 

となると、問題は働くことに対する評価になります。

これからは、いわゆる「ジョブ型」の評価が取り入れられてくることになります。

仕事の内容を明確にして、その達成度で評価していくものです。

 

最終成果物、納期があって、その完成を目指す請負型の仕事の仕方に似ていて、

業務遂行の仕方は業務遂行者に任されており途中の時間管理は不必要になります。

 

皆一斉での、出社時間、昼食時間、休憩時間、退社時間などなど

時刻を告げるチャイムや鐘の音で皆が共に行動していく生活様式は定着していますが、

このスタイルを見直していくことなるのが今年の時の記念日なのかもしれません。

 

 

コロナ新語がまた一つ、『東京アラート』
緊急事態宣言の全面解除から経済活動の回復に向けて動き始めたたころでの東京アラート発動。

スマートな表現ではありますが、
コロナ感染の警報発令ですから
まだまだ行動自粛が必要なことを
改めて認識させらせます。

問題は''夜の街"の活動。
そもそもコロナウイルスが無くなったわけではないところに、『蜜』を求めて人が動くわけですから当然の流れでしょう。

とは言え、夜のビジネスも経済活動として
大きなウエイト占めているはずですから
休業要請にも限界はあるでしょう。

ウイルスは目に見えないだけに
大丈夫だろう感覚がどうしても拭えません。
アラートに慣れっこなってしまう危険もありますから、なおさら厄介です。

経済の停滞にもアラートが発動されています。




6月に入ってからは朝の通勤客が増えています。

人出が戻ってきていることは活気が出ていいことです。

 

そんな人の流れを見ていてふと感じたことがあります。

人々の背中に疲れが出ているような・・・・・

 

確かに、自粛生活が続くと運動不足にもなりますから、

体重も増えたのではないでしょうか(笑)

 

通りすがりのウインドウに映る自分の姿に

えっ!、と、ビックリすることも(笑)

 

後ろ姿は自分で分からないだけに困ったものです。

注意しないと老け込んだような姿勢となっているかもしれません。

 

背中を見て育つ、背中で教える、など

背中は本人には分からないけれども周りからはよく見えていて

意外とその人の行動などがよく表れ出てくる部分なのでしょう。

 

モデルではないにしてもいい姿勢を意識して

颯爽とカッコよく歩いていきたいものです。

緊張感が大切だと。


 

 

 

緊急事態宣言の全面解除を受けて、週明けとなった今日から

脱コロナで世の中が動き出したようです。

 

学校も再開され、通勤電車は結構な込み具合でした。

飲食店からは営業再開の案内メールも届いていて

やっと動き出したか――って感じです。

 

しかしながら、新しい生活様式での対応を考えると

3密回避、ソーシャルディスタンスの確保など

まだまだ開けっぴろげには動きにくいところです。

 

コロナウイルスがなくなったわけではないので、

コロナ後においてもリスクを考えテレワークを続ける企業も多く

働き方についても変わっていくと思われます。

 

元の状態に戻ることはないでしょうし、同じところに戻ってはダメだとも。

ある意味、せっかくの進化に向けたチャンスでもあります。

慌てず、ゆっくりと、そして、着実に変化していかないと取り残されてしまうことに。

 

考えて、動いて、考えて、前へ!ですね。

 

 

 

 

 

 

5月の最終は親戚の通夜、葬儀でした。
神式だったのでちょっと戸惑いもありましたが 
考えさせられるところも。

途中、神主様が故人の生い立ちについて
結構、細かく述べるところがありました。

一人の人間の一生の振り返りなんです。
この人はこの世でこのように生きてきましたと。

参列者はそれを聞きながら、その人とのことを
思い出してみたり、改めて知ってみたりのひと時になります。

とにかく、この世に生を受けた以上は
しっかりと生き切らないといけないなーとも。

こんな風に感じ入ってしまう歳になったと
いうことなのかもしれませんね(笑)