この、冬から春へと季節が移り変わる頃だ

なぜだかこの時期心穏やかでない自分がいることに気付いたのはここ数年のことだ

不安というか

落ち着かないというか

まあそんな感じだ

風が強い日が続いて

ついには季節を逆行させるかのような冷たい風が一瞬吹き込むと

次の刹那、激しい雷鳴がとどろき

この所在なさげな不安な気持ちにその春雷の一撃がとどめとなり

気付けばもう一瞬にして春の中にいるのだ

桜が開いたとか開かないだとか

霞んだ空にツバメの姿を探したりとか

もうそんな候なのだ



それでもそんな陽気にちょっと浮かれながら山へ行ってみると

寒冷渦を伴った低気圧が降らせた名残り雪がまだ解けきらずに残っていて驚く

山間のワインディングに淀む空気はまだかじかむ冷たさで

ああ、まだ冬がここにいたんだ、と

少しほっとしてしまう自分がやはりいて自然と笑みがこぼれた

そんなにも春の訪れがこわいのか

いや、春がこわい訳ではもちろんない

春が来るとすべての事が一目散に動き出すことがこわいのだと思う

最初ゆっくりとしたその流れは微塵の戸惑いも見せず

次第にしっかりとそして強く、確実に大きくなり

過去などまるで無かったものとしながら未来へと突き進んでいくのだ

それは

老いたわが身が近い将来この流れに一人取り残される予感

そしてその予感はすでに確信へとなりつつある



当たり前のことだが生まれた時は自分がいちばん歳が下だからか

その後の人生においても自分より下(の世代)にはあまり目がいかず

自然に上(の世代)を見て生きていくもののように感じる

けれど歳を取ったせいなのだが

近頃はそんな「上」が希薄になってきて

頭上を見上げればなんだか虚しく空が広がるばかりに見える

身内や近親者だけでなく

テレビの中だけの「知人」も次々と訃報が届き

それを現実として突きつけられると

いい歳をして何とも心許ない不安な気持ちに呑まれるのだ

もちろん同世代も頼もしい存在なのだが

そろそろ同世代も怪しいようだ

ここ数年、小学校の同級生を毎朝のように見かけていたが

何時か声をかけようと思いながら何年も経ってしまい

そういえばアイツ近頃見かけなくなったが…

と考えていた矢先

近所のやはり同級生に何となく話を向けてみたら

死んだ、というのだ

なんでも悪い病気にかかったがすでに手遅れで

それでも体が動くうちは、と仕事に出ていたらしい

自転車で帰宅途中意識を失って倒れそのまま帰らぬ人になった

背が低くて無口

運動も苦手で成績もそこそこ

そんな少しも目立たない男だった

すでに身内は弟だけなのだという

声をかけなかったことを悔やんだが

もうどうしようもない

ただ彼のことをたまに思い出すことが

せめてもの弔いなのだと自分には云い聞かせてもなんだか虚しさは残る

周囲がだんだん寂しくなる



ボクは父を6歳の時に亡くした

そして苦労して育ててくれた母は35歳の時亡くした

2歳で父を亡くし30歳で母を亡くした妹こそ不憫だったが

ボク自身、両親がこの世からいなくなったことの現実にその時は愕然とした

ボクがここにいることの証がもうこの世界にはないのだと

何を大げさなと思うだろう

でもいまでもこの所在なさげな不安は常に付きまとっているように感じる

思い返せば生きるとは不安なことばかりだ

もちろんそれ以前に人生には取り組まなければならないことが多くあり

実際はその不安と向き合うことはまずない

まずないのかもしれないがずっと自分の中の何処かにはいるのだ

そんな悩ましさにいつも手を差し伸べてくれたのは間違いなく上(の世代)の人たちだった

両親や先生

学校や職場の先輩や上司

テレビや雑誌などメディアで先人たちの言葉に触れたり

時には厳しく叱責されたりしながら支えられてきたのだ

いつもいるはずの母の姿を見失った幼子のような顔をして

いい歳をしたおっさんは握った拳に薄っすら汗をかいている



ひとりで行く宛てもなくオートバイを走らせ

心に感じた場所で止まってその景色を眺めることが好きだ

大抵は名もない入江だったり

なんてこともない川のほとりだったり

ぺんぺん草が乾いた風に揺れる原っぱだったり

ゆるい風が吹いて

遠くでカラスが鳴いている

太陽は真上から燦燦と光を降りそそぐ

ボクは座り込んでただゆっくりと呼吸をし

ぼんやりと周囲を眺める

そんな時だ

ボクの中の忘れていた不安はゆっくりと景色の中に溶けだして行き

いつしかこの傲慢な自分と云う存在が木っ端微塵に砕け飛ぶのだ

そして感じる

この世界と

否、時間も含めたこの宇宙と同化するのを…

だからとどの詰まり

いつかこの時間の流れに取り残されようとも

なんの不安もないということなのだ

そんなことに不安な気持ちになるくらいなら

今日何をしようか考える方が絶対に良い

もう会えなくなってしまった人たちだって

間違いなくこの胸の中にいる



今朝ゴミ出しに出たら

黄砂に霞んだ空をツバメが横切ったよ

遠くの畑では雲雀たちのさえずりが幾重にも重なって響いていた

来週には桜も満開になるだろう

ことしもまた春がきた




ヤマハだけでなくスズキもホンダも

みんな静岡に縁がある会社だ

しかもそれは東西に長い静岡県のみんな西部に集まる

ボクの住む愛知 しかも三河からだととても近い

ヤマハ発動機の本社が磐田にある事はもちろん知っていたし

何度か近くを偶然走っていたこともあるが

かと云って殊更そこを目的地として訪ねてみようと考えたことは一度もなかった

けれどSR400に乗り始めて改めて「ヤマハ」を意識するようになったからか

ヤマハのレガシーを展示している施設を見ておきたいと思うようになった

それと

ついでにボクのSR400にも里帰りをさせてやろうという感じだ

実は国内販売が終了しただけでSRは輸出用に本社工場で今も生産されている

そのSR400は一般的なライン生産方式ではなく

3人の熟練作業員が1台1台手作業で組み上げるセル生産方式で作られている

1人はエンジンを組み上げ

2人はフレームにすべての部品を組み付け完成させる

それぞれ作業工数は600位あるそうだが1台仕上げるのに43分しか掛からないという

しかもそれを1日10台のペースで繰り返しているのだそうだ

もちろん生産方式が違っても作業員の込める思いは同じだとは思うが

セル生産方式のように誰が作ったのかがわかる工業製品って今では稀だ

レクサスLFAのエンジンも1台/日のセル生産方式だったが

こちらはエンジンに組立作業員のネームプレートが取り付けられているほどだ

同じようにSR400もここ磐田で熟練の作業員によって

1台1台作業台の上で生産されたのだ

大切に乗ってますよって工員さんに感謝を伝える意味も含めて

SR400に乗って磐田へ行ってみることにした


(ヤマハ発動機HPより画像を拝借しました)

目的がしっかりしているので今日は真っ直ぐ磐田へ向かう

何のひねりもなくSRで最寄りのインターから東名に乗った

非力な単気筒なのでもちろん飛ばす気はないのだけれど

激しいはずの振動にもずいぶん慣れてそれがそれ程でもないのよ

むしろ3000rpm弱で流す時の方が手が痺れたりするくらいで

(これだってギアを4速に落とせばその上が使えるからどうでも良いんだけど)

正直5000rpmなんて結構元気で(音もいいし)

案外高速乗ると走れちゃったりする

最初の頃はあまりの振動に「どうなんだろう」とか感じたけど

もうパフォーマンスダンパーとか全く考えてない

キリンじゃないけど

「SR?振れないね、そんなことなったことないな、気のせいじゃないの?」

つまりは慣れると許容範囲が広がるということだろう



今日は春本番のような陽気だというから

どうしようかなと一瞬考えたけど

やっぱりダウンを着てネックウォーマーも付けてきたがこれが正解

風を切るとまだ空気は冷たい

グローブも冬用だが高速なので少し指がかじかんでくるくらいだ

磐田まで60kmあまりなので一気に走り通す

短い距離だったけど久しぶりの東名は楽しかった

長い橋で渡る穏やかな水面の浜名湖

浜松基地の上を旋回するF15戦闘機

天竜川を渡る橋から遠くアタマをのぞかせる富士山

あっという間の磐田インターからヤマハの本社までは5分くらい

あっけなく着いた



クルマでは入れないけどオートバイは正門から中に入れる

知らない人が多いのかオートバイは1台も停まってなかった

少し離れた駐車場に2輪も停められるのでみんなそこへ行っちゃうみたいだ

正門を入るとSRのエンジン音がちょっと変わった・・・

ような気がしたけど、そんなわけはないか



コミュニケーションプラザの中へ入るとまずはヤマハの現行商品が出迎えてくれる

今はヘリテージ商品群がメインなのかな

XSR900GPがお立ち台

このブログではあまり評価しないけど

ヤマハのオートバイって全方位で美しい

全体のラインやプロポーションもいいし

パーツひとつひとつのディティールも緻密だ

その向こうにはトヨタ2000GTやレクサスLFAなんかも展示される

右手にはヤマハ楽器のグランドピアノ

その向こうに現行レーサーたちが並ぶ

片隅にケース展示されていたYZR-M1のエンジンには驚いたね



たぶん1000ccのヤツだけど怖ろしくコンパクトだ

美しい青色のカムカバーをのせたシリンダーヘッドなんて

アッキーナ(ボクが生で見たタレントの中で顔最小)のカオより小さい!

ようわからんでしょう、突然アッキーナ(南明奈)云われても

いやでもねレースの世界ってすごいなと直感できる展示だ



2階へ行くとそこはボクたちオッサンの世界

何といってもこれだ

ケニー・ロバーツのUSインターカラーYZR500




(78年のOW35Kなのでほんとはゼッケン「2」)

並列4気筒でいろんなところからひょっこり突き出る4本のサイレンサー

フレームはまだ鋼管のオーソドックスなクレードルだ

いやーかっこいい

フレディ―との死闘を演じたマルボロカラーのOW70もいいけど

そっちはデルタボックスにV型4気筒であまりに現代的

鉄のフレームでパラ4なんてのがいい

それでももうミッションはカセット式だしYPVSも装備している

サーキットに漂うカストロールA747の甘い「香り」を思い出す・・・

なんて人はもうずいぶん減ったんだろうな



しかし久しぶりにレーサーを間近に見るとやっぱりほんと美しい

機能を収斂させた造形の美しさ

機械デザインかくあるべしと思わせる



このデルタボックスフレームのアルミ溶接跡を見るだけでハイボール5杯はいけるね

話は戻るけど

1階の現行4ストレーサーのところにロッシのマシンがあって

またがりOKなので遠慮なく跨らせてもらったけど

見た目のポジションの感覚と実際の印象はかなり異なっていて

今更ながらふぇーっと感心してしまった



よくもこんなポジションでレースできるもんだね

レーサーってグリップの位置が基本シートの座面と同じ高さで

ザ日本人体型のおっさんが跨ると相撲の仕切りしてる感じだ

その上足腰の柔軟性が乏しく加えて腹が情けなく弛んでるから

グリップを握るだけで息使いが荒くなるのさ

そこから、誰も見ていないことを良いことに

ケツを大きくずらしてハングオフの体勢を試してみようとするも

まったくどこにも身体がフィットせず木から落ちそうなサルみたいになるのだ

思えばこのマシンの主であるヴァレンティ―ノ君は身長181cmで

そのうえルパン3世のような手足の長さ

そもそもポジションが違うのか

何とも残念な体験となってしまった



このヤマハコミュニケーションプラザ

小さな子供連れのおかあさんも何組かいたりして

平日の午前とはいえまずまずの客(見学者)入りだった

外で待つSRも里帰りにちょっとよろこんでいるように見えたよ



この一帯にはいくつものヤマハの建物があって

そこで働く人の大きな寮なんかもある

地図で改めて眺めてみると「32号館」ていう数字が見られるから

ものすごい規模だと思う

本社の社屋の前にはジュビロのスタジアムがあるけど

サッカースタジアムってこんなに小さいのか、なんて感じてしまう

それ程このファクトリーは巨大だ

オートバイが売れないと云ってもやはりそこはヤマハ発動機、なんだね



風がなく日差しも暖かいので国道のバイパスを繋いで帰ることにする

静岡には富士から浜名湖までバイパスが以前から整備されているが

我が愛知、特に三河では整備が遅れていた

いた、と書いたのはこの3月8日ついに名古屋豊橋間の「名豊道路」が全通し

名古屋から豊橋、そして静岡へと高規格道路がようやく繋がったのだ

ボク自身も東三河に縁があるので

このバイパスの開通をおおいに待ち望んでいたクチなのだが

それにしても、まあ予想はしていたが、渋滞!ひどい!

潮見バイパスから豊橋バイパスに入った途端もう動かない

大崎を越えて2車線になれば流れるが

豊川橋の手前からまたエグイ渋滞

真っ平らな田園地帯にバイパスの高架が伸びているのでずっと向こうまで見渡せるが

もう途方もなく先までナメクジが這うような動きだ

期待していた蒲郡バイパスだけどこれはいただけない

御津で降りて国道1号線へ回ったら案の定スッキスキ

こっちの渋滞はほぼ解消されていて逆にチョー快適になっていた

なんだな、コレ

早晩この逆転現象に気付いて多分みんな国1に戻ってくるな

それは本当にイヤだ

そもそも全通前の状況から見て1車線で暫定開通すればさもありなんの結果でしょ

いやとりあえず開通して順次2車線化しますよ、はまあわかる

でもWebサイト見たら全線4車線化を計画しているようだが

その進捗率は現時点で4割程度だそうな

ああもう生きているうちには見られないヤツだ

そもそも今回の全通

事業着手した1972年から53年かけて達成されたのだ

あんまり時間かけてるとそのうち人口が減少して地方は衰退するだろう

そうなればどこの道路もスムーズに流れるようになるのかもしれない

「渋滞」ってちょっとイメージ湧かないなー

そんな世界が来る日も近いのかもしれない

だから生きてるうちに何とかしてくれー!



マイナス5.6℃まで冷え込んだ

強烈な寒波が長く居座るのだと気象予報士はしつこく忠告する

家の前に停めてある我が愛車には霜がびっしり

風はなさそうだが確かに寒い

さて、どうしたものか



今週はきっちり充電器に繋いでおいたクロ介(BMWエアーヘッドボクサー)

「機関維持」のために今日は走っておきたい

ためしに表へ出てみるとなんだかそうでもなかった

時折ゆるい風が吹くとそれは怖ろしく冷たいけど

日差し自体にはすでに力強さを感じる

見上げた空の色も

そこに浮かんだ雲の形も

確かに季節の移ろいを感じさせる

気付けば遠くから雲雀の声も聞こえた



クロ介をガレージから出して始動させる

今日はもちろん一発だ

暖機の間にジャケットを羽織りブーツを履く

チョークを戻してヘルメットをかぶり、素早くシートへ跨る

袖口の収まりに気を付けながらグローブをはめれば

さあようやく出発だ

ゆっくりローで引っ張ってから、そっとけれど確実にセカンドへ蹴り上げる

もうエンジンは少しもギクシャクしなかった

クロ介も春を予感しているのかもしれない



通勤ラッシュの時間帯を過ぎた国道は少し空いていた

サードギアのまま巡行させる

クロ介のトランスミッションは5速だ

けれど高速以外では5速へ入れることはほとんどない

普段3000~4000rpmを使って走るが

それでも4速では100㎞/hを越えてしまうので

サード(3速)を使うことが多い

それで40~80km/hの速度レンジをカバーしている

ダッシュする時はセカンドで5000rpmくらいまで引っ張るかな

ワインディングは2速3速

山の中の狭路は2速

1500rpmくらいまで落ちてもスナッチが出ることはない

その辺はさすがのツーリングマシン

だからSR400に乗り換えるとなんだかちょっと忙しく感じてしまうこともあるが

でもあいつはそこがいいとこだから

ギアを上げたり下げたりね、あれはあれで楽しい

それとは対照的にクロ介は本当にゆったりとどこまでも駆け抜けていく



このブログの主題は社会の中の個、なのかな、と最近感じるようになった

変化を求められる「社会」とそれに馴染めない「個」の話



この国の「社会」は資本主義と云われる経済イデオロギーで動き

個人の人権を自由で平等なものとして扱おうとしているようにみえる

人間にとって社会は必要だ

必要だから生まれ、その中で繁栄してきた

そこで生きていく以上、社会に飲み込まれるのは必然だ

社会においては常に変化に対応することが必要で

社会は個人にも変化するように求めてくる

喜ばしく望んだ変化もあるだろうが

腹立たしくしぶしぶ従うような変化もある

否応もなしにという訳だ

なぜ変化が必要かと云えば生き残るためで

「改善」という変化を繰り返し利益を追求する

利益こそが生存の糧なのだ

それを邪魔するものとは敵対し捻りつぶしにかかる

レッドオーシャンとかブルーオーシャンとか薄気味の悪い言葉だ

変化できないモノを糾弾し変化を強要する

静観は許されず絶えず行動することを求める

もちろん「社会」の中ではね、と注釈はつける



トランプ劇場2.0にいま世界は戸惑っている

生涯の資本家であるトランプ大統領は強烈に変化を求める

いや、強制してくる

けれど分かっているはずだ

この資本主義経済の中で生き残るのは変化に対応できるヤツだけなのだ

でもボクはちょっと違う見方をしている

ー21世紀に入ってやはりグローバル化と多様性に対する寛容さが

急激に加速し今や行き過ぎてしまったのではないかと、

ーそのせいで人々の中にあった国家主義的な欲求がまた騒ぎはじめ

少しネジを巻き戻す方向に動き始めているのではないかと、

ーあまりにも「いい子」であり過ぎたりそれを求められ過ぎたりで

息抜きする間もなかったのではないかと、

紙のストローを強要したり電気自動車を強要したり

あれはダメこれはダメのがんじがらめだ

SDGsも正直少し寒気がする

目標は必要だが強要となると他の都合があるのかと勘ぐってしまう

未来の地球のために環境を重視した行動をとることは必要だし

世界中の人が助け合って皆で幸せになりたいとも思う

男とか女とか肌の色によって態度を変えるなんておかしいと確かに思う

けれど、思うと実際やるのとでは相当違うものだ

行動と感情に齟齬があれば人は簡単に壊れる

いま一度立ち止まって世界を再構築する時期なのかもしれない

と無力なおっさんは地球の片隅で傍観している



でも

これだって幻想にすぎない

そもそも我々は「人間」である

この宇宙の法則の中で奇跡的に存在している

物理学者たちはこの宇宙があまりにも上手く出来過ぎていると感じ

違う物理法則で成立するパラレルワールドがいくつもあると考える

加速器の中で故意に衝突させた粒子がこの宇宙を崩壊させるかもしれない

人間の生命など宇宙にとっては微小な存在だ

けれどこの身体を構成する元素はみな何時かの何処かの宇宙に存在した破片でできている

たとえば血液中の赤血球に含まれるヘモグロビンは全身に酸素を運ぶが

ヘモ(ヘム)=鉄は太陽よりもはるかに大きな恒星(超新星爆発を起こすレベル)

の内部でしか生まれないものなのだ

つまりこの体の中の鉄は自分で作った訳でも親から貰った訳でもなく

地球が出来るときに集まってきた何時かの何処かの星で作られた鉄なのだ

「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」とゴーギャンは問うたが

それはもう宇宙から来て、宇宙そのもので、宇宙に帰る存在だ、と云えるだろう

ボクたちは宇宙の欠片であり宇宙そのものだ

どんなに変わろうとしてもそんなの所詮頭の中の意識が作り出したノイズ程度のものじゃない?

だからこの一瞬の「生」にあまり多く意味を持たせない方が良いとボクは思う



話がでかくなり過ぎたようだ

このブログの主題が「社会」の中の「個」、みたいな気がするというという話に戻る

いろんな考え方や感じ方があるから面白いとはボクも思う

どちらかと云えばボクの考え方はその中では気妙な方だろう

それは自分でも感じる

でもそれはこの国のこの時代に生きているから、とも云える

もっと違う国、違う時代なら妙ではないかもしれない

それは「個」が生きることがそれほど「社会」と結びついている証拠でもある

仕事をするとは「社会」参加することだし

生きていくためには社会参加が必要だ

そして「社会」に出ると否応なしにここでは「変化」していくことを求められる

新しい情報を常にキャッチし自分なりにそれを消化し続けていく

「いつまで同じことをしているのだ」と叱責され

もっと能力を高めるようけしかけられる

そしてもっともっとと利益を求められる

自分で云うのもなんだが

学生時代には社会に対してそんな強圧的な雰囲気を

薄っすらと感じていてとても気が進まなかったが

仕方なしであったものの結局社会に押し出されてみたら

案外自分はこの社会に適応し能力を高め続けていけたのだ

もちろん失敗したり、出し抜かれたり、足を引っ張られたりもあったが

その度に「コノヤロー」みたいな肉食系の部分すら出していた気がする

でもいま思えばそれは自分の「素」ではなかった

人間なんてそんなにすぐには変われないと思うし

変化し続けることは本当に精神を疲弊させる

ましてやそれが自分が望まない変化なら気がおかしくなるかもしれない

とにかくみんながバラバラの「集団」が嫌いだった

個性を尊重したみたいな集団はもっと最悪だ

本当はひとりでぼんやり空想に浸っている方が好きだったのだ

それがボクの「素」の姿だ

誰もいない山奥の湿原に写真を撮りに行ったり

何の変哲もない砂防ダムにオートバイで行ったり

そうして地べたに座り込んでのんびりと風景を眺めながらおにぎりを食べるのだ

来年の販促計画とか出店計画とか土の中に埋めてしまって

善とか悪とか無関係な存在になりたかった

そしてその生き方のほうが自分にはとても大切だった

生きていくために「社会」は必然だったけど

正直そこでの毎日がとても苦痛だった

それは自分がその中でとても悪い人間に見えたからだ

そしてそんな人間がボク自身大嫌いだったのだ



「趣味」の時間はそんな「社会」の中で唯一

変化しなくていい空間だった

いろいろ理解するまでは多くの異なったモノに触れることも楽しかったが

逆に変化していってしまう「世間」に疑問や不満を感じるようにもなった

レコード盤がコンパクトディスクへと変わって行く時

誰もレコード盤を守ろうとしなかった

レコードプレーヤーの繊細さは人が工夫する余地が多くあったのに

電気回路ですべてを完結させてしまうCDプレーヤーには何の体温もなかった

いともたやすく正確でノイズや歪みのない音をただただ出力してくる

もちろん初めて出会ったCDの音は未知のもので未来を感じさせてくれた

けれどそれが一般的になると

自分の中のオーディオへの興味はすっかりなくなってしまっていた

そんなモヤモヤは

とっておいた当時のままのレコードプレーヤーでレコードを再生してみると

けっして間違いではなかったと思える

アナログオーディオも残すべきだったのだ



だからオートバイなんてそもそもが時代錯誤な乗り物が好きなのかもしれない

正直いまのオートバイには時代錯誤感は少しなくなってきたようには感じるが

いつまでオートバイになんて乗ってるの?と以前はよく云われた

むき出しでクサくてうるさくて

そんな存在だったのだ

「だった」と書いたのはいまはそうじゃないからだ

オートバイだって工業製品だから変化してしている

そしてズーっとむかしからオートバイに乗り続けてきたじじいにまでそれを押し付ける

法律なんだそうだ

うるさい音を出したり汚いガスをまき散らしたり

そんなこと21世紀が許さないのだ

存在がわかりにくいからライト点けっぱなしにして

ブレーキかけ過ぎてコケると危ないからロックしないようにして

気化したガソリンとかばら撒かないようにまでして走らせる

それもこれも法律で決められている

でも「趣味」の世界では「個」は変化しなくてもいいのだよ

古いオートバイだってガソリンを入れてやればそのまま走らせることが出来るのだ

いつまでもいつまでも古臭いオートバイに乗っていられる

もう変化なんてゴメンなのさ、「社会」じゃああるまいし

だからずっとボクにとってオ―トバイに乗ることは

イヤな自分から素の自分へ戻る手段のひとつだったのかもしれない

「変化」のない世界に生きたい人だっているのさ

仕事もリタイヤしてネコのように日々生きるこの頃

たまにレコードプレーヤーで音楽を聴いたり

うるさくてきたないオートバイで山の中を走りまわったりしてね

すっかり子供の頃の自分に戻ったような気分だ




大寒に、あまり寒くなかった、と書いたら

途端にものすごく寒くなった

気候・気象とはそもそもがそういうものだろう

だって大寒なのだから寒くて良いに決まっている

いや、恵方巻かぶりついたな

もう立春過ぎてるか

まあ良い

ボクの住む三河地方は気圧配置の微妙な加減で

風向きがわずかに西に寄ったため薄っすらとした積雪で済んだ

三重の北部なんかが大雪になるとこの三河もただでは済まないが

JPCZ(日本海寒帯気団収束帯)のシッポの振り方次第で結果は多いに異なるのだ



冬になると停めておいたクルマやオートバイはそのすべてが外気温に等しく冷えていく

ガレージの中であってもビックリするほど冷たくなっていてちょっと驚くほどだ

車体だけでなくエンジンもオイルもみんなみんな冷たく凍えてしまう

そんな状態でエンジンを始動させると一気に機関の温度が上昇して

マフラーの中は云うに及ばずエンジン内にも水蒸気が発生して

テールエンドから盛大に水蒸気を吐きだすことになる

機関内の蒸気はオイルに混ざるがしっかり走ればそれほど問題にはならない

タンクに着いた水分はガソリンの中に落ちて底へ沈む

最近のポリ製タンクではあまり問題ないが従来の金属製はそれが内部に厄介な錆びを生む

冬はオートバイにとって劣化を進めるイヤな季節だ



これらはある程度しっかり乗ることでリスクを減らせるものなのだが

ボクらが乗るようなオートバイはほとんどが趣味の乗り物なので

多くの人は「週末アイドル」ならぬ「週末ライダー」だろう

だからみんな週末を心待ちにしているよね

それなのにせっかくの週末に天候が悪かったり

恐ろしいほどの暑さや寒さとなれば仕方なくキャンセルされることもあるだろう

走りに出たとしても冬は路面状況の関係で走る場所が限られ

夏のようにしっかりと距離を走れなかったりするので

いろんな意味で冬はやはりオートバイのコンディションが気になる季節だ

一般にクルマのメンテナンスで「シビアコンディション」と云えば

酷暑、極寒、過走行そして砂漠などの走行を指すが

意外にも日常的な短距離走行もそこに含まれている

これはさっき書いた機関内の「水分」が十分解消されないことと

摺動部分の潤滑性能が適切にならない状況が続いたりするからだ

非公式だとは思うがあるメーカーからは

短距離走行とはおよそ8km以下の走行とアナウンスされていた

だからたとえ毎日であってもその1回の距離が8km以下なら

クルマにとってはシビアなコンディションということになる

傷みが早くなる恐れがあるので早め早めのメンテナンスをした方が良いという訳だ

ましてや趣味のオートバイ

それも複数台所有していたり製造から何年も経つ旧車だったりすれば

乗る機会を意識的に持たないと走らないのに劣化が進むなんてことにもなりかねないのだ



そこで古いクルマやオートバイを所有する人たちの間で俗に云われる

「機関維持」という言葉がある

一般的な言葉ではないし

たぶん正式にはこんな言葉はないと思うけど

機関とは多分エンジンのことで

蒸気機関とか内燃機関とかまあそんなやつだろう

このエンジンの状態を維持するために動かしてやることを意味している

冬になるとまずはバッテリーが弱る

だからガレージの中で旧車たちは「充電器縛り」を受けることになる

これだって「機関維持」の一部だ

けれどやはり走らせることが何より大切

走らせるだけでなくすべての可動部が正しく潤滑され

機関内の水分をすっかり蒸発させるくらいは最低限必要なのだ

だから何の用事がなくても阿呆のようにオートバイを乗り回す

いくら家人から「こんな日にオートバイに乗るの?」と冷たくあしらわれようとも

「機関維持」は「義務」なのだよ

そもそも積雪があれば考えるが

気温が低い、風が強烈に強い、それくらい屁でもない

「海を眺めてコーヒーを飲んでくる」と云い残して玄関を出る



南向きのガレージのシャッターを押し上げると

冷たい空気を切り裂いてサッと一瞬にして中に陽が差し込んだ

カバーを外し無意味と思いながらもすっぽりと掛けている毛布をたたむ

タンクに触れるとやはり氷のように冷たい

寒かったね、クロ介(BMWエアーヘッドボクサーR100)

実はこの日お約束の充電器縛りをしていなかったのがちょっと不安だった

ゆっくりと引っ張り出してスタンドを立てる

左右の燃料コックを開けチョークを一杯に引き

なぜかここでボクの方が深呼吸

「クロ介頼む」

そう祈りながら勇を鼓したような面持ちでセルボタンを押し込む

―――果たしてセルは虚しく空回りしタコメーターの針が躍る!

バッテリーを休ませながら3度試すが状況は悪化する

スターターリレーが悲鳴を上げる前に諦めた

なんで充電器に繋げておかなかったのか、と自分を責める

ガレージの中で一部始終を見ていたSRがニヤリとして囁く

「今日はわたしと行くのね」

クロ介をガレージに戻して充電器に縛る

今日はオマエは寝ておれ

SR400はキック一発始動

「機関維持」は置き去りで真冬に海へただコーヒーを飲みに出かけることになった





最近は若いうちから電熱電熱とオートバイ乗りも裕福になったもんだと思うが

陽が差して気温が0℃以上ならせいぜいカイロで十分だ(貼ってないけど)

スキーウエアのような不細工なライディングウエアも

いくら高性能でもカッコ悪すぎて御免だ

おまけにライダー以外には全く分からないブランドのロゴがでっかくプリント

そいつが数万もするとなればもはや存在価値を疑う

ほんと裕福だよ

まあなんでも経験してみることは必要だから出来るんならやってみればいいけど

そこからいつかは抜け出してきて欲しいと思う

せっかくこんなにも寒い事の辛さを体験できる乗り物なのに

同じ経験ならそういう風な経験の方がきっと長い人生の足しになる

多分オートバイ趣味は苦痛の上にあるものだ

山登りやスポーツ全般と同じ類のもの

苦痛を上回る快感を見つけて欲しい

ぜんぜんできるよ

ボクらの若い頃はカネなんてオートバイを買うのが精一杯で

ウエアやアクセサリーにまで手が出せなかったから

手元は軍手とかせいぜいスキーグローブ

足元はオールシーズンコンバースとかで乗ってた

真冬の夜中でもジーパンで走ったし

スーパーで売ってる安っすい革ジャンの中にセーター着込んだくらいかな

キレるような冷気の中を走り回って指先や太ももが凍りつき

それを帰ってすぐ熱い湯の中につけた時の激しい痛みがわかりますか

そんなことを毎日続けながら指やモモが壊れちゃうんじゃないのかなんて考えてた

もちろん壊れなかったけど

我慢自慢したい訳じゃない

けどこっちの方が人間らしいとボクは思う

何でもカネで解決する生き方はつまらなさすぎる

いまこんなに満たされて生きながら

寒くて震える経験が懐かしいのはなぜなんだろうと

そんな思いにたびたび襲われるのだ



三河湾は強い風に海面がざわざわとしていた

オートバイを停めてはみたもののとても降りてのんびりできる感じではなかった

ヘルメットも取らず放置されている椅子に腰を下ろして海を眺める

下ろしたままのシールドに砂浜から飛ばされてきた砂粒が当たってパチパチと音を立てた

指先は冷え切って買ったばかりのホットの缶コーヒーを握り締めても感覚が戻らない

弱弱しく呼吸しながらそれでもやっぱり薄笑いを浮かべている自分に気付く

いつもそうなのだ

つらいなーと思う向こう側で笑いをこらえた阿呆がこっちを見ている

ふとすぐ目の前の海面に小さなカモが一羽

強い西風に逆らいながら海面を風上に向かって泳いでいるのを見つけた

よく見ると確実にヤツは進んでいた

おそらく水中では必死に足を泳がしているのだろうが如何せん風が強すぎる

なのにそのカモはゆっくりゆっくり確実に進んでいく

どこへ行こうとしているのかとその進行方向の先を見ると

50mほど先に海へ突き出した突堤があって

その陰で波を避けて休む20羽ほどのカモの群れがいた

「あそまで行くの?」

いつもそうだけどボクはそれが動物相手でも植物相手でも声にして聞いたりしてしまう

すると大抵返事が聞こえるのだ

「うっさいはボケ、ほっとけや」と

いやいやそれにしてもそんなカモの日常の光景にも「すごいな」と感じる

それほどヒトは自然からかけ離れてしまったのか

凍えた指先は缶コーヒーでは温まらないけど

手首をまくってそこを掴むとすぐに回復するって、経験あります?

ヒトの身体は一日に1500kcalも消費して熱を生み出している

これは理論上1.5Lの水を100℃に出来る程の熱量ってことだ

だから自分の熱に頼る方が暖かい

ヒトはまだまだ自然に近い生き物だ

カモが冬の海面を風に逆らって進むような力がまだまだボク等にもあると信じている



夕方ガレージにクロ介の様子を見に行くと

すでにトリクル充電に変わっていた

試しにエンジンをかけてみようとキーを捻ると

スパーーーーンと激しいアフターファイヤーをかまされ心臓が止まりかけた

ツインプラグ化のために「エキスパンダー」とか云うなぞの回路が挟まっているけど

そいつがなぜかキーをONした瞬間に一発自爆(点火)かますのだ

シリンダ内やエキパイ内に生ガスが残っていると確実に破裂する

キャブ側に回るバックファイヤーだとキャブが外れることもあるらしい

朝、セルを回しすぎたようだ

煽る心臓を押さえながらセルを回すと

クロ介は何事もなく

しかも一瞬のたじろぎもなく始動した

充電器縛りは必須だ

まあバッテリーも4年も使っているのでそろそろ交換か

機関維持のため翌日クロ介に乗って

海を見ながらコーヒーを飲みに出かけたのは云うまでもない

「エっ、今日もオートバイに乗るの?」

「仕方ないさ、機関維持だよ」



昨年の長い夏のあとやっと訪れた遅い秋

そして暮れから年明けにかけてのちょっと早くて強い寒波

予報によると今年の寒さは大寒を前にもう底を打ったと云う

寒い時には寒さを感じたい、と思うが

大抵のひとは寒いのは嫌いであろう

これはこのごろさらに拍車の掛かる天邪鬼のせいか

つまりは所詮世捨て人の楽しみでしかなくあまり理解されない

とは云うものの寄る年波には逆らえず

寒風に晒されるとお腹が冷えて途端にくだるのだ

何ともカッコ悪い話でもある



日の出の前に庭に出たら野天晒しのクルマのガラスがびっしりと凍っていた

雲ひとつない空は放射冷却がきびしかったようだ

昨夜、明日はちょっと(オートバイで)走ろうかな、なんて考えながら床に就いたが

こんな寒さ具合では腰が引ける

まあ9時にもなれば状況も変わるだろうと

のんびり朝食を取りテレビでどうでも良いプログラムを見てやり過ごす

コーヒーを淹れようか

でもコーヒーを淹れてしまうとさらに腰が重くなりそうで

暖房で結露した窓を指で拭って外の様子を見やる

風はなさそうだ

この分なら気温は上がるだろう

意味もなく頷いていそいそと支度を始める

クローゼットからウェアを引っ張り出し

クロ介のエンジンに火が入るまでそれから5分と掛からなかった



クロ介(BMWエアヘッドフラットツイン)はイグナイター交換で復活

夏場より2秒だけ多くクランキングして盛大に目覚める

マフラーから白い蒸気を吹き出し

センタースタンドで上がった後輪がゆっくりと回る

ハーフチョークへ戻してさらに暖機運転する

リアホイールの回転が止んだのを見てスタンドから降ろし漸くシートに跨る

チョークをすべて戻して

その代わりに少しだけスロットルにテンションをかけ回転を維持する

コンピュータが全部やってくれる今のオートバイと違って

真冬のエンジン始動にも個体ごとの違いがあってとてもおもしろい

こういうところに趣味性があるのだ

インジェクション仕様のSR400のキックスタートなんて

簡単すぎて趣味性の欠片もない

キックスタートごときでノスタルジックなどと云う勿れ

そもそもノスタルジーなど趣味ではない



ボクの住まう愛知県は西の尾張と東の三河で成り立っている

どちら側も互いにあまりよく思っていないのは地方あるあるか

知多半島の付け根辺りで三河湾にそそぐ境川が文字通りの境界になる

三河はさらに東と西に分かれる

矢作川が作る平野部が西三河

豊川が穿つ山間部が東三河

夏の間はほとんど東三河の高原地帯を走っているが

冬になると西三河の海辺へ行くことが多い

岡崎平野の南東部には低い山が連なるがそこにはワインディングも多い

だから冬になるとワインディングを抜けて浜へ出て海を眺め

また別のワインディングで戻ってくる

そんな繰り返しだ

2月の下旬になればまた山へ行けるのでせいぜい2か月くらいだが

その間は幡豆や幸田の農道が主な生息場所になる

まるで冬の陽だまりにある川の淵をうろつく鮒みたいに…

それでもオートバイに乗って走ることは本当に楽しくて

帰ってからもしばらく思い出し笑いみたいにずーっとニソニソしている

夜、布団に入って眠りに就くまでずっと心が浮かれているのだ

まったく呑気なもんだ

そして御目出度くもある

いい歳をしてオートバイに乗られることがうれしくて仕方がない

それも若いころからもう何十年も乗り続けているのにだ



「大寒」だからと身構えて迎えた朝

そうでもない

庭に陽が当たりだしたら風もなくぽかぽかだ

ほんじゃー、と

伸ばし伸ばしにしていたSR400のオイルを換えてやることにする



ヤマハのオイルチェンジキット

割高なんだけど一度使ってそのラクさにやられてしまった

こんだけ全部そろってるから本当に楽ちんなのよ

いや贅沢か

  

ドライサンプのSRはフレームのダウンチューブがオイルタンクになっている

だからフレームのこの小っさなドレンプラグからまずオイルを抜く

プラグを抜いた途端にシャーっと飛び出すので養生が必要

(フロントタイヤがオイルまみれになっちゃう)



エンジンの下部にもドレンがあるのでその後ここからもオイルを抜く

ドレンのすぐ下にレギュレータがあるのでこれもテープで養生する

15分ぐらい放置したらドレンプラグのシールを交換して

規定トルクで締め付ける

ステアリングヘッドのすぐ後ろタンクのくぼみに顔を出している

レベルゲージ付きのキャップを開け

ヤマルーブ プレミアムシンセティックをまず1.8リットル注入

試走後にレベルを見たら下限の少し上だったので残りの200ccを継ぎ足す

ゲージは半分くらい

規定では2リットルちょうどだけど2リットルでは少ないのかな

まあ様子見だ

今回はオイルフィルターは交換しないのでこれで終了

暖かくて作業日和だった、大寒なのに



こんなに暖かいと山のワインディングへ行ってみたくなる

山中に植えられたスギやヒノキの林が遠目に茶色っぽく見えるけど

なんせ枝先には花がびっしり付いて花粉の噴射が準備完了

だからきっともう行けるのかもしれないけど

路面温度のことを考えると楽しくは走れないのかなとも思う



いまは海辺でのんびりコーヒーでも淹れて

もう少し春を待つことにしよう